6.王都への道
出発の朝が来た。
いつもより早く目が覚めた俺は、窓の外を眺めた。
朝霧の向こうに、見慣れた畑が広がっている。
十四年間、毎日のように見てきた景色だ。
今日で、しばらく見納めになる。
「……いよいよか」
荷物を背負い、部屋を出た。
左肩には、まだ少し痛みが残っている。
昨日の魔物騒ぎで無理をしたせいだ。
しばらくは激しい稽古を控えるよう、治療師にも言われている。
(……出発早々、情けないな)
まあ、仕方ない。
今は治すことを優先しよう。
「カイル、忘れ物はない?」
母さんが心配そうに尋ねてきた。
「大丈夫だって。昨日も確認しただろ?」
「そうだけど……」
母さんは小さな包みを差し出した。
「これも持っていきなさい。傷に使う薬草よ」
「ありがとう」
父さんも玄関先で待っていた。
「カイル」
「何?」
「これを持っていけ」
差し出されたのは、使い込まれた革手袋だった。
「畑仕事で使ってたやつ?」
「ああ。旅先じゃ何が必要になるかわからんだろ」
「……王都で畑でも耕すの?」
「馬鹿言え。荷物を運ぶときにも使えるだろ」
確かに、その通りだ。
「ありがとう。大事に使うよ」
「おう」
兄さんが俺の肩を軽く叩こうとして、途中で手を止めた。
「……そういえば、怪我してたな」
「忘れてたのかよ」
「ははっ! 悪い悪い!」
相変わらずの兄だ。
「元気でな、カイル」
「うん」
父さんも頷いた。
「胸を張って行ってこい!」
俺は家族に頭を下げた。
「……行ってきます!」
◇
中央広場には、すでに騎士団が集まっていた。
騎士たちの馬と、王都へ向かうために手配された荷馬車。
その周囲には、見送りに来た村人たちが集まっている。
「カイル!」
エドが手を振っていた。
隣にはミナもいる。
「足は大丈夫か?」
「ああ。まだ少し痛むけどな」
エドは照れくさそうに笑った。
「昨日は……助かった」
「俺一人じゃどうにもならなかったけどな」
「それでも、ありがとな」
エドが右手を差し出した。
俺も握り返す。
「次に会うときは、もっと強くなってるからな!」
「俺も負けないぞ」
「言ったな!」
俺たちは笑った。
「カイル、これ!」
ミナが小さな袋を差し出してきた。
「うちのパン! 旅の途中で食べてね!」
「ありがとう。助かるよ」
「王都に行っても、あたしたちのこと忘れないでね!」
「忘れるわけないだろ」
ミナは嬉しそうに笑った。
そこへ、リリアがやってきた。
「……カイル」
「おはよう、リリア」
「……おはよう」
彼女も小さな鞄を肩にかけていた。
両親に見送られてきたらしく、少し目が赤い。
「準備できた?」
「……うん」
「じゃあ、行くか」
「……うん!」
リリアは俺の隣に並んだ。
そして、いつものように袖を掴んだ。
「カイル、リリア!」
ガルド副隊長が声をかけてきた。
「そろそろ出発するぞ!」
「はい!」
「……はい!」
俺たちは馬車へ向かった。
振り返ると、父さんと母さんが手を振っていた。
兄さんも、エドも、ミナもいる。
「行ってきます!」
俺は大きく手を振った。
リリアも隣で小さく手を振る。
やがて馬車が動き出した。
見慣れた建物が、少しずつ遠ざかっていく。
「……カイル」
「ん?」
「……ちょっと寂しいね」
「そうだな」
俺も村を見つめた。
寂しくないと言えば嘘になる。
だが、それ以上に胸が高鳴っていた。
「でも、楽しみだ」
「……うん」
リリアが微笑んだ。
「……私も、カイルと一緒だから楽しみ」
俺は前を向いた。
王都への旅が始まった。
◇
村を出てしばらくすると、景色が変わり始めた。
畑が減り、木々の間を通る道が増えていく。
そして、馬車が思っていた以上に揺れた。
「……うぅ」
隣のリリアが小さく呻いた。
「大丈夫か?」
「……ちょっと、揺れるね」
「俺も腰が痛くなってきた」
前世には車や電車があったが、この世界では馬車が主な移動手段だ。
舗装された道路なんて、ほとんどない。
当然、乗り心地もよろしくない。
「カイル」
馬車の横から、レオンさんが声をかけてきた。
「肩の具合はどうだ?」
「まだ少し痛みますけど、大丈夫です」
「そうか。今日は無理をするなよ」
「はい」
レオンさんは頷いた。
「ところで、王都に着いたら何がしたい?」
「まずは、強い人の戦い方を見てみたいですね」
「ははっ! お前らしいな」
レオンさんは笑った。
「王都には腕の立つ騎士も、魔法使いもいる。お前なら、見ているだけでも何か学ぶだろう」
「楽しみです」
「ただし、肩が治るまでは大人しくしてろよ」
「……わかりました」
どうやら、しばらくは見学専門になりそうだ。
それも悪くない。
前世でも、強い選手の動きを観察することは大切な稽古だった。
実際に動けなくても、学べることはある。
「……カイル」
リリアが袖を引いた。
「ん?」
「……王都では、私も一緒に見学していい?」
「もちろん。興味があるならな」
「……うん!」
リリアは嬉しそうだった。
どうやら、王都での楽しみが一つ増えたらしい。
◇
昼過ぎ。
馬車は街道沿いの検問所に到着した。
門の前には兵士が立ち、通行人や荷物を確認している。
「止まれ!」
ガルド副隊長が馬から降り、書類を差し出した。
「王国第三騎士隊だ。ベルク村での巡回を終え、王都へ戻るところだ」
「確認します」
兵士は書類に目を通した。
そして、俺たちを見る。
「この二人は?」
「王都への推薦者だ」
「なるほど」
兵士は頷いた。
リリアの書類を見ると、少し驚いた顔になった。
「……魔力測定不能?」
「ああ。王都で詳しく調べてもらう予定だ」
「それはすごいな」
兵士が感心したようにリリアを見る。
「君が?」
「……は、はい」
「将来は立派な魔法使いになれるかもしれないな」
「……ありがとうございます」
リリアは小さく頭を下げた。
次に、兵士が俺の書類を確認する。
「……魔力ゼロ?」
「はい」
「それで、実技能力による特別審査を希望しているのか」
「はい」
兵士は少し考え込んだ。
「珍しいな。実技だけで推薦される者は、そう多くないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。ただ、魔力を使えないとなると、訓練も大変だろうな」
まあ、そうだろう。
俺自身、覚悟はしている。
「……あの」
リリアが小さく手を上げた。
「ん?」
「……カイルは、強いです」
兵士が彼女を見た。
「そうなのか?」
「……はい。騎士様との手合わせでも、ちゃんと攻撃を当てられたんです」
「ほう」
「……それに、昨日は魔物から友達を助けて……」
「リリア、いいって」
俺は小さく声をかけた。
「……でも」
「この人は、俺が弱いって言ってるわけじゃないだろ」
「……うん」
「ちゃんと審査してもらえるように頑張るからさ」
リリアはしばらく黙っていた。
そして、小さく頷いた。
「……わかった」
兵士が苦笑した。
「ずいぶん信頼されているんだな」
「……まあ、幼なじみですから」
俺が答えると、リリアは嬉しそうに笑った。
その後、書類の確認が終わり、俺たちは検問所を通過した。
◇
夕方。
俺たちは街道沿いの宿場に到着した。
今日はここで一泊するらしい。
馬車から降りると、身体のあちこちが固まっているのを感じた。
「……うわ、腰が痛い」
思わず背伸びをする。
左肩にも少し違和感があった。
「カイル、今日はちゃんと休めよ」
レオンさんが声をかけてきた。
「はい」
「肩が治るまでは、激しい稽古も禁止だ」
「……わかりました」
少し残念だ。
だが、ここで無理をして悪化させるわけにもいかない。
「……あの」
リリアがガルド副隊長に声をかけた。
「どうした?」
「……魔法の練習、少しだけしてもいいですか?」
「魔力制御か?」
「……はい。昨日の水魔法、もっと上手にできるようになりたくて」
ガルド副隊長は少し考えた。
「いいだろう。ただし、俺が見ている間だけだ。宿場の人に迷惑をかけないよう、裏の空き地を使おう」
「……ありがとうございます!」
◇
宿場の裏手には、小さな空き地があった。
地面に置かれた器には、水が少しだけ入っている。
「リリア。今日は、この水をほんの少しだけ浮かせてみよう」
「……はい」
リリアが両手をかざした。
水面が揺れる。
小さな水の玉が浮かびかけた。
ぽちゃん。
そのまま器に落ちる。
「……あっ」
「悪くない。もう一度やってみよう」
ガルド副隊長が落ち着いた声で言った。
リリアは再び集中する。
今度は少しだけ水が持ち上がった。
しかし、次の瞬間。
ばしゃっ!
器の水が跳ねた。
「……ご、ごめんなさい!」
「大丈夫だ。昨日よりずっと少ない量で済んでいる」
ガルド副隊長は頷いた。
確かに、昨日のように大量の水が飛び散ったわけではない。
少しずつだが、制御できるようになっているのかもしれない。
「……難しいです」
リリアが小さく呟いた。
「……力を込めると、すぐにたくさんの魔力が出ちゃって」
「そうだな。君の場合、力を出すより抑える方が難しいのだろう」
なるほど。
俺は隣で話を聞きながら、少し考えた。
空手でも似たようなことがある。
力を込めれば強い技になるわけではない。
余計な力が入ると、動きが鈍ることもある。
「リリア」
「……なに?」
「最初から大きな水の玉を作ろうとしなくてもいいんじゃないか?」
「……え?」
「ほんの一滴だけ、浮かせるつもりでやってみたら?」
リリアは目を丸くした。
「……一滴?」
「ああ。小さな水滴を一つだけ」
しばらく考えた後、リリアは頷いた。
「……やってみる」
再び両手を器に向ける。
水面が揺れた。
そして。
小さな水滴が、ゆっくりと浮かび上がった。
「……あっ」
一秒。
二秒。
ぽちゃん。
水滴が器に戻った。
「……できた?」
リリアが俺を見た。
「ああ! できたじゃないか!」
「……!」
リリアの顔がぱっと明るくなった。
「……やった!」
思わず両手を上げた。
その瞬間。
ばしゃん!
残っていた水が跳ねた。
「……あっ」
俺たちは顔を見合わせた。
そして、思わず笑ってしまった。
「ははっ! 最後まで集中しないとな!」
「……うぅ、恥ずかしい……」
リリアは顔を赤くした。
それでも、嬉しそうだった。
ガルド副隊長も満足そうに頷いた。
「今の感覚を忘れないことだ。慌てずに、少しずつ練習していこう」
「……はい!」
リリアは元気よく返事をした。
◇
夜。
夕食を終えた俺は、宿場の外で涼んでいた。
空にはたくさんの星が輝いている。
ベルク村でも星はよく見えたが、知らない場所から眺めると少し新鮮だった。
「……カイル」
後ろから声がした。
リリアだ。
「どうした? もう寝たのかと思ってた」
「……まだ眠くなくて」
「そっか」
リリアは俺の隣に座った。
しばらく、二人で星空を眺める。
「……ねえ、カイル」
「ん?」
「……今日、私、少しは上手になったかな」
「ああ。すごかったぞ」
「……本当?」
「もちろん。ちゃんと一滴だけ浮かせられただろ」
「……うん」
リリアは嬉しそうに笑った。
「……カイルのおかげだよ」
「俺は思いついたことを言っただけだよ。実際にやったのはリリアだろ」
「……でも、カイルの言葉だったから」
「そうか?」
「……うん」
リリアは小さく頷いた。
そして、少しだけ真剣な顔になる。
「……私ね、昨日、すごく怖かった」
「魔物のことか?」
「……うん。カイルが傷ついちゃうんじゃないかって」
俺は黙って聞いていた。
「……それで魔法を使ったけど、カイルまで巻き込んじゃいそうになった」
「……そうだな」
「……もし、今度は本当にカイルを傷つけちゃったらって考えると、怖いの」
リリアは俯いた。
俺は少し考えた。
「だったら、そうならないように練習すればいいんじゃないか?」
「……え?」
「今日だって、一滴だけ浮かせられただろ」
「……うん」
「最初から何でもできる人間なんていないよ。俺だって、空手を始めた頃は全然うまくできなかったし」
前世のことだ。
幼い頃、何度も転んだ。
何度も負けた。
何度練習しても、思うように身体が動かないこともあった。
それでも、続けてきた。
だからこそ、今の俺がある。
「リリアも、少しずつできることを増やしていけばいいんだよ」
「……少しずつ」
「ああ。急ぐ必要なんてないさ」
俺がそう言うと、リリアはしばらく黙っていた。
そして、小さく微笑んだ。
「……ありがとう、カイル」
「おう」
「……私、頑張るね」
「ああ。俺も頑張る」
リリアは少しだけ俺に身体を寄せた。
「……じゃあ、約束」
「何が?」
「……一人で危ないことをしないこと」
俺は苦笑した。
昨日のことを言っているのだろう。
「……善処します」
「……そこは約束してほしいな」
「……わかった。約束する」
リリアは満足そうに笑った。
そして、小さな声で呟いた。
「……カイルが怪我したら、私、何をするかわからないから」
「……ん?」
「……なんでもない」
にこっ。
いつもの笑顔だった。
……何だろう。
少しだけ、背筋が寒くなった気がした。
◇
同じ頃。
宿場の一室では、ガルド副隊長とレオンが話をしていた。
机の上には、ベルク村で討伐した魔物の報告書が置かれている。
「……副隊長」
レオンが口を開いた。
「やはり、あの魔物は気になりますね」
「ああ」
「特に、首に残っていた傷です」
ガルドの表情が険しくなった。
討伐した魔物を調べた際、首の周囲に不自然な擦り傷が見つかっていた。
厚い毛に隠れていたため、戦闘中には気づかなかったものだ。
「何かを巻きつけていたようにも見えたな」
「……首輪でしょうか?」
「わからん。別の原因も考えられる」
ガルドは報告書に目を落とした。
「だが、もし首輪の跡だとすれば、妙な話になる」
「ええ」
レオンは腕を組んだ。
「あれほど大きな魔物を、誰かが飼っていたことになりますからね」
「……そうだな」
しばらく沈黙が続いた。
やがて、レオンが口を開く。
「魔族の仕業でしょうか?」
「まだわからん。北方の情勢と関係があるかどうかも不明だ」
ガルドは窓の外を見た。
「ただ、無関係と決めつけるのも危険だな」
「王都に報告しますか?」
「ああ。到着したら調査を依頼しよう」
ガルドは書類を封筒に収めた。
「ベルク村の自警団にも、引き続き警戒するよう伝えてある。異常があれば騎士団へ報告してもらう手はずだ」
「了解しました」
レオンは頷いた。
そして、少し考え込む。
「……もし、誰かが意図的に魔物を村へ向かわせたのだとしたら」
「何だ?」
「……目的は何だったんでしょうね」
ガルドは答えなかった。
ただ、封筒を見つめている。
魔物が村に入り込んだのは、偶然だったのか。
それとも、何か理由があったのか。
今のところ、確かなことは何もない。
「……王都に着いたら、詳しく調べてもらう必要がありそうだ」
ガルドはそう呟き、封筒を鞄に収めた。
窓の外では、静かに夜が更けていた。
王都への旅は、まだ始まったばかりだった。




