開始前日
鏡に映った顔を見つめながら、指で傷をなでる。
こんなにくっきりと顔に傷ができては、縁談は叶わないだろう。死を覚悟していたはずなのに、もし生き延びたらという可能性から、ついそんなことを思う。
そしてゆっくり、頭を振る。お母様とペーニョの遺体を目にしながら、なにを一人浅ましいことを……。自分だけ生にしがみつこうとするなんて、みっともない。民が望めば命を捨てる覚悟はどうしたの、パトル。
気持ちを切り替え、同じく生き残ったパニエ様の産んだ弟に尋ねる。
「お父様は?」
「茫然自失という感じですね。ちなみにコルデは泣き続け、弟妹は牢となった部屋から出せと騒いでいます」
「そう」
意外性のない答えだった。
鏡の前から立ち、今は煙の少なくなった王都を眺める。
「各地で騒動を起こし、王都へ逃げた全員を捕らえるため動く。オルグお兄様たちの策は、成功したわね」
「父は、なんとも愚かな策を選びましたから。自ら門を閉じることは、檻を作ったと同意だというのに。こちら側としては、最低人数はとうに王都へ潜ませていましたし。籠城を選ぶには遅すぎたと、今ごろ後悔しているでしょう」
今回の作戦で足りない人手は、国民から借りることにした。
お父様の不正を許さず、不満を抱く皆様はオルグお兄様と共に動いて下さった。そして扇動することで、同じように不満を持つ者たちを一つにまとめてくれた。
明日から雨天以外、城の庭園にて、身分に関係なく誰もが立ち会える環境で、裁判が始まる。きっと大勢の国民が押しかけてくるだろう。自分たちを苦しめていた者たちがどうなるか、その末路を知るために。
「それにしても、ディロが大人しいことが意外だと思いませんか?」
弟の問いかけに、同意と頷く。
リュイゼとの交渉を中断させ、ディロたちも王都へ連行させられている。捕まえようと囲んだ時から大人しく、抵抗を見せることはなかったという。ただ家族はどうなる、そう尋ねてきた、と。
あの男が家族を気にかけるとは、予想外。だけど、それで今までのなにが変わる訳ではない。罪が許される訳ではない。
「ティーゴはあの状態ですし。リフィはどうされますか?」
コルデの兄嫁、リフィは男性を相手にする店に売られ、一応生きている。だがコルデの母、マーレの語った内容によると、彼女こそセミーリャ様を殺害した首謀者の一人。許せる訳がない。
「リフィはそのままの方が、彼女にとって苦しいでしょう。時々優しい客を宛がい、正気を保たせれば良いかと」
「そうですね、そうしますか」
パニエ様の言葉に、弟は頷く。
表向きリフィは行方不明のまま。ディロは居場所を知っているのに、吐こうとしない。なぜ居場所を吐かないのかは、分からない。そして私たちがあの店へリフィを売ったことは、公開されていない。パニエ様の言う通り、このままあの店にいることが、彼女への罰となるだろう。
それにしても一体、ディロはどうしたのだろう。聞く限り、まるで別人のようだ。リュイゼの民と係わり、なにか考えを改めるきっかけでもあったのだろうか。いえ、そんな報告は入っていない。仮に本当に変わったのだとしても、民は信用しないだろう。それだけのことを、あの男は行ってきたのだ。
そして貴族の中で真っ先に捕まったデッセは、泣いて許しを請いている。
なぜ泣いたら許されると思っているのかしら。自分は泣いて許しを請う領民を、切り捨てていたくせに。
「パトル、セシア様と弟君のことは……」
「それ以上はお止めになって下さい、パニエ様。ただ悼むお気持ちで十分です。私も悲しくないと言えば、嘘になります。こういう時、残される人間というのは、こんなにも辛いのですね……。だけど私も全てが終わった時、処刑される可能性があります。死は、こんなにも身近にあるのだと、改めて思い知りました」
母と弟は、セミーリャ様と並び埋葬された。ろくな式もない寂しい見送りだったが、二人も分かってくれているだろう。
「そうね……。誰がいつ亡くなるのか、誰にも分からないものね」
パニエ様は気丈に振る舞われているが、お母様の遺体に土がかけられる中で見せた、一粒の涙。あれに全ての悲しみが込められていたと思う。セミーリャ様とお母様。二人の戦友を亡くされ、本当はもっと悲しみを見せてもおかしくないというのに……。強い方だ。
誰もがなにかを耐えているのだから。そう理由をつけて、悲しみを露わにしないよう、私も気を張っている。ただそれがいつ崩壊してしまうか。私はパニエ様ほど、強いと思えない。
「それにしても、まったく軍はなにを考えているのかしら。ベーザも困った命令を出したこと。私たちを助けようとするなんて! これでは命を賭けていると宣伝してきたことが、嘘だと思われかねないのに」
パニエ様はそう怒るが、死んでほしくない。それがベーザ様の本音であり、つい行動に出てしまったのだろう。
だけど国民が私たちの死を願ったら、それを叶えるのが約束。いくらあの場でベーザ様が命を救っても、未来がどうなるのかは分からない。無駄な動きだったかもしれない。それでもベーザ様はあの場で、五人ともに生きてほしいと願ったのだろう。
幸い、あの時、お父様と行動を共にしていた兵たちに腕はなく、むしろ恐れ震えていた。だから滑らかに体が動かせず、命令に従い私たちを殺すことができなかった。あれが手練れの兵だったら、すみやかに私たちを殺せていただろう。
私は首を切られるはずだったのに、顎から頬に向かって切られた。
ベーザ様の命令だったとはいえ、この結果を見て、民はどのような心証を抱くのか。それが心配ではある。
「とりあえず今日は休みましょう、明日から忙しくなるのだから」
パニエ様の言葉に頷く。
窓の向こうからは、赤を思わせる強い夕陽が照っている。これから太陽が眠り、人々も眠りにつく。そして再び太陽は目覚め、その姿を現す。その時が、この国が生まれ変わる初日の開始だ。




