5.勇者候補の条件
翌朝、俺とリリアは再び村長の家を訪れた。
出発前の、最後の書類確認だ。
村の北側では、騎士団と自警団が森の周辺を調べているという。
昨日見つかった魔物の足跡が気になったが、村長の家にいるよう指示されていた。
「カイル、肩の具合はどうだ?」
ガルド副隊長が尋ねた。
「まだ少し痛みますけど、大丈夫です」
「無理はするなよ。明日からは長旅になる」
「はい」
ガルド副隊長は書類を確認し、リリアへ向き直った。
「さて、リリア。君にはもう一つ説明しておきたいことがある」
「……何でしょうか?」
「勇者候補についてだ」
勇者候補?
俺も思わず顔を上げた。
「昨日までの話で、君の魔力量が極めて大きいことはわかった。だが、それだけで勇者になれるわけではない」
「……はい」
「王国では、優れた才能を持つ若者の中から、将来の英雄となり得る者を育てている。特に期待される者は、勇者候補と呼ばれることがある」
なるほど。
正式な勇者ではなく、将来そうなるかもしれない人材というわけか。
「君についても、その可能性を王都に報告するつもりだ」
「……そうなんですね」
リリアは少し考え込んだ。
「……あの、ガルド様」
「何だね?」
「……勇者候補になると、自由な時間はなくなりますか?」
「いや、訓練や勉強は必要だが、それ以外の時間もあるだろう」
「……カイルと会えますか?」
「それは、二人がどこで学ぶかによるな」
「…………」
リリアの表情が曇った。
「……じゃあ、普通の魔法使いでもいいです」
「なぜそうなる!?」
ガルド副隊長が思わず声を上げた。
俺も口を挟む。
「リリア。せっかくなんだから、ちゃんと勉強してこいよ」
「……でも」
「お前が勇者になったら、俺だって嬉しいぞ」
「……嬉しい?」
「ああ。幼なじみが勇者なんて、すごいじゃないか」
「…………!」
リリアの顔がぱっと明るくなった。
「……じゃあ、頑張る」
「おう!」
「……すごく頑張る」
なぜか、握り拳まで作っている。
ガルド副隊長が俺を見た。
「……カイル」
「はい?」
「君は、あの子の扱いが本当に上手いな」
「そうですか?」
「……いや、何でもない」
何だか、妙なため息をつかれた。
◇
書類の確認を終えようとした、そのときだった。
カン、カン、カン!
広場から鐘の音が響いた。
短く、激しい音。
魔物の襲来を知らせる警鐘だった。
「魔物だ! 北の柵に魔物が出たぞ!」
外から叫び声が聞こえてきた。
ガルド副隊長が立ち上がる。
「二人とも、ここにいろ!」
剣を掴み、部屋を飛び出していった。
俺とリリアは顔を見合わせた。
「……カイル」
「ああ。ここにいよう」
俺だって、魔物が気にならないわけじゃない。
だが、今の俺が出ていっても、騎士団の邪魔になるだけだろう。
そう思っていた。
ドンッ!
大きな音がした。
続いて、木が砕ける音。
「うわああっ!」
悲鳴だった。
俺は思わず窓へ近づいた。
北へ続く道の向こうで、巨大な黒い影が動いている。
「……何だ、あれ」
狼だった。
いや、狼に似た魔物と言うべきだろう。
体長は三メートル近くありそうだ。
黒い毛並み。
異様に発達した前脚。
そして、口から突き出した長い牙。
その巨体が村の柵を破り、入り込んでいた。
「……っ!」
俺は息を呑んだ。
七年前、リリアを襲った魔物も狼型だった。
しかし、あれとは比較にならない大きさだ。
「カイル!」
外からレオンさんの声が聞こえた。
「建物から出るな!」
森の周辺を調べていたらしく、剣を抜いて魔物の後を追っている。
俺は窓から離れようとした。
そのとき。
「……エド?」
見覚えのある少年が倒れていた。
北の柵で見張りをしていたのだろう。
近くには折れた槍が落ちている。
エドは立ち上がろうとしていたが、左脚に力が入らない様子だった。
巨大な狼が、エドへ顔を向ける。
まずい。
このままじゃ。
考えるより先に、身体が動いていた。
「カイル!?」
リリアの声を背中に聞きながら、俺は外へ飛び出した。
◇
「エド!」
俺が叫ぶと、エドが顔を上げた。
「カイル!? 来るな!」
魔物が動いた。
巨大な前脚で地面を蹴る。
速い!
あの体格からは想像できない加速だった。
(間に合え!)
俺はエドの横へ飛び込んだ。
右腕で肩を掴み、全身を使って引き倒す。
直後。
ガンッ!
魔物の牙が、エドの背後にあった柵を砕いた。
破片が飛び散る。
「ぐっ……!」
身体をひねった拍子に、左肩へ痛みが走った。
昨日、レオンさんとの手合わせで痛めた場所だ。
だが、今は気にしていられない。
「エド! 逃げろ!」
「お、お前は!?」
「いいから行け!」
エドが足を引きずりながら後退する。
俺も距離を取ろうとした。
しかし、魔物がこちらを向いた。
赤く光る目。
鋭い牙。
そして、俺の背丈をはるかに超える巨体。
(……これは、無理だろ)
まともに戦って勝てる相手じゃない。
空手には、相手の攻撃を避ける技術もある。
だが、それは人間の動きを想定したものだ。
こんな化け物の攻撃を、何度も避け続けられるとは思えない。
まして、こちらの拳が効くかどうかもわからない。
魔物が低く唸った。
前脚に力が入る。
(……来る!)
俺は腰を落とした。
相手の動きを読む。
頭が下がった。
地面を蹴る。
俺は右斜め前へ踏み込んだ。
巨体がすぐ横を通過する。
風圧が頬を打った。
(……避けた!)
しかし、魔物はすぐに向きを変えた。
次の攻撃が来る。
今度は、間に合わない。
そう思った瞬間だった。
「カイルに……!」
背後から声が聞こえた。
「……触らないでっ!!」
リリアだった。
彼女の両手が、魔物へ向けられている。
周囲に青白い光が集まっていた。
まずい。
昨日の訓練が頭をよぎる。
「リリア! 待て!」
だが、遅かった。
近くの共同井戸から、水が勢いよく噴き上がった。
大量の水が宙を舞い、巨大な塊となって魔物へ向かう。
バシャアアッ!
水が魔物に直撃した。
「ギャウッ!」
巨大な狼が横へ押し流される。
そのまま地面を転がり、柵の残骸にぶつかった。
……すごい威力だ。
ただし。
「うわっ!」
俺まで水をかぶった。
周囲の木箱も押し流されている。
「リリア! もういい! 止めろ!」
「……えっ!? あ、あれ!?」
リリアが慌てて両手を下ろした。
ようやく水が落ちる。
地面には大きな水たまりができていた。
「……ご、ごめんなさい!」
リリアが真っ青になる。
しかし、魔物はまだ生きていた。
濡れた毛を逆立て、ゆっくりと立ち上がる。
「下がれ!」
ガルド副隊長が駆け込んできた。
剣を抜き、俺たちと魔物の間に立つ。
「レオン! 右へ回れ!」
「了解!」
レオンさんが魔物の側面へ走った。
魔物がガルド副隊長に飛びかかる。
その瞬間、ガルド副隊長の身体に淡い青い光が走った。
身体強化だ。
踏み込みと同時に剣が閃く。
魔物の前脚に、深い傷が走った。
「ギャアッ!」
巨体が傾く。
そこへ、側面からレオンさんが飛び込んだ。
「はあっ!」
鋭い斬撃が魔物の首元を捉えた。
巨大な狼が地面に倒れる。
しばらく痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「……終わったか」
ガルド副隊長が剣を下ろした。
俺はその場に座り込んだ。
全身から力が抜ける。
(……怖かった)
正直、死ぬかと思った。
リリアが来てくれなかったら、どうなっていたかわからない。
「カイル!」
リリアが駆け寄ってきた。
「大丈夫!? 怪我してない!? 噛まれてない!? さっき水が当たっちゃったけど、痛くなかった!? それより肩は!? 昨日も痛めてたよね!?」
「……リリア」
「な、何!?」
「とりあえず、息をしてくれ」
「してる!」
いつものやり取りだった。
それだけで、少し安心した。
「大丈夫だよ。助かった。ありがとう」
「…………」
リリアが俺を見つめた。
「……私、役に立てた?」
「ああ。あの水がなかったら危なかった」
そう答えると、リリアの目に涙が浮かんだ。
「……よかった」
彼女は俺の服をぎゅっと握った。
「……カイルが無事で、本当によかった……」
俺は何も言えなくなった。
昔から、リリアには心配ばかりかけている。
今日ばかりは、本当に申し訳なかった。
◇
騒ぎが収まった後、俺たちは村長の家に戻った。
エドは左脚を痛めていたが、骨に異常はなかったらしい。
俺の肩も治療師に診てもらったところ、しばらく安静にすれば問題ないとのことだった。
「カイル」
ガルド副隊長が、呆れたように俺を見た。
「危険な場所へ近づくなと言ったはずだぞ」
「……すみません」
「友人を助けようとした気持ちはわかる。だが、命を落としたら何にもならん」
「はい」
反論するつもりはなかった。
今回、俺が助かったのはリリアと騎士団のおかげだ。
「次からは、自分が助けを求めることも考えろ」
「……わかりました」
ガルド副隊長は頷き、今度はリリアへ向き直った。
「リリア。君の魔法についても話しておこう」
「……はい」
「魔物を押し返したのは見事だった。だが、カイルや周囲の村人を巻き込む危険もあった」
「……ごめんなさい」
「責めているわけではない。ただ、今の君には力を抑える訓練が必要だ」
リリアは真剣な顔で頷いた。
「……はい」
「勇者候補として期待される者には、強い魔法を使うだけでなく、その力をどう使うかを判断することも求められる」
ガルド副隊長は静かに続けた。
「誰かを守ろうとして、別の誰かを傷つけてしまっては意味がないからな」
「……わかりました」
リリアは自分の両手を見つめた。
そして、小さく呟いた。
「……もっと練習します」
俺は笑った。
「一緒に頑張ろうぜ」
「……うん!」
リリアが顔を上げる。
嬉しそうな笑顔だった。
そのときだった。
「……あの、ガルド様」
「何だね?」
「……勇者になったら、好きな人を守ってもいいんですよね?」
ガルド副隊長が少し驚いた顔をした。
「もちろん、大切な人を守りたいという気持ちは悪いことではない」
「……はい」
「だが、そのために無関係な人を傷つけていいわけではないぞ」
「……わかりました」
リリアは真剣に頷いた。
そして、ちらりと俺を見る。
「ん? どうした?」
「……なんでもない」
にこっ。
いつもの笑顔だった。
◇
夕方。
俺は自分の部屋で、旅の荷物をまとめていた。
着替え。
母さんが用意してくれた保存食。
稽古に使う布帯。
持っていくものは、思ったより少なかった。
「……まあ、何とかなるか」
窓の外には、夕焼けに染まったベルク村が広がっている。
明日、ここを出る。
王都では、今まで知らなかった技術を学べるかもしれない。
魔法を使う相手との戦い方も、知りたい。
ただ、今日の魔物との戦いで、はっきりわかったことがある。
技術だけでは埋められない差もある。
ならば、どうするか。
それを考えるのも、修行の一つだろう。
コンコン。
窓を叩く音がした。
「……カイル?」
リリアだ。
「どうした?」
「……ちょっとだけ、いい?」
窓を開けると、小さな包みを差し出してきた。
「……明日の朝ご飯に」
「パンか。ありがとう」
「……うん」
リリアは少しだけ真剣な顔になった。
「……ねえ、カイル」
「なんだ?」
「……私、勇者候補になれるかな」
「なれるんじゃないか?」
「……どうして?」
「お前にはすごい魔力があるし、今日だって俺を助けてくれた。あとはちゃんと練習すればいいさ」
「……うん」
「俺も負けないように頑張らないとな」
「……負けない?」
「ああ。お前が勇者になるなら、俺もそれに負けないくらい強くなりたい」
「…………!」
リリアの顔が真っ赤になった。
「……じゃあ、約束」
「何が?」
「……ずっと、一緒に強くなること」
「ああ。約束だ」
リリアは嬉しそうに笑った。
明日から、王都への旅が始まる。
◇
同じ夜。
ガルド副隊長とレオンは、討伐した魔物の記録を整理していた。
「副隊長。あの魔物は、やはり普通じゃありませんね」
「そうだな。あれほど大型の個体が村まで入り込むとは」
レオンは報告書に目を落とした。
「北方での争いと関係があるんでしょうか?」
「まだわからん。だが、王都には報告しておこう」
ガルドは書類を封筒に収めた。
「明日は予定どおり出発する。村の警戒については、自警団と相談済みだ」
「了解しました」
レオンは頷いた。
窓の外では、静かに夜が更けていた。
明日の朝、二人の少年少女が村を離れる。
彼らが王都で何を学び、どんな道を歩むのか。
それはまだ、誰にもわからなかった。




