7.魔力ゼロ、王都に立つ
宿場を出発してから、さらに二日。
俺たちは、ようやく王都へと続く最後の丘に差しかかった。
「カイル! 見えてきたぞ!」
馬車の横を走るレオンさんが、前方を指差した。
俺は荷台から身を乗り出す。
「……おお!」
思わず声が出た。
丘の向こうに、巨大な城壁が広がっていた。
石造りの城壁は見上げるほど高く、その内側には無数の建物が並んでいる。
中央には、白い尖塔をいくつも持つ大きな城。
その周囲には、赤や青の屋根がぎっしりと連なっていた。
ベルク村とは、まるで別世界だ。
「……すごい」
隣のリリアも、目を丸くしていた。
「こんなに大きな街があるんだな」
「……うん。人も、たくさんいるんだろうね」
「ああ。迷子になるなよ?」
「……大丈夫」
リリアはそう言うと、俺の袖をきゅっと掴んだ。
「……カイルから離れなければ、迷子にならないから」
「まあ、そうだな」
確かに、一緒にいれば迷子にはならない。
もっとも、俺も初めて来る場所なので、二人まとめて道に迷う可能性はあるのだが。
レオンさんが笑った。
「ははっ! 心配しなくても、今日は俺たちが案内してやるよ」
「助かります」
「ただし、王都では気をつけろよ。村とは違って、いろんな人間がいるからな」
「わかりました」
俺は改めて王都を眺めた。
ここから、俺たちの新しい生活が始まる。
そう思うと、自然と胸が高鳴った。
◇
王都の門をくぐった瞬間、俺は思わず足を止めた。
「……何だ、これ」
人が多い。
とにかく多い。
商人らしい男が荷馬車を引き、色とりどりの服を着た人々が行き交っている。
道の両側には露店が並び、焼きたてのパンや肉の串焼きの匂いが漂っていた。
さらに驚いたのは、街のあちこちで魔法が使われていることだ。
店先では、小さな炎を灯して料理を温めている。
建物の壁を修理している職人は、魔力で石材を少しずつ動かしていた。
大通りの端では、地面に描かれた魔法陣から水が湧き、掃除に使われている。
「……便利だな」
思わず呟いた。
ベルク村でも生活魔法は使われていたが、ここまで日常に溶け込んではいなかった。
前世の日本ほどではないにしても、魔法のおかげで暮らしはかなり便利になっているらしい。
「……カイル、あれ!」
リリアが指差した。
小さな店の前に、水晶がいくつも並んでいた。
その上には、青や赤の光が浮かんでいる。
「……あれ、魔力を一定量だけ放出する魔道具だと思う! たぶん水晶の内部に魔法陣が刻まれていて、外から魔力を流すと決まった術式が発動する仕組みなんだけど、あんな小さな水晶に複数の術式を入れられるなら、魔力の流れを制限する方法もあるはずで、それなら私も……」
「リリア?」
「……あっ」
リリアが口を閉じた。
「……ご、ごめん」
「いや、いいけど。詳しいな」
「……本で読んだことがあって」
そう言いながらも、目は水晶に釘付けだった。
なるほど。
リリアにとって、王都は俺以上に面白い場所なのかもしれない。
「今度、時間があるときに見に来ようぜ」
「……いいの?」
「ああ。俺も興味あるし」
「……うん!」
リリアは嬉しそうに笑った。
しかし、すぐに俺の袖を掴み直す。
「……でも、カイルがいないときは来ないから」
「別に一人でも来ればいいだろ?」
「……それじゃ、あんまり楽しくないもん」
そういうものなのだろうか。
まあ、リリアが楽しそうならいいか。
◇
騎士団の詰所で荷物を降ろした後、俺たちはガルド副隊長に案内され、王都の中央区画へ向かった。
目的地は、王立騎士養成学校と王立魔法学院の入学審査を扱う王国の教育局だ。
大きな石造りの建物に入り、長い廊下を進む。
やがて、ガルド副隊長が一つの扉を叩いた。
「第三騎士隊のガルドだ。地方巡回の推薦書類を提出したい」
「どうぞ」
中から声がした。
部屋には、大きな机と書類棚が並んでいた。
机の向こうに座っているのは、細身の中年男性だ。
銀縁の眼鏡をかけ、いかにも事務仕事が得意そうな雰囲気をしている。
「ガルド副隊長。巡回、ご苦労さまでした」
「ああ。今回は二人、推薦したい者がいる」
ガルド副隊長が書類を差し出した。
男性は眼鏡を直しながら、一枚目に目を通した。
「……リリア、十四歳」
ペンを走らせていた手が止まる。
「魔力測定不能?」
「測定器の上限を超えた。水晶にも亀裂が入っている」
「……なるほど」
男性の表情が変わった。
「正式な評価を受けさせる必要がありますね。魔法学院の適性試験を手配しましょう」
「頼む。それと、勇者候補としての資質についても確認してもらいたい」
「承知しました。ただし、特別教育の対象となるかどうかは、適性試験の結果次第です」
「ああ。それで構わん」
リリアは俺の隣で、静かに話を聞いていた。
少し緊張しているようだが、以前のように俯いたりはしない。
少しは王都に慣れてきたのだろうか。
「さて、もう一人は……」
男性が二枚目の書類を手に取った。
そして、眉をひそめた。
「……カイル、十四歳」
嫌な予感がした。
「魔力量……ゼロ?」
「そうだ」
男性は書類を裏返した。
もう一度、表を見る。
そして、ガルド副隊長に向き直った。
「副隊長。記載ミスではありませんか?」
「いや、測定結果に間違いはない」
「では、なぜ推薦を?」
「実技能力が優れている。詳しくは報告書に書いた」
男性は書類を読み進めた。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「……困りましたね」
どうやら、簡単にはいかないらしい。
◇
「騎士養成学校の入学条件には、魔力による身体強化の適性が含まれています」
男性は淡々と説明した。
「魔力がゼロであれば、その条件を満たしません。通常の入学審査を受けることはできません」
「それは承知している。だからこそ、例外的な審査を求めている」
「しかし、前例がありません」
男性は書類を机に置いた。
「仮に優れた体術を持っていたとしても、それだけで騎士として必要な能力を備えているとは判断できません」
反論したくなるところだが、言っていることは理解できる。
俺自身、先日の魔物との戦いで思い知らされたばかりだ。
相手の攻撃を避ける技術があっても、倒す手段がなければ勝てない。
魔法を使う敵なら、なおさらだろう。
ただ。
「……あの」
俺は手を上げた。
男性がこちらを見る。
「何でしょう?」
「入学できない理由はわかりました。でも、一度だけでも実技を見てもらうことはできませんか?」
「実技ですか?」
「はい。魔力が使えないのは事実ですけど、それ以外にもできることがあると思うんです」
男性は少し困ったような顔をした。
「君の気持ちはわかります。しかし、規則というものがありましてね」
「……そうですか」
やはり難しいか。
覚悟していたこととはいえ、残念だった。
そのとき。
「……一つ、確認してもいいですか?」
隣から声がした。
リリアだった。
男性が顔を上げる。
「何でしょう?」
「……推薦書には、騎士様との手合わせのことも書かれているんですよね?」
「ええ」
「……それを、ちゃんと読んでもらえませんか?」
リリアは書類を見つめた。
「……カイルは、魔力がないからって何もしてこなかったわけじゃないんです。毎日、ずっと練習してきたんです」
「……リリア」
俺が声をかけても、彼女は続けた。
「……だから、結果を決める前に、一度だけ見てほしいんです」
男性は黙っていた。
ガルド副隊長も口を挟まない。
やがて、男性は書類を手に取った。
「……事情は理解しました。ただ、私の権限では例外を認められません」
その返事に、リリアの肩が落ちた。
だが。
「上の者に確認することはできます」
「……え?」
「判断は、騎士養成学校の責任者に委ねることになります。少々お待ちください」
男性はそう言って、部屋を出ていった。
俺はリリアを見た。
「ありがとう」
「……え?」
「俺のために話してくれて」
「……ううん」
リリアは小さく首を横に振った。
「……私、カイルがどれだけ頑張ってきたか、知ってるから」
その言葉が、少し嬉しかった。
「でも、駄目だったら仕方ないさ。また別の道を探すよ」
「……うん」
リリアは頷いた。
そして、俺の袖をきゅっと握った。
◇
しばらくして、扉が開いた。
戻ってきた男性の後ろに、一人の老人が立っていた。
白髪を短く刈り込み、背筋を伸ばしている。
年齢は六十歳を超えているだろうか。
だが、その身体つきは老人という言葉から想像するものとは違った。
肩幅が広く、腕も太い。
左の眉から頬にかけて、古い傷跡が残っている。
そして、何より目が鋭かった。
「……こいつか?」
老人が俺を見た。
「はい。魔力ゼロで、特別審査を希望している少年です」
「ふむ」
老人は俺の前まで歩いてきた。
「名前は?」
「カイルです」
「歳は?」
「十四歳です」
「何か武術をやっているそうだな」
「はい。空手という武術です」
「カラテ……聞いたことがないな」
老人は顎に手を当てた。
「剣は使えるか?」
「ほとんど使えません」
「槍は?」
「使ったことがありません」
「弓は?」
「そちらもありません」
老人はしばらく黙っていた。
そして、笑った。
「はっはっは! 正直な奴だ!」
部屋に大きな笑い声が響く。
俺は少し驚いた。
「普通は少しくらい見栄を張るものだがな」
「できないことをできると言っても、仕方ないですから」
「……なるほど」
老人の目が細くなった。
「わしはグレン。王立騎士養成学校で実技指導を担当している」
「よろしくお願いします!」
「それで、お前は何ができる?」
俺は少し考えた。
「素手での戦闘と、相手の動きを見て攻撃を避けることです」
「ほう」
「ただ、魔法を使う相手や、頑丈な魔物への対処はまだ十分にできません」
「……自分の弱点は理解しているわけか」
グレン先生は頷いた。
そして、突然。
すっ。
右手を伸ばしてきた。
俺の額に向かって、二本の指が迫る。
「っ!」
反射的に頭を引いた。
指が鼻先で止まる。
ほんの一瞬の動きだった。
「……ほう?」
グレン先生の表情が変わった。
「今のを避けるか」
「……びっくりしました」
「はっはっは! そりゃそうだろうな!」
何が面白いのか、老人はまた笑った。
だが、次の瞬間には真剣な顔になった。
「今のは、わしの手が動いてから避けたのか?」
「いえ。肩と足が先に動いたので」
グレン先生が眉を上げた。
「……ほう」
「手を伸ばす前に、少し重心が前へ移ったように見えました」
厳密に言えば、そこから先は勘だった。
相手が何をしてくるか、完全にわかったわけではない。
だが、前世から繰り返してきた稽古のおかげで、身体が自然に動いた。
グレン先生は、しばらく俺を見つめた。
「……面白い」
そして、ガルド副隊長へ向き直った。
「こいつの手合わせを見たというのは本当か?」
「ああ。レオンと戦わせた」
「結果は?」
「レオンが優勢だったが、最後に一度だけ寸止めの拳を入れた」
「ほう……」
グレン先生は腕を組んだ。
「レオンというのは、あの第三騎士隊の若造か?」
「そうだ」
「なら、最低限の動きはできるらしいな」
再び、俺を見た。
「カイル」
「はい」
「お前に一つ聞こう」
老人の声が低くなった。
「魔力を使えないお前が、魔法を使う騎士と戦うには、どうすればいい?」
俺は少し考えた。
「……相手の魔法を知ることが必要だと思います」
「ほう?」
「どんな魔法を使うのか、どこまで届くのか、何をすれば発動するのか。それがわからないと、避けることもできません」
「それから?」
「自分の攻撃が通じる相手かどうかを判断することです」
先日の魔物を思い出す。
あの巨体を相手に、俺の拳がどこまで通用しただろう。
おそらく、ほとんど効かなかったはずだ。
「勝てない相手なら、無理に戦わないことも必要だと思います」
グレン先生は黙って聞いていた。
俺は続けた。
「ただ、どうしても戦わなきゃいけないときは……そのときまでに、少しでも勝てる方法を増やしておきたいです」
老人の口元が、わずかに緩んだ。
「……なるほどな」
そして、机の方へ歩いていく。
「おい、推薦書を見せろ」
教育局の男性が慌てて書類を差し出した。
グレン先生は、しばらくそれを読んでいた。
やがて、顔を上げる。
「カイル」
「はい」
「特別審査を受ける機会を与えてやろう」
「……本当ですか!?」
「ああ。ただし、入学を認めるわけじゃないぞ」
「わかっています!」
思わず拳を握った。
やった。
やっと、一歩前に進めた。
「だが、一つ条件がある」
「何でしょう?」
「その肩を治せ」
グレン先生が俺の左肩を指差した。
「……え?」
「さっきから、無意識に左肩をかばっている。怪我をしているんだろう?」
……見抜かれていた。
「昨日、魔物から友達を助けたときに、少し痛めまして」
「少し、ねえ」
グレン先生が呆れたように笑う。
「そんな身体で実技試験を受けても、まともな評価はできん。まずは治療師の確認を受けろ」
「はい」
「それから、三日後に学院へ来い。肩の状態に問題がなければ、実技を見てやる」
三日後。
思ったより早い。
だが、まだ正式な入学試験ではない。
俺に審査を受けさせる価値があるかどうかを、確認する機会ということなのだろう。
「ありがとうございます!」
俺は深く頭を下げた。
グレン先生は鼻を鳴らした。
「礼はまだ早い。わしは甘くないぞ」
「望むところです」
「……ふん」
老人は少しだけ笑った。
「その返事だけは一人前だな」
◇
教育局を出ると、すでに夕方になっていた。
ガルド副隊長は騎士団本部への報告があるらしく、先に詰所へ戻っていった。
俺たちはレオンさんに案内され、宿へ向かっていた。
王都での滞在先が決まるまで、騎士団が紹介してくれた宿を利用することになっている。
「……よかったね、カイル」
リリアが嬉しそうに言った。
「ああ。まだ審査だけどな」
「……でも、ちゃんと見てもらえるんでしょ?」
「そうだな」
俺は笑った。
正直、今日のうちに断られることも覚悟していた。
それだけに、グレン先生との出会いは大きかった。
「リリアの方は、いつ試験なんだ?」
「……明後日だって」
「そうか。俺より一日早いんだな」
「……うん」
リリアは少し考え込んだ。
「……カイル、見に来てくれる?」
「見学できるなら、もちろん行くよ」
「……本当?」
「ああ。楽しみにしてる」
「……えへへ」
リリアは満面の笑みを浮かべた。
しかし、すぐに真剣な顔になった。
「……じゃあ、私、絶対に失敗しないように練習する」
「いや、焦るなよ。昨日だって少しずつできるようになったんだから」
「……うん」
リリアは頷いた。
そして、小さな声で付け加える。
「……カイルに、かっこいいところ見せたいし」
「十分すごいと思うけどな」
「……もっと!」
珍しく、力強い返事だった。
俺は思わず笑ってしまった。
◇
宿に着くと、レオンさんが部屋を案内してくれた。
俺とリリアの部屋は、廊下を挟んで向かい側だった。
「それじゃあ、明日の朝にまた来るからな」
「ありがとうございました」
「……ありがとうございました」
レオンさんが去っていく。
俺は自分の部屋に荷物を置いた。
ベッドと机、それに小さな窓があるだけの部屋だ。
ベルク村の自室より少し狭いが、寝泊まりするには十分だろう。
革手袋を机の上に置く。
父さんからもらったものだ。
まだ家を出て数日しか経っていないのに、少し懐かしく感じた。
「……三日後か」
俺は左肩を軽く動かした。
痛みはかなり和らいでいる。
だが、完全に治ったわけではない。
グレン先生の言うとおり、今は無理をするべきじゃないだろう。
それにしても。
(……あの爺さん、相当強いな)
額へ伸ばされた二本の指。
あれは、ただの悪戯ではなかったと思う。
俺が避けた後も、グレン先生の姿勢はまったく崩れていなかった。
必要なら、別の動作へすぐに移れたはずだ。
しかも、こちらが肩を痛めていることまで見抜いていた。
騎士養成学校の実技指導者。
なるほど、確かにただ者ではない。
(……面白くなってきた)
俺は自然と笑みを浮かべていた。
前世では、強い相手と出会うたびに、こんな気持ちになった。
自分より優れた技術を持つ人間がいる。
その技術を学ぶ機会がある。
それだけで、わくわくする。
「……よし」
俺は窓の外を眺めた。
夕日に染まった王都の街並み。
遠くには、白い王城がそびえている。
ここで、俺はどこまで強くなれるのだろう。
まだわからない。
でも、少なくとも。
魔力ゼロという理由だけで、挑戦すらできなかった昨日までとは違う。
俺は、ようやくスタートラインに立ったのだ。
◇
一方、その頃。
王立騎士養成学校の一室では、グレンが一枚の報告書を読み返していた。
『魔力量ゼロ。独自の体術を使用。第三騎士隊所属騎士との模擬戦において、有効打を確認』
グレンは顎をさすった。
「……カラテ、か」
聞いたことのない武術だった。
剣も槍も持たず、魔力による身体強化も行わない。
それで騎士と渡り合ったという。
にわかには信じがたい話だ。
しかし、ガルドは実戦経験のある騎士だ。
その男が、わざわざ推薦状を書いている。
完全な出鱈目とも思えない。
「……それに、あの動き」
先ほど、少年へ指を伸ばしたときのことを思い出す。
あの少年は、指先が動く前に反応していた。
偶然かもしれない。
だが、偶然だけであの動きができるものだろうか。
グレンは立ち上がり、窓の外へ目を向けた。
学院の訓練場では、学生たちが木剣を振っている。
その身体には、魔力による淡い光がまとわりついていた。
王国騎士にとって、身体強化は基本中の基本だ。
魔力を持たない者が騎士を目指すなど、無謀と言われても仕方がない。
「……だが」
グレンは小さく笑った。
「だからといって、何もできんと決めつけるのもつまらんな」
机に戻り、一枚の紙を取り出す。
そして、筆を走らせた。
『特別実技審査』
『対象者:カイル』
『審査日:三日後』
そこまで書いたところで、筆を止める。
少し考えた後、最後に一文を付け加えた。
『魔力に依存しない戦闘技術の確認』
「……さて」
グレンは満足そうに頷いた。
「どこまでできるか、見せてもらおうか」
その目には、久しく忘れていた好奇心が宿っていた。




