行くことを決める二人
「ベニックス国ではつい最近まで、納税できない罪で捕らえられた罪人により、牢から人が溢れていたそうよ」
数年間暮らしていたベニックス国について、今日もある夫人が話題を振ってくる。この国に帰ってきてからというもの、ベニックス国について話題を振ってこられるお客様が多い。
「さようでございますか。それは大変なことでありましたでしょうに」
夫人の娘の採寸を測りながら、何事もないように答える。この夫人は無視をされることを嫌うので、なにか答えなければならない。だから慎重に答えを考えた上で、素早く答えなくてはならない。
「近々あの国は、大きく変わるでしょうね」
「私もその噂は聞いております。なにしろ新聞にも掲載されておりますので」
それまで黙って腕を水平に伸ばしていた娘さんが、ここで不満の声をあげる。
「ああ、お母様、つまらない話は止めてちょうだい。せっかく今日、新しいドレスをセクレート店であつらえるというのに。楽しい気持ちに水を差さないでちょうだい」
「だけどね、貴女。このサラさんは、お父様とご一緒に、あのベニックス国へ行かれ、さらにそこであの、コルデ王妃の実兄と結婚されていた時期もあるのよ?」
母親のその説明を聞き、途端に娘の表情が変わる。退屈から享楽へと、おもちゃを見つけた子どものように。
……こんなに簡単に本音を見せて、大丈夫なのかしら。
そんな心配が過るが、これは計算の一つかもしれないと思い直す。中には純粋、素直を装い、裏で画策する人も存在するのだから。しかもこのお嬢様と会うのは、今日が初めて。どんな人物か決めるには、まだ情報が足りない。決めつけるのは、早急すぎる。
「まあ、そうでしたのね。では、あの噂の国王夫妻に会われたことがあるの?」
「私が結婚していた頃は、前王妃、セミーリャ様がご存命でしたので。国王陛下、セミーリャ王妃については新年会などで、拝顔できたことはございますが、直接やり取りを交わしたことはございません」
「そうでしたわね、コルデ王妃は男爵家出身。陛下や王妃から、直接お声かけされるような立場ではないわね」
夫人が扇を広げる。その下では、下劣な笑みを浮かべていることだろう。見える目が、それを語っている。
「ではコルデ王妃は本当に噂通り、豪遊される方なの? 一緒に暮らしていた頃から、そうだったの?」
「国王に気に入られておりましたので、よくお一人だけ、城に呼ばれてはおりました。そこでどのように振る舞われていたのか、私は存じません」
ここから現王妃、コルデに関する質問が母娘から浴びせられ始めた。誰でも知られていることしか口にせず、彼女たちの飢えを満たさないよう、気を配る。ややあって……。
「今日も負けね」
扇を閉じ、夫人は宣言した。終わったのだと、少し肩の力を抜かす。
お嬢様とは今日が初対面だが、夫人とは何度も面識がある。そのたび、今日のようになにか聞き出そうとしてくる困った客だと、セクレート店では評されている。だが引き際を決め、これ以上は無駄だと判断すると、質問を止める女性でもある。
「さすがセクレート店の店員、しっかり教育されていること」
「痛み入ります」
父も弟も勤めている洋服ブランド、セクレート店。この店には、政治には関わらない、顧客の情報を漏らさない。客は平等に扱う等、幾つか接待について決まりがある。知り得た情報を漏らさない秘匿性はもちろん、デザイン、質、完成度も合わさり、セクレート店は世界的ブランドと呼ばれている。
「なにが政治利用されるか分からない。だから誰でも知っていることしか答えない、全従業員が固く守っている店の決まり。相変わらず見事ね」
秘密を教えてくれないことは不満だが、店への接客面を褒めてはくれるので礼を述べる。
もともと母親は注意人物であったが、やり取りから、娘も気をつけるべきと報告を行おう。
母親も普段は愚痴が多いのだが、なにか面白そうなネタを仕入れては、こうして私達から話を聞き出そうとするのだから、困ったものだ。支払いが遅延したことはなく、聞き出そうという行為さえなければ、上得意の客なのに。
一方でこの夫人は、我々を試しているのではという意見もある。試し、成功したからこそ、誰にも言えない愚痴を私たちの前では口にされるのだと。そういう客が多いのも確かだ。ただやはり、他の人より聞き出そう、知りたいという姿勢が強い気がする。
「だけどねえ、もうすぐ罰される人たちに気を配る必要があるのかしら」
無反応を貫きたかったが、つい動きが止まる。
ベニックス国の国王夫妻が処刑される日が遠くないという噂は、世界各国に広がっている。同時に、他の一部貴族も罰されるとも。
「オルグ殿下も動き出したという噂だし」
私が悪名高い、コルデ王妃の実兄、ティーゴと結婚していたという話は、誰が広めようとした訳ではないが、セクレート店の本店があるこの国では有名である。だから誰かから、こういう話をされることは、予想していた。
だが実際に言われると……。
呼吸が乱れてくる、手が震える。落ちつかなくては。今はまだ、コルデさん夫婦だけの話なのだから。その周囲の人について、話題になっていない。だけど、コルデさん夫婦だけの話ではないと暗に訴えられている。
「裁判が行われるという噂もあるわね。愚王に、どのような判決が下されるのかしら」
「あら、お母様、そんなの決まっていてよ。処刑よ」
『処刑』という言葉に震えた腕が当たり、裁縫箱を落として中身を散らばらせる。
「申し訳ございません」
慌てて拾っている私を見ている夫人の目が、語る。勝った、と。
いいえ、大丈夫。動揺することは不自然ではない。だって一応、コルデさんと短い間でも義理の姉妹だったのだから。それを言い訳にできる。
あの家で見聞きしたこと、秘匿すべきことは客に明かしていない。特にあの、暗殺計画は。あれだけは父と私だけの秘密。墓場まで持っていくつもりだ。
店に帰ると、どっと疲労に襲われる。すぐに控室へ向かうと、椅子に腰かける。母娘についての報告は、少し休んでから行おう。
「大丈夫? またベニックス国について質問責めにされたのではなくて? ベニックス国について知りたく、貴女を名指しされるお客様が増えたものね」
友人が淹れ立ての紅茶と一緒に、お菓子を持ってきてくれる。
弱々しく微笑み、ティーカップを持ち上げる。
「……大丈夫。ただ、想像してしまったの……。処刑される光景を」
そう答えると、紅茶を飲む。温もりが全身に広がる。
友人はなんと言えばいいのか、言葉を選んでいるようだ。私が誰の処刑を気にしているのか、言わなくても、分かってくれているのだろう。
「それより、本当に良いの? 私と一緒に、ベニックス国へ向かうなんて」
「今も考えは変わらないわ。私だって、他人事ではないし」
そう言うと正面に座った友人も、ティーカップに口をつける。それからカップをソーサーに戻し、真っ直ぐ私を見つめると言う。
「私も見届け、終わらせたいの」
「分かったわ、ジェーン。一緒にベニックス国へ行きましょう」
ラコーレ国からやって来た、コルデさんに迷惑をかけられた友人、ジェーンは頷いた。




