まずは、飯と金からだな
灰原を出てから、三日が過ぎていた。
宛てもなく歩き続けた荒野の先に、ようやく人の匂いのする場所が見えてきた。地平線に、いびつな稜線が浮かんでいる。近づくにつれ、それが旧文明の廃材と継ぎ接ぎの木板を積み上げて作られた、無数の建物の輪郭だと分かってきた。丈の低い掘っ立て小屋の合間に、錆びたトタンの壁を持つ大きめの倉庫らしき建物が何棟か覗いている。カガリ村の何倍あるのか、ぱっと見当もつかない規模だった。
門代わりに積まれた瓦礫の山には、錆びた鉄板に殴り書きされた文字が立てかけてあった。
「ノガミ」
それだけの、素っ気ない案内だった。瓦礫を越えた途端、雑多な喧騒が一気に耳へ飛び込んでくる。荷馬車の車輪が軋む音、値切り交渉の怒鳴り声、どこかで炙られている肉の匂い。土埃と煙の混じった空気の向こうに、所狭しと並んだ露店の屋根が波打つように連なっているのが見えた。灰原とはまるで違う、剥き出しの活気だった。
す……すげぇ。これが町か。カガリ村とは桁が違う。人、多っ。
大通りだけでも、村の全人口より多い人間がひしめいているんじゃないかと思う。浮かれたのも束の間、前から来た荷物担ぎの男とまともにぶつかった。
「っと、すんません!」
「あぁ? ぼーっと突っ立ってんじゃねえよ!」
いてっ。怒鳴られて肩を竦める。避けたと思ったら反対側からも誰かが押してきて、体が斜めに流れる。おい、押すなって。待て待て。人が多すぎて避けようがねえ。くっ……。
やっとの思いで人波の隙間を縫うようにして進むと、少しだけ視界が開けた。大通りは思っていたよりずっと長く、まっすぐ先まで見通せないほど奥へ延びている。頭上には、廃材を組んだ日除けの布がところどころ張り出し、差し込む陽の光を縞模様に落としていた。地面は踏み固められた土に、砕けた瓦礫の欠片が混じり、歩くたびに白い埃が舞い上がる。
道の両側にひしめく露店は、大きさも並べているものもばらばらだった。旧文明の遺物を積んだ台、干し肉が何十本も吊るされた棚、正体不明の液体を瓶詰めにして「薬」と大書した怪しげな屋台。呼び込みの声、値切り交渉のやり取り、どこかで喧嘩でも始まったらしい怒声。あらゆる音が重なり合って、絶え間ない喧騒を作り出している。道行く人々の格好も、見れば見るほどばらばらだった。継ぎ接ぎの革鎧を着込んだ男、旧文明の布地を巻きつけただけの女、腰に山刀を差した行商人、肩に古びた猟銃を担いだ老人。得物も服装も、統一感などまるでない。屋台の奥には、鈍く光る刀身の青龍刀を吊るした店まであった。
――と、そんな喧騒に気を取られていたが、ふとその中に立つ自分の姿を思い出して我に返る。自分の格好がやけにみすぼらしく見えてきた。
村を出るときのままの、継ぎの当たった作業着。足元は擦り切れた草鞋に近い代物で、腰に差した山刀も刃こぼれの目立つ古い一振りだ。周りを歩く連中と見比べると、旅慣れているというより、ただの田舎者にしか見えないだろう。旅を続けるにはあまりに頼りない身なりだと、今更ながら思い知らされる。
「……こりゃ、ちょっと締まらねえな」
独りごちて、露店の並ぶ通りを覗き込む。目に映るもの全てが物珍しく、つい足が止まる。
……なんだこれ。虫? いや、これ食い物だよな? 串に刺さった黒々とした塊に、思わず顔を近づける。表面がてらてらと光っていて、脚のようなものが何本も突き出ている。大きさは親指の先ほどで、香ばしい匂いだけは、認めたくないが確かにうまそうだった。
「兄さん、一本どうだい。滋養にいいよ」
店主が愛想よく声をかけてくる。串を差し出され、思わず半歩後ずさった。……いや、匂いは気になるけど、見た目がな。うん、見た目が。店主と目が合い、慌てて視線を逸らした。今は買わない。別に怖くて逃げたわけじゃない。断じて。
気を取り直し、並べられた小刀の一つを何気なく手に取ると、店主の鋭い声が飛んできた。
「兄さん、それ触るならまず金出しな」
慌てて手を引っ込め、懐を探ってみる。出てきたのは心もとない小銭だけだった。灰原を発つ前、ジンが「足しにしてくれ」と押しつけるように渡してきたものだ。あの無愛想な顔で、意外と律儀なことをする男だった。
……少なくね? いや、少ないな。うん、少ない。改めて数えても増えるわけがないのに、二度見してしまう。三度見しても変わらなかった。こうして町に来てみると、あまりに頼りない額だと嫌でも分かる。
ため息をつきながら、通りの奥へ目をやる。旧文明の武具を扱うらしい店の看板が、遠くにちらりと見えた。他の露店とは違い、地面に据えられた木の柱と壁でしっかりとした造りになっている、ちょっとした店構えだった。近づいて覗き込むと、埃を被ったガラスケースの中に、色々な得物がずらりと並んでいる。刃渡りの長い刀、無骨な戦闘槌、槍の穂先だけを束ねて売っているものまである。奥の壁には、使い古された猟銃が何丁も立てかけてあった。そして――
「いいな、あれ」
俺の目は、一丁の拳銃に釘付けになった。真っ黒のメタルボディー。ごつごつした無骨なフォルムに、手に取らずとも分かるずっしりとした重量感。灰原で見た会の連中が持っていた粗末な銃とは、格が違う。……くっそかっけえ。男ならやっぱり銃だよな。ちょっとだけ。ちょっとだけ眺めるくらいなら――っておい、触ってねえ触ってねえ。まだガラス越しに見てるだけだ。
視界の隅に飛び込んできた値札に、思わず息を呑む。ゼロが……いくつ並んでる? いち、に、さん、し……途中で数えるのをやめた。そっと店主の顔を窺うと、目が合った拍子ににこりと笑いかけられる。愛想はいいのに、目の奥はまるで笑っていなかった。
「どうだい兄さん、旅の護身にゃ物騒なのが一丁いるだろう」
「……また今度な」
そそくさと視線を逸らし、その場を離れた。今の懐具合では、指を咥えて眺めるくらいしかできそうにない。
腹の虫が、間の悪いタイミングで盛大に鳴った。近くの屋台から漂う匂いに、胃袋が正直に反応している。う、腹減った。飯。飯が食いたい。焼いた肉、それも脂の乗った塊肉とか。パンとか。……いや贅沢は言わねえ。とにかく何か食いたい。
「なあ、お前、腹の足しになる知恵くらい持ってねえのか」
胸元に向かって、話しかけてみる。返事はなかった。……なんだよ、ノリ悪いな。誤魔化すように咳払いをして、屋台の並ぶ方角へ足を向けかけたところで、ふと足が止まった。
いや待て。まず飯より先に、金だ。金がなきゃ飯も食えねえ。順番、間違えるところだった。
通りを流していると、木の板に紙切れが何枚も貼り重ねられた一角が目に入った。掲示板代わりらしい。荷運びの人手を募るもの、行方を尋ねるもの、雑然と貼り重ねられた紙の中に、日雇いの仕事を書き殴った一枚がある。
お、これだ。これしかない。
字は汚いが、読めないほどじゃない。場所と、必要な人数、それに一日分の日当がでかでかと書いてある。数字の桁は、さっき見た拳銃には遠く及ばないが、飯にはありつけそうな額だった。よし、これで決まりだ。単純な算段に、我ながら満足する。荷運びだか何だか知らないが、体を動かすのは嫌いじゃない。むしろ得意分野と言ってもいい。
紙に書かれた場所を頭に叩き込み、鼻歌交じりに歩き出す。喧騒に紛れ、周りの目など誰も気にしていないと分かっていても、少しだけ足取りが軽くなった。




