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オデッセイ  作者: 右田優
12/20

終わりなき者 2

 ピッチフォークを使い、干し草の中から馬の糞を集めると、それを台車に載せる。

 ハリー少年は朝の4時半に起きてから、広い厩舎の馬房を母親と一緒に順番に清掃していた。オリバーは農場の近くに車を停めると、巨大な敷地の中に建つたくさんの厩舎をひとつずつ覗いていき、そのうちのひとつにハリー少年が働いているのを見つけ出した。彼はハリーの小さな背中に声をかけた。

「よう、やってるな」

少年は動かしていた手を止めて顔を上げると、一瞬驚いた表情をしてからすぐに口元を緩ませた。

「オリバー! どうしたの?」

「例の魔法、見つけたぞ」

少年はピッチフォークを壁に立てかけるとオリバーに駆け寄っていった。

「本当に? 嬉しい」 

「少し聞きたいこともあるしな」

ハリー少年の背後の馬房から、つばの広い麦藁帽子をかぶった30代前半から半ばくらいの目鼻立ちのくっきりとした女性が一輪車を押しながら出てきた。彼女はオリバーを目にすると少し困った顔をしたが、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。

「ハリー、どなた様?」

「母さん。昨日話した人だよ。怪我をした僕をここまで送ってくれたんだ」

「オリバーだ」と言って彼は右手を差し出した。

「ソフィア・ヘイワ―スよ」と彼女は言うと、オリバーの手を握り返した。見た目よりも強い力だった。「息子がずいぶんお世話になったみたいね。どうもありがとう」

彼女は艶やかな黒い髪とアーモンド型の目をしていた。瞳の色は違うが、目の形が息子とそっくりだった。痩せ型で背は高く、農場で働いているわりに肌は白い。化粧をすればずいぶんと感じが変わりそうだなとオリバーは思った。

「たまたま通りかかっただけだから気にしないでくれ。今日は息子さんに伝えたいことがあってきた」

 ソフィアは首にかけているタオルで顔を拭うと、息子に向かって笑いかけた。

「ハリー、今日の仕事はほとんど終わったから先に戻っていいわ。戸棚にクッキーが入ってるからお茶にしなさい」

ハリー少年は嬉しそうにうなずくと、馬の頭を撫でてからオリバーの手を握ってにっこり微笑んだ。

「僕の部屋に行こう。今日オーナーの家族は出かけてるんだ」


 親子が住んでいるのは沢山ある厩舎のうちのひとつだった。馬房の並んだ一番手前に扉があり、扉を開くと中は広いワンルームになっている。小さなキッチンにベッドがふたつ、テーブルがひとつにタンスと薄型テレビ、ステレオセットが置かれている。窓際とテーブルには鉢植えが飾られている。ハリーとソフィアが並んで写っている写真立ての隣には、小さな天使の像が置いてあった。

「父親の写真は飾ってないのか?」

「うん。父さんの写真は一枚もない。母さんは父さんのことをほとんど何も話してくれないんだ」と少年が明るい声で言った。「まあ全然いいんだけどね」

壁には沢山の鍬やスコップ、レーキがかけられているが、それを別にすればなかなか住み心地の良さそうな趣味の良い部屋だった。少なくとも普段オリバーが寝泊まりしている安モーテルや、値段が高い割に狭くて使い勝手の悪いホテルよりずっといい。

ハリーはクッキーののった皿をテーブルの上に置くと、魔法瓶のお湯とティーバッグを使って二人分の紅茶をいれた。

「母さんが焼いたクッキーだよ。いまお茶いれるからそこに座って」

オリバーはうなずくと椅子に腰を下ろした。がっしりとした、座り心地のいい椅子だった。

「足はもう平気なのか?」

「うん。もう治った。昔から怪我の治りは早いんだ」

 ハリーはティーバッグを取り出してゴミ箱に捨てると、カップをオリバーの前に置いた。

「いい部屋に住んでるじゃないか」

「今まで住んでいたところに比べたらずっとマシだよ」と言ってハリーも席に着いた。「ねえ、僕の母さんって美人だろ」

「そうだな」

ハリーがいたずらっぽくオリバーの顔を見た。

「彼氏を作ろうと思えばいくらでもできるのに、もったいないよね。料理も上手なんだよ」

「自慢のお母さんなんだな」

「うん。ねえ、オリバーは結婚してるの?」

「してない」

「恋人はいないの?」

「残念ながらモテないんでね」とオリバーは事実を客観的に述べた。「ここにはいつ越してきたんだ?」

「去年隣の街から越してきたんだ」

「ここの仕事はきついか?」

「まあね。僕たちがここに来た後も若い人が何人か働きに来たけど、みんなすぐに辞めちゃったよ。朝は早いし、ずっと掃除ばっかりだからね」

「そうか」

「仕事はきついしオーナーの息子には腹立つけど、僕も母さんも動物が好きだから、しばらくはここで働きたいな」

オリバーはうなずくと、ポケットからメモを取り出してハリーに渡した。

「疲労に効果のあるまじないだ。危険性がないぶん効き目も微妙だ」

 ハリーは微笑んでメモを受け取った。「ありがとう」

 オリバーは出されたお茶を一口飲む。

「ところで最近、変な噂や事件を耳にしたことはないか?」

 ハリーが少し首を傾げた。「たとえばどんな?」

「動物が血を抜かれて殺されるとか、そういうおかしな噂だ」

 ハリーは少し考えてから言った。「そういえば1ヶ月くらい前に近くで鹿が殺されたって保安官から聞いた。血がなかったみたい」

 オリバーは首を振った。「他にはどうだ?」

「他には知らない。ねえ、それが世界を守るのとどう関係してるの?」とハリーがクッキーを口に入れながら言った。

「世界を守るにはまず地道な調査からなんだ」

「意外に地味なんだね」

少年は少し話をする。ここにいる馬たちのこと、学校のこと、友達のこと、昔住んでいた街のこと。それからオリバーについて尋ねる。オリバーは過去のことを他人に向かって話すのが苦手だ。ましてや10歳の少年相手に打ち明けられる過去でもない。加えて彼の暮らしは、どう控えめに言っても普通の生活とはかけ離れていた。オリバーは適当に話を逸らしてその場をやり過ごした。

 ハリー少年と他愛もない話をしているうちに、流し台からボコボコという水の流れる音がしてきた。少年はため息をついて椅子から立ち上がると、流しの下を開いて覗いた。

彼はうんざりしたように棚から修理道具を取り出すと、慣れた様子で工具を手に取った。

「住み心地はいいんだけどさ、古いからあちこちガタがきてるんだ」


あっという間に排水管を取り外し、ディスポーザに詰まっていたレモンの皮をオリバーが捨てると、そばで見ていたハリーが感心したように言った。

「そこが壊れてたのか、全然気がつかなかったな」

オリバーが修理道具を片付けながら尋ねた。「ついでだから他にも修理しておくか?」

「いいの?」とハリーが明るい声で言った。「空調からたまに変な音がするんだよね」

 空調の修理が終わると、ハリー少年はオリバーを連れて広い牧場を案内してまわった。 ハリー少年の飾り気のない話し方と自分よりずっと低い視線は、子供の頃の荒れていた自分を自然と思い出させた。しかし不思議と感傷的な気分にはならなかった。それはなんだかすごく奇妙な感じのものだった。

 散歩が終わると、ハリー少年に頼まれてキャッチボールに付き合った。

少年はボールを投げながら、こういうのに憧れてたんだよねと言って笑った。

 午後も4時になると風が吹き始め、高原の気温は急激に下がりはじめた。オリバーがそろそろモーテルに戻ろうとすると、ハリーが一緒に夕飯を食べていってくれとオリバーにせがんだ。そこに工具セットを持ったソフィアがやってくると、是非そうしてくれと彼女も同意した。

「いろいろ修理してもらったんだからお礼くらいさせて。簡単なものしか作れないけど」

 オリバーはその申し出を断ろうとしたが、ハリーは彼の手を握ると、握った手を勢いよく振った。

「ねえ、いいじゃんオリバー。ご飯食べていってよ」

 ソフィアが言った。「私からも是非お願いするわ」

「ありがたいお誘いだか、連れがいるんだ」

 ソフィアはオリバーの目をじっと見つめると、胸元にそっと手をやった。それから息子に向かって言った。

「ハリー、念のため戸締りの確認をしてきてくれる? あとレンチが1本足りないんだけどトラクターの下を見てきてくれないかしら?」

少年は短くうなずくと、懐中電灯を持って勢いよく駆け出していった。

オリバーはソフィアの手元を注意深く覗き込んだ。

「変わったネックレスだな。銀か?」

ソフィアは軽く微笑むと、十字架の刻まれた銃弾を指でつまんでオリバーに見せた。

「ええ。亡くなった父の形見なの」

「お父さんはいつ頃亡くなったんだ?」

「ずいぶん昔よ。私は父を心から尊敬していた。疲れたりすると、これに触れて父の言葉を思い出すの。そうすると不思議と元気になるの」

オリバーはうなずいた。「余計なお世話だろうが、少しはハリーに父親のことを教えたほうがいいかもしれない」

「そうね」と彼女は言った。「私もそう思うわ」

 オリバーは軽く手を振ってソフィアから離れた場所に移動すると、携帯電話を取り出してライアンに連絡をした。一度目のコールで彼女は電話に出た。

「オリバーは今どこにいるんですか?」

「街から30分ほど離れたサリヴァン農場にいる。考えすぎかもしれんがここの従業員が少し気になる。もう少し様子を見てから部屋に戻る」



         ♦♦♦   ♦♦♦   ♦♦♦   ♦♦♦   



 ライアンは黒のキャスケットをかぶり、黒のピーコートを着こんで朝からずっとジョシュのことを見張っていた。ジョシュはほとんど一日中トレーラーにこもりきりで滅多に表へ出てこなかっが、今から二時間ほど前にシボレーへ移動すると、しばらく運転席で拳銃の手入れをしていた。やがて彼はシートを横に倒すと、顔の上に雑談をのせてそのまま眠ってしまった。

 あたりが少しずつ暗くなってくると、彼女は手にしていた双眼鏡を下ろし、時計を見てから今日はもう引き上げようかと携帯に手を伸ばした。そのときちょうどオリバーから着信があった。

「俺だ」

「オリバーは今どこにいるんですか?」

「街から30分ほど離れたサリヴァン農場にいる。考えすぎかもしれんが、ここの従業員が気になる。もう少し様子を見てから戻る。そっちはどんな感じだ?」

「彼はもう二時間くらい身動きひとつせずに眠っています」

「二時間も動いていないのか?」

 言われてみればもうずっとジョシュは動いていなかった。ライアンは顔を上げると、もう一度双眼鏡で暗い車内を覗いた。やはりジョシュはピクリとも動かない。彼女は携帯を耳にあてたまま、足音を忍ばせ、静かにシボレーに近寄っていった。

「オリバー……」

ライアンはそう呟くと、シボレーのドアをそっと開いた。

運転席には長い枕が横たえられていた。枕はさっきまでジョシュが着ていたコートに包まれ、その上には雑誌が置かれていた。雑誌をどかしてみるとピンク色の付箋が目に入った。付箋には舌を出している犬のイラストとともに大きな文字で(残念でした! お嬢さん!)と書かれてあった。

 彼女はメモを見つめながらひっそりと息をついた。

「すみません。撒かれたみたいです」

それを聞いたオリバーは、電話の向こうで言葉にならない声を出した。

「いいか、今すぐそこから離れろ。つけられないように注意して戻るんだ」

電話の向こうでオリバーを呼ぶ女の声が聞こえた。それからすぐに携帯が地面に落下する音がした。

「オリバー? どうしたんですか?」

 通話は一方的に途切れた。ライアンはすぐに体の向きを変えるとその場から走り出した。








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