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【第3章開始!】チートなき世の稀人たち~美少女(30代・独身男性)による見聞録~  作者: 松川あきら
第3章

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18.ツマグロジカのオイル焼きと恐ろしき憧憬



「こん……にちは……?」

 遠慮がちに店の扉が開いた。あまりにそっと開けられたので、扉に取り付けられた鈴もちり、とかすかな音を鳴らしただけだった。

「いらっしゃいませ」

 そう言いながら顔を上げると、半開きの扉から顔を覗かせていたのはモンテだった。

「あ。モンテ……さん」

 私の言葉に、モンテはぺこりと頭を下げた。


 例のジビエ狩りから数日後の夕方だった。

 あの日は結局、グレートベアを転移陣で狩人組合に送った後、アナグマとツマグロジカを狩ることができた。アナグマの肉の甘さは言うに及ばずだが、セロによるとツマグロジカの肉も美味しいとのことだった。普通の鹿より一回り小さく、蹄の先が黒い。鹿よりも柔らかくクセもないけれど、脂が少ないので衣揚げにするか、多めの油で揚げ焼きにすると美味しいらしい。


「えっと、君がベルさんかな? セロさんから預かり物をしていて……これ、熟成が終わったツマグロジカの肉です。……あの、おれ、あん時少し興奮してたけど、君もあの日、立ち会ってた、よね?」

 あの日、とモンテが言うのは、彼が稀人として目覚めた日のことだろう。

 私は、油紙に包まれた肉を受け取って、そっと頷いた。

「あ、わざわざありがとう……ございます。セロはこのためだけにあなたをこちらに?」

 もうモンテは狩人組合を辞めたと聞いている。使い走りをする義理はないと思うけれど……。


「あー……いや、違うんだ。おれがマッサージの仕事を始めたのはセロさんから聞いてる? その道具が欲しいっていう話をしていたら、セロさんがこの店を紹介してくれて。個人でやってるから、小口の注文でも受け付けてくれるからって。……おれ、狩人組合は辞めたけど、まぁ、その……いろんな人に義理もあるしさ、セロさんにもグエンさんにも世話になってるから、雑用の手伝いに行ってて。そん時にセロさんと話したら、この店のベルさんに頼めばいいって」

 肉はそのついでに受け取った、とモンテは言った。


「そうですか、じゃあご注文をうかがいます。どんな道具が欲しいですか? というか、一応、ここは魔道具の店だけど、魔道具が欲しいんですか?」

「ああ、えっと……なんていうかな。柔らかい湯たんぽみたいなのが欲しいんだけど……。そういえば、店の名前が“ベルナールの魔法屋”か。ん……? ベルナール? ベルさん? いや、でもベルナールって男名前だし……」

 一瞬混乱したように、モンテが私の顔を見つめる。

 それはそうだろう。今の私はエリノアの姿だ。くせのある長い金髪を三つ編みにしてまとめた、16歳の少女だ。鼻のまわりにそばかすがあるのを、エリノア本人はとても気にしていたが、私は鏡を見るたびに、これもチャームポイントなのになと思ってしまう。


「あ、えっと……そうですね。別に秘密っていうわけでもないので言っちゃいますけど、私がベルナールです。で、中身は33歳の男性です。知ってる人と知らない人がいますけどね……」

 いつでも誰にでも宣伝してるわけでもない。

「え。あ、そうか。もしかして君も稀人?」

 モンテの問いには首を振った。

「いや、違うんです。この体も、私の魂もどっちもユラル人で……なんていうか、まぁ事故みたいなもので魂と体が入れ替わっていて……この体は姪っ子のものなんですよ」


「はぁ……そういうこともある世界なのか。っていうか、33ってことはタメじゃん。だったらタメ口でいこうよ。なんかこの世界、おれも含めて中身と外見の年齢が一致しない人が時々いて、ちょっと混乱するよな」

 タメというのは、セロに聞いたことがある気がする。確か、同年代とかそういう意味だったはずだ。


「あ、じゃあ遠慮なく。っていうか、私もあの日、セロと一緒にいて……そして君の魂が同い年だって聞いたからさ。私自身は稀人じゃないから、気軽に気持ちがわかるなんて言えないけど、他人事じゃないように思えて、少し気になってたんだよね」

 妻子があるわけでもない、家族を残して終わりを迎えてしまったわけでもない、ただ年齢が同じというだけで、軽々しく「わかるよ」なんて言えないけれど。

「え、ほんと? 気に掛けてくれてありがとな。なんか……自分1人が違う世界に放り出されたけどさ。こっちの世界でもこうやって気に掛けてくれる人がいるってのはありがたいな、って……最近やっとそういうことに気持ちがいくようになったよ」

 そう言って、モンテは小さく笑った。


「セロとか、グエンさんとか? ヘンリエッタさんもだね」

「そう、狩人組合の人たちもそうだし、冒険者ギルドに稀人の申請に行ったら、声を掛けてくれた人もいたよ。――最初は、何もいらないからただ元の世界に戻りたいって……いや、戻りたいのは今でもそうなんだけどさ。それが無理だってわかったから……そうならせめて、嫁や娘に恥ずかしい生き方はしたくないなって……うわ、おれ、なんか語っちゃってんな、恥ずかしい」

 はは、と照れ隠しにモンテは笑った。


「稀人は一番大きな出来事……前の世界で命を落としたっていう経験が共通しているから、連帯感が強いよね。私はこの店を開く前はずっと冒険者をしていたから、知り合いに稀人が多いんだ。まぁでも、元気そうでよかったよ。――それで、湯たんぽみたいな道具だっけ?」

 本来の用件を促すと、モンテは大きく頷いた。

「ああ。自分のマッサージ院を開くのはまだ先だけど、今、診療所の中でリハビリを担当させてもらっててさ。マッサージをする前に体を温めたいんだよね。具体的にはベッドの上でうつ伏せに寝てもらって、足腰や背中に、心地よい重量感と温度のあるものをのせたいんだ」


 私は紙とペンを取り出して、カウンターの上に置いた。モンテを促して、図を書いてもらう。

「あ、意外と白い紙……ペンは組合のと同じか。簡単な万年筆みたいな……」

 紙とペンを少し物珍しげに見る。そういえば、こちらに来たばかりの稀人はみんな似たような反応をする。

「マンネンヒツ、って他の稀人からも聞いたことあるよ。ボールペンはないの? とも聞かれるかな。仕組みを聞くに、そのボールペンとやらは難しいけれど、マンネンヒツ――インクを仕込んだペンはこちらでは一般的だよ」

 私の言葉にモンテが頷く。


「なるほど。世界的には産業革命前後、日本的には江戸時代後期から明治初期ってセロさんが言ってたけど、確かにその通りか……。あ。欲しい魔道具は長方形か楕円でもいいんだけど、大きさは幅が40センチ……えっと、40サンマルテくらいで……」

「センチでも通じるよ。センチとかメートルもだいたい通じるし、感覚的におそらくニホンと共通の長さみたいだ。えっと……なんだったかな、この星の円周距離を元にして決めたとかなんとか習った覚えがあるんだけど」

 魔導院の一般教養で習ったけれど、卒業したらもう細かいことは忘れてしまった。

「あ、おれもそれ日本で聞いたことがある。なるほど、ここが別次元の地球だっていうのは本当らしいな」


 モンテから魔道具の詳細を聞いて見積もりをする。魔導樹脂と火の属性の魔石を使えばあまり難しくはなさそうだ。

「同じ物を2つ作ってもらいたいんだけど、いつ頃できるかな」

 モンテに聞かれて少し考える。魔導樹脂の在庫自体は、実はたくさんある。リナと私の魂を入れ替える時に使った人形の1体分だ。ただそれは、次に私とエリノアの魂を入れ替える時に使うことになっている。それさえ終われば人形2体分の樹脂が手に入るけれど……あまり何度も魔力を通すと、魔導樹脂も多少は劣化してくる。新しい樹脂を注文して……ああ、もうすぐ収穫祭か。


「うーん、収穫祭があるせいでちょっと予定が立ちにくいかも。急ぎ?」

 私が問うと、モンテは「いや」と首を振った。

「オーダー品になるって聞いてたから、時間がかかりそうだとは思ってたよ。目処が立ったらセロさんに連絡してくれれば、おれはしょっちゅう組合に顔出してるから」

「あ、そんなに組合に通ってるんだ?」

「ひょっとしたら狩人だった頃より通ってるかも。――ほら、それも収穫祭があるからさ。セロさんもだし、グエンさんも結局あの後言ってたけど、おれは狩人にはあまり向いてなかった。でも、解体作業なら手伝えるんだ。こないだセロさんが送ってきたグレートベアもおれがかなり手伝ったんだよ」

 そう言うモンテはなんとなく嬉しそうだった。


「収穫祭と言っても、私の店はあまり関係ないからね。ちょっと物流が偏るから材料が揃うかどうかっていうだけで。実はもうすぐ、この店も引っ越す予定でさ。他の仕事が控えめになってるから、材料が揃い次第、すぐ作れると思うよ」

 進捗があればセロに伝えるから、と言うとモンテは頷いて、見積もりの半金を財布から出した。私も一筆書いて魔法印を押した書類を受け取り用に渡す。

 じゃあよろしく、と言ってモンテは帰っていった。


 リナとモモは姉の家に行っている。姉やエリノアと一緒に菓子を作るのだと言っていた。あとは、通う予定の服飾専門の学校についても相談するらしい。

 私は、さっき受け取った油紙の包みを開いてみた。持った時にも思ったけれど、結構な重さがある。とても私とリナの2人だけで食べきれる量ではない。もちろん、魔法の保存箱に入れるなりなんなり、保存の方法はいくつもあるけれど。


(姉のところに持っていこう)


 リナは着々と料理のレパートリーを増やしているが、私は煮るか焼くかしかできない。せっかくのジビエだ。姉に頼んだほうが美味しく調理してくれるだろう。

 私は姉に通信を入れる。店を閉めた後に肉を持っていくから夕飯を作って欲しいと頼むと、姉は快諾してくれた。

『こないだ獲りに行っていたジビエね。ジビエだけは首都よりもオスロンのほうが豊富で嬉しいわ』

 オスロンは自然に近い街だから、肉屋でもジビエ肉がよく並ぶ。牛や豚、鶏ももちろん基本的な食肉として並んでいるけれど、鹿やウサギ、熊、アナグマ、秋冬になると山鳥や渡り鳥も並ぶ。ただ、さっきモンテが持ってきてくれたツマグロジカはあまり見かけない。セロによると、ここ数年で大陸から渡ってきて繁殖した種類なのだそうだ。



 閉店後、姉の家に行って肉を渡すと、姉は手際よく調理をしてくれた。

 しばらくの後、食卓に美味しそうなローストが並ぶ。夏野菜の残りを煮込んだ具だくさんのトマトスープと、きのこを使ったサラダもだ。リナが最近レパートリーをどんどん増やしているのは、この料理上手な姉の影響が大きいだろう。

 ツマグロジカは脂が少ないということを姉に伝えたら、グラリト油をたっぷりかけながらローストにしてくれた。グラリト油はナッツの香ばしさが美味しい植物油だ。グラリト油と塩、あとはいくつかの香辛料で香り高く、ジューシーに焼き上げられていた。


「ツマグロジカって初めてだわ。セロさんと、山の聖人トゥー・カイレに感謝を」

 姉はそう言って、我々に取り皿を配る。私も、肉のプレートに置かれていたナイフとフォークを使って切り分けた肉をそれぞれの皿にサーブした。

 本来、大きな肉を切り分けてサーブするのは年上の男性の役目だ。義兄や父がいればよかったのだろうけれど、私がエリノアの姿でサーブするのは正直に言って違和感が拭えない。とはいえ、リナはそういう風習に疎いし、姉とエリノアは私がサーブすることに違和感がないようで……まぁ、この場合は仕方がないか。

 テーブルの上で肉を配り終えた後は、もちろんモモの目の前にも肉を入れた皿を置いた。


「収穫祭が終わるまでにもう一度くらい、ジビエ狩りに行く? それともセロさんにお願いすれば売ってくれるかしら」

 ツマグロジカがお気に召したようで、姉はそう言って私を見た。

「うーん、狩り自体は私とティモだけでもなんとかできるけれど、そもそも獲物を的確に見つけるのが、セロじゃないと難しいからね。セロに聞いておくよ」

 山の中を歩くのは、私も素材採集や冒険者仕事で慣れている。けれど、野生の獣を見つけて捕らえることに関しては本職じゃないとなかなか難しい。


「そういえばアナグマも獲ったって言ってたわよね?」

「うん。でもツマグロジカとどっちがいいかって聞かれて、食べたことがなかったからこっちにしたんだ。アナグマのほうはアロイがもらうことにして、ついでにスコットさんから頼まれてるってことで、追加料金を払って1頭買いしていったよ」

 私がそう言うと、納得したように姉も笑った。

「そうね、あちらのお宅なら料理人の方がいらっしゃるから、1頭持って帰ってもちゃんと捌いてもらえるものね」


「ツマグロジカはここ数年で繁殖した外来種らしいよ」

 セロから聞きかじった知識を姉に伝える。

「あら、そうなのね。もとは大陸の鹿?」

「そうみたいだね。今のところ生態系にあまり問題は出ていないようだけど」

 獣の中には、海を泳ぐものも珍しくないというが、さすがに大陸からユラルまで、内海を泳ぎきるには距離がありすぎる。ツマグロジカ自体、あまり脂が多くないとのことなので、海水の冷たさにはあまり長く耐えられないだろう。北か南か……どちらかから陸伝いに渡ってきたのだろうということだ。外来種とはいえ、狩人たち的には「食えるからいいか」ということらしい。


(ワイバーンなら内海も簡単に渡れるのにな……)


 そう思う。

 先日、コイランから聞いた洞窟内部のことが気になっていた。コイランが把握していたワイバーンはイリニア山からヴィダス近くまで飛んだ3頭だ。けれど、実際に現場には6頭いたという。残り3頭は国内で目撃情報がないのだから、大陸から渡ってきたのだろうとコイランが言っていた。獣が泳ぎきれない内海も、ワイバーンなら簡単に飛び越えられる。


 ――全属性の魔力が貯まればドラゴンが孵化する可能性もある、とコイランは言っていた。火と土は既に充分。風、水、毒、光、闇もかなり貯まっていると。そしてセロが妖精で雷属性を補完すれば……本当にドラゴンは孵るのだろうか。

 ドラゴンの誕生、と……そう思うだけでぞくりとする。ここからほんの2日ほどの距離だ。


 それは恐ろしさではない。期待だ。わくわくとでもいうか……心をかき立てられる感じ。恐怖ではない感情で胸の奥がざわつく。

 ――ドラゴンの誕生なんて何が起こるかわからない。周囲にはワイバーンも控えている。

 セロの手の上で泳ぐ雷の妖精を見た時にも感じた、恐ろしさと共存する美しさ。あの優雅な紫色の魚よりも、もっともっと恐ろしく、もっともっと美しい存在が誕生しようとしている。


「もう少ししたら、鴨にも脂がのる季節じゃない?」

 姉の声がした。

「わ、あたし、鴨肉大好きー!」

 エリノアも幼女の姿でそう叫んだ。

「前にセロさんにもらった山鳥も美味しかったよ。なんだっけ、サワ……なんとか。ね、ベルさん、なんだっけ?」

 リナにそう呼びかけられて我に返る。


「ああ。サワロビタキだね。クセの少ない若いのを持ってきてくれたから」

 そう答える。

 ――危ない危ない。


 目の前にある幸せな食卓。私自身は妻子のない身だけれど、リナは妹か娘のようなものだ。姉だって姪だって大切な家族だ。

 モンテはその家族を失って、こちらの世界にやってきた。あの日の慟哭はモンテやその家族を知らない私にとっても胸に響いた。

 目の前のこの光景が、失ってはいけないものだっていうことくらい、私にだってわかっている。


 けれど、期待にも似た感情……もっと端的に言うなら、間近で見てみたい、という望み。恐ろしさを知っていてなお、その望みが消えることはない。

 ぞくりとした感情がただの恐ろしさではない、そのことにこそ恐ろしさを感じた。


 ――危ない。本当に危ない。




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