命乞いする資格はねえ
翌日の昼、屋敷跡の広場には、数百人もの人垣ができていた。
領内のあちこちから集まった村人たちが、押し黙ったまま台の上を見つめている。台には、縄で拘束されたフジツと家族、そして幹部らしき数名が並べて座らされていた。フジツは、腫れ上がった顔のまま、うつろな目で群衆を眺めている。
人垣の中に、見覚えのある顔があった。カガリ村の代表として来たらしいスズが、こちらに気づいて小さく頷きかけてくる。何も言わず、ただ頷き返した。今は、それだけで十分だった。
「これより、灰原領における裁きを執り行う」
台の端に立ったジンが、よく通る声で告げた。
「ここにいる者たちが、この地で何をしてきたか。知っている者は、遠慮なく声を上げてくれ」
その一言を合図に、堰を切ったように声が上がり始めた。
「娘を奪われた!」
「息子が連れていかれたまま、帰ってこなかった!」
「村ごと焼かれかけた! シゲル様が殺されたのを、この目で見た!」
「うちの亭主は、供出を渋っただけで指を落とされた!」
「この十年で、いくつの村がこいつらのせいで潰れたか、数えたこともあるまい!」
一つ、また一つと積み重なる訴えに、フジツの顔から血の気が引いていく。誰も、その訴えを止めようとはしなかった。長年溜め込まれてきたものが、ようやく吐き出される場だった。人垣の奥から、すすり泣く声が聞こえる。拳を突き上げる者もいれば、ただ震える肩を誰かに支えられている者もいた。声にならない怒りと悲しみが、広場全体を覆っていく。
老いた女が、杖にすがりながら一歩前に出た。
「わしの村じゃ、生まれたばかりの孫まで供出の数に入れられかけた。抗った息子は、目の前で殺された」
震える声に、周囲がしんと静まる。誰も口を挟まなかった。それだけの重みが、その一言にはあった。
「聞いての通りだ」
ジンが、静かな声で締めくくった。
「灰原領主フジツ・ヒトシ、および幹部一同。裁きの結果、火刑を以てその罪を償わせる」
宣告に、群衆から地鳴りのようなどよめきが上がった。歓声とも、深い息とも取れる声が、あちこちで交錯する。誰かが両手で顔を覆い、誰かが隣の者と肩を抱き合っていた。長年の重さが、ようやく形を変えて降りていく瞬間だった。
「や、やめろ……やめてくれ!」
フジツが、掠れた声で喚いた。だが、誰もその声に耳を貸さなかった。
まず、幹部と見られる男たちが、次々と広場の中央に組まれた柱へと引き立てられていく。続いて、縄をほどかれた家族三人が、それぞれ別の柱に縛りつけられた。
「な、なんで、なんで子供まで……!」
フジツの絶叫が響く。だが、その声も、積み重なった村人たちの怒りの前ではあまりにも軽かった。
「アタクシは、なにも……ただ、旦那様に従っていただけで……」
ヒトミの震える声が、火の粉の爆ぜる音にかき消されていく。ヒトコは唇を噛みしめたまま、何も言わなかった。リヒトだけが、怯えた目で辺りを見回し続けていた。
松明が、次々と薪の山に投げ込まれる。
炎が上がる。悲鳴が上がる。それきり、多くを語る必要はなかった。
フジツは、磔にされた柱の上から、その一部始終を見せつけられていた。喉から出るのは、もはや言葉にならない絶叫だけだった。炎と煙が晴れる頃には、その目から一切の光が失われていた。
「ジン……頼む。俺だけは、俺だけは助けてくれ。あいつらのことは、もう終わったことだろう。頼む、それだけは……!」
震える声で懇願するフジツに、ジンは一切の表情を動かさなかった。
「お前の頼みを聞く理由が、俺たちのどこにある」
短い一言に、フジツの顔が絶望に染まった。それでも、まだ諦めきれないらしい。視線が、こちらへと向けられる。
「な、なあ、蓮……頼む。俺たち、前世じゃ仲が良かっただろ。お前を助けてやれなかったこと、ずっと後悔してたんだ。頼む、助けてくれ……」
白々しい懇願だった。事実は正反対だ。この男が、あの非常階段で自分を突き落とした張本人だった。その本人が、今更になって被害者面をし、記憶を都合よく塗り替えて命乞いの道具にしようとしている。
拳が、勝手に動いていた。
一撃で、フジツの顎が大きく歪んだ。骨の砕ける鈍い音と共に、それ以上の言葉は続かなかった。血の混じった唾液が、地面に滴り落ちる。
「……お前に、命乞いをする資格はねえ」
低く言い捨て、拳を開く。フジツは、もう何も言えないまま、ただ嗚咽のような呻きを漏らし続けていた。掌に残る痛みよりも、腹の底に渦巻く感情の方が、よほど重かった。前世の記憶を都合よく利用しようとしたこの男に対して、これ以上言葉を交わす価値など、どこにもなかった。
人垣の奥から、拍手のような音が起こった。一人、また一人。手を打ち鳴らす音が、静かに広場へ広がっていく。歓喜とは違う、長年の重石が外れたことへの、静かな肯定の音だった。
「時間だ」
ジンの一声で、最後の松明が、フジツの足元の薪へと投げ込まれた。
炎が薪を舐め始めると、フジツの体が激しく震え出した。縄を打たれた体を捩り、なおも逃れようと足搔く。獣じみた悲鳴が、喉から迸った。それでも、その体を縛る縄は緩まなかった。
煙が立ち上り、悲鳴は次第に言葉にならない絶叫へと変わっていく。最後の瞬間まで、その体は暴れ続けていた。誰にも憐れまれることのない、往生際の悪いもがきだった。
炎が上がる。その光景を、誰もが黙って見届けた。逃げることも、目を逸らすことも、誰一人としてしなかった。
長く続いた支配の象徴が、今、灰になっていく。
夕暮れが近づく頃、燃え尽きた広場には、静かな沈黙だけが残っていた。誰もが、それぞれの想いを抱えたまま、その場に立ち尽くしている。灰原領という一つの時代が、ようやく終わりを告げていた。




