終わりなき者 1
オリバーとライアンは図書館に入ると地元の新聞を何時間も読み漁った。
今から10年前、グランドジャンクションから120キロほど離れたコロラド州西部に位置するのどかな街では6人の若い男女が何者かによって殺害されていた。その事件は当時イギリスにいたオリバーの耳にも届くほど大々的にニュースになったのを彼は覚えていた。当時の新聞によると事件が起きる前、その田舎街では牛と鶏が血を抜き取られて殺されるという出来事が頻繁に起きていた。そしてここグランドジャンクションでも、二人の釣り人が殺害されるちょうど1年前から動物が血を抜かれ、殺されているのが計10件近く報告されていた。
しかし手元にある一覧によると、動物が殺される事件が起き始めた1年前にこの街へ移住してきた人間の数は全部で185人もいた。この数の中から犯人らしき人物を特定し、調査するのはほとんど不可能なことだった。オリバーはため息をつくと図書館を後にした。
オリバーは役所に向かう道すがら、通りかかったダイナーの駐車場に特徴のあるカスタムペイントが施された、シボレーシルバラードが停まっていることに気がついた。
彼は急ブレーキをかけてRAV4をダイナーの駐車場に入れると、シルバラードから一番離れた場所に車を停めた。
「どうしたんですか?」
オリバーは首を振った。「たぶん知っている奴の車だ」
「お友達ではないみたいですね」
「あり得ない」
オリバーはすぐに戻るとライアンに言い残して車から降りると、早足でシルバラードに近づいて行った。しばらくすると彼は見るからに不機嫌そうな顔をして戻ってきた。
「どうでしたか?」
「間違いない。ジョシュの車だ」
オリバーはトランクから双眼鏡を引っ張り出すと店内を覗きはじめた。ほとんど客のいない店内には、カップルが1組とカップルから離れた席に鋭い目をした50代後半の男が座っているだけだ。男は髪をポニーテールにして長い黒のレザーのコートを着ている。
「あの野郎まだ生きていたのか……」とオリバーは焦点を調整しながら言った。
男は新聞や雑誌の切り抜きが沢山貼られた手帳にボールペンで何かを書き込んでいた。胸板は分厚く、腕は太い。レスラーになってもおかしくない体格だ。
ライアンが自分も覗きたそうにしていたのでオリバーは双眼鏡を彼女に手渡した。
「一番端の席に座っているガタイのいい野郎がジョシュだ。相変わらずダサい格好してやがる」
「ださい?」と言ってライアンは双眼鏡を下ろすと、眉を寄せた。「いったいどんな人なんですか?」
オリバーは腕を組んで何事かをしばらく考え込んでいた。
「あいつはあくどい吸血鬼ハンターだ」
「吸血鬼ハンター」とライアンは繰り返した。
「あいつは確かに腕がいい。だが奴の殺し方は異常なくらい残虐だ。元はリチャードから仕事を請け負っていた」
「彼とは顔を合わせたくないんですね?」
「そうだ」
「でも動向が気になる」
「そうだ」
彼女は帽子を深くかぶり直すと、リュックから度の入っていないメガネを取り出してそれをかけた。
「オリバーは予定通り事件現場と役所に行ってください。私が彼の後をつけます」
「ひとりで大丈夫か?」
「尾行は何よりも得意です」
オリバーが役所から出て車に戻る途中、ビルとビルの間あたりにガラの悪そうな少年たちが集まって輪になり、口々に何かを怒鳴っているのが目に入った。オリバーが近くに寄ってみると、ひとりの小柄な少年が輪の中央で地面に横たわっているのが見えた。
「おい、なにやってんだ」
少年たちが一斉にオリバーに振り返った。
「なんだよ、おっさんには関係ねえだろうが」とその中のひとりのリーダーらしき少年が言った。
オリバーはかまわずに歩いて近づいた。地面に横たわっている小柄な少年は、口の端から微かに血を流していた。取り囲まれている少年はまだ11歳か12歳くらいに見えた。獲物を囲んでいるガラの悪い少年たちはライアンと同じくらいの14歳前後といったところだった。まったく、と彼は思った。ライアンとは大違いだ。少年らは皆驚いた顔をして押し黙っている。
「お前ら寄ってたかってずいぶん卑怯なんだな。何があったかは知らんが喧嘩はサシでやるもんだ」
オリバーはスーツのポケットからタロットカードを取り出すと、まわりから見えないように小さな声で呪文を唱えた。カードはすぐに警察官の名刺に変化した。彼はその名刺を少年らに掲げて見せた。
「全員署でじっくり話を聞くぞ」
地面に倒れてこんでいた少年は一瞬奇妙な顔をしたが、すぐに身体を起こすと膝についた泥を払い、自分を取り囲んでいる少年たちを刺すような目つきで睨みつけた。少年らはそれぞれ短い捨て台詞を吐きながらその場から走り去って行った。
オリバーがあきれたように首を振った。
「おいお前、大丈夫か?」
小柄で整った顔の少年は、オリバーの顔を見て短くうなずいた。
オリバーが腕を組んで言った。「あのなあ、自分の身くらいは自分で守れるようになれ。男だろ」
少年はアーモンド形の大きなヘーゼル色の目で、いくぶん挑戦的にオリバーのことを見上げた。
「わかってるよ」と少年はぶっきらぼうに言う。「でもあいつは母さんが働いてる農場のオーナーの息子なんだ。逆らったら母さんがいじめられる」
オリバーは短いため息をついた。
「そうか、でもそんなことは関係ない。相手に隙を見せるな」
少年は唇をきつく噛んで黙り込んだ。
「じゃあ元気でやれよ」
オリバーが軽く手を振ってそこから立ち去ろうとしたとき、背後で少年が小さな呻き声を上げるのが聞こえた。
「どうした?」
どうやら少年は足を捻っているようだった。
「まだ痛むか?」
オリバーはハンドルを握り、通り過ぎていく街の風景をぼんやり眺めながら訊いた。
ハリー・ヘイワ―スはまっすぐに前を見ながら用心深くうなずいた。
「少し」
「なんでいじめられてたんだ?」
「僕がクラスで一番成績が良くて、一番女の子にモテるから」
「言うじゃないか」
オリバーは助手席に座っているハリー少年の顔を見た。その表情はいかにも強情そうだった。
「だって本当のことだよ」、ハリー少年がオリバーの横顔を見ながら言った。「ねえ、さっきのどうやってやったの?」
「なんのことだ?」
「とぼけるなよ。さっき変な絵のカードを名刺に変身させたよね。どうやったの?」
「これか?」と言ってオリバーがポケットからタロットカードを取り出してハリー少年に見せた。少年は顔をカードに近づけてしばらく眺めていた。
「どういう仕掛けなの?」
「このタロットにはタネも仕掛けもない。本物の黒魔術だ」
「手品じゃないの?」
オリバーはハンドルを握ったままタロットカードに向かって短い呪文を唱えた。それを裏返しにすると、カードは一瞬でクレジットカードに変化した。彼はそのカードを助手席のハリーに渡した。
「すごい」と言ってハリーが目を丸くした。「おじさんは魔法使いなの?」
「まあ、そういうことになるな」
「僕にもできる?」
「もちろん簡単にはできない」
「他にはどんな魔法ができるの?」とハリーは言うとオリバーにカードを返して助手席から身を乗り出した。「僕も魔法でお母さんを驚かせたい」
「魔術には代償が付き物だ」
「ふうん。でもさ、カードを変身させるくらいなら代償もたいしたことないんでしょう? どうせすぐ元に戻っちゃうんだろうし」
「その通りだ」とオリバーは感心して言った。10歳にしてはなかなか勘が鋭い。「なんでお母さんなんだ?」
「母さんは朝から晩までずっと働き詰めなんだ。僕の前ではいつも笑ってるけど本当はすごく疲れてる。牧場の仕事は重労働だから、疲れが取れる魔法があったら教えてもらいたいなと思って」
「お前、父親はいないのか?」
「父さんは僕が生まれてすぐに病気で亡くなったんだ」
「兄弟はいるのか?」
「僕と母さんだけだよ」
オリバーはうなずいた。「どこかにはあるだろうが俺は知らない。できるやつを知ってるがあれは魔法じゃない。天性だ」
「そっか」とハリー少年は言った。「ねえ、他に魔法でどんなことができるの?」
「ここだけの話だが、人知れず悪魔や怪物どもから世界を守っている」
ハリー少年は何度か瞬きをすると、オリバーの横顔を興味深そうにまじまじと見つめた。
「じゃあおじさんはヒーローなんだね」
「そんなんじゃない。ただの比喩だから気にするな」
少年は肩をすくめた。「秘密にするように言われてるけど、母さんはロマ民族の血をひいてるんだ。だからお守りとかまじないの道具なら家にいっぱいあるよ。僕には絶対に教えてくれないけど」
「なるほど」
「悪いことをしたら地獄に落ちるって母さんはよく言ってる。だから悪魔とか怪物がいても僕は別に驚かないな。別に見たくはないけど」
「そうだな」とオリバーは静かな声で返事をした。俺だってそんなものが現実に存在してるなんて知りたくはなかった、と彼は思った。
「僕も大人になったら悪い奴らから世界を守りたい」、ハリー少年はそう言うと少し考えこんでから首を振った。「やっぱ世界じゃなくて母さんだけ守れればいいや」
「ずいぶん優しいお母さんなんだな」
「うん。僕が大人になったら必ず楽な暮らしをさせてあげるんだ」
雑木林沿いの広い道路を30分ほど走ると、やがてひらけた場所に広い農場が見えてきた。
「僕と母さんはここに住み込みで働いているんだ」
ハリー少年は車から降りると運転席側に回り込み、窓際に手をかけてオリバーの顔を正面から見つめた。
「今日は助けてくれてありがとう」
少年は目を輝かせながら屈託のない笑みを口元に浮かべた。
ハリー少年のその笑顔はオリバーが長いこと目にしていなかった混じり気のない笑顔だった。それは彼の冷えきっていた心を僅かにだが温くさせた。
オリバーはポケットから自然と名刺を取り出すと、それをハリーに渡した。
「何か困ったことがあったら連絡してこい。助けになるかは保証しないが」
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オリバーは備え付けのグラスに自分でウイスキーを注ぎ、それを舐めるように少しずつ飲んだ。
ライアンは地図とパソコンを交互に見ながら言った。「ジョシュ・パネッティーアはここから3キロほど離れた廃倉庫の前にトレーラーを停めています。たぶん彼はそこで寝泊まりしているんだと思います」
オリバーは短く首を振った。
「そうか、ご苦労だったな」
オリバーがライアンに手を見せるように言うと、彼女は伏し目がちにそっと手を差し出した。彼は青い筋がうっすらと透けて見えるライアンの小さな手の甲に遠慮なく油性マジックで魔除けの紋様を書いていった。
「お前少し熱があるんじゃないか? 手が熱いぞ」
少女は慌てたように視線を泳がせた。
「なんでもありません」とライアンは言った。それから軽くうつむいた。「やっぱりこの街には吸血鬼がいるんでしょうね」
「ほぼ間違いないな」とオリバーはマジックを持つ手を動かしながら言った。「ところで川のそばにある廃墟には見当がついたか?」
「インターネットに電話をかけてみたんですが見つかりませんでした」
オリバーは少しだけ眉をひそめた。「そうか」
手に魔除けを書き終えると、少女は生真面目な顔つきで礼を言ってからテーブルの上に地図を広げた。地図にはサインペンで至る所に印が書かれている。
「たぶんコロラド川沿いだとは思うんですけど、範囲が広くてなかなか調べられません」
「ナンバーはコロラド州だったからここから近いだろう」
「だといいんですが」
「せめてもう少し手掛かりがあればな」
彼は地図をどかすと部屋の中央にテーブルを移動させ、クロスをかけてからキャンドルを並べはじめた。
「何をするんですか?」
「古代ゲルマン民族に伝わる魔術だ。まあ俺がやっても滅多に当たらないがな」
ふとアルマの顔が浮かんだが、魔女に借りを作るのはごめんだ、と彼は考え直した。
「じゃあもう少しこの街で調査をするんですね?」
「なんで若干嬉しそうなんだ?」とオリバーが眉間にしわを寄せて言った。
ライアンは急いで首を振った。「どうして彼らが選ばれたのかを知りたいんです。あれは普通の悪魔じゃありませんでした。あんなに強力な悪魔を私は知らない。あれは王家の一族かもしれません」
オリバーは喉の奥でほんの小さく音を立てた。
「堕落の魔王とその子供たちか」
「そうです。もし本当に契約者の命を奪う気がなかったなら、いったいどこに連れて行こうとしたんでしょうか」
「疑問が多すぎるわりに手掛かりが少なすぎるな」
オリバーは鞄から布の袋を取り出すと、中からルーン文字の刻まれた小さな石を取り出した。彼は部屋の明かりを消すと両手で小石を包み、呪文を唱えてからクロスの上にばら撒いた。石は硬いた音を立てながら散らばっていった。
ライアンは少し離れた場所から小さな石にしばらく目を向けていた。少女は何かを後悔しているようにも見えた。俺と行動を共にしているのを煩わしく思っているのかもしれないな、とオリバーは思った。しかしライアンにどう思われていようとオリバーはとくに気にならなかった。彼は少女の存在が貴重なことを知っていたし、その能力は然るべき人間に見守られ、慎重に管理されることが正しいことだとオリバーは思った。つまり俺は御者だ。彼は視線を机に戻すと難しい顔をして石を眺めた。
「家畜、終わり、悲しみ、太陽、馬だと?」
ライアンはこめかみに手を当てた。「これはずいぶん古い文字ですね」
「最古のルーン文字、フサクルだ」
「ケルト人のオガム文字にも似てますね」
「よく知ってるな」とオリバーは言って目細めた。「家畜に馬といったらおそらく牧場だろうな。あとはわからん。明日一日だけ様子を見る。それで手掛かりを見つからなかったらリンカーンに向かうぞ」
ライアンは黙ってオリバーの顔を見ていた。
「俺は明日知り合いのいる牧場に行ってくる。お前には悪いが引き続きジョシュを見張ってくれるか?」
「わかりました」
オリバーは手を伸ばしてライアンの肩の上に置くと、いっとき沈黙してから口を開いた。
「あいつは危険だ。くれぐれも見つからないように気をつけろ。少しでも異変を感じたらすぐ奴から離れるんだ。いいな?」
少女は顔を上げると少しだけ微笑んだ。
「はい。お役に立てるなら嬉しいです」




