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3.魔力ゼロの拳

木剣を避けた俺は、そのままレオンさんの懐へ踏み込んだ。


 剣を振った直後なら、反撃が間に合わないかもしれない。


 そう考えたのだが。


「甘い!」


 レオンさんの左腕が動いた。


 胸元を押し返される。


「ぐっ!」


 身体が大きく後ろへ弾かれた。


 何とか転倒はこらえたものの、左肩に鈍い痛みが走る。


(……強いな)


 剣だけじゃない。


 俺が近づくことを読んで、反対の腕で進路を塞いできた。


 しかも、こちらを傷つけない程度に力を加減している。


「どうした、少年。もう終わりか?」


「……いえ。まだです」


 左肩を軽く回す。


 痛みはあるが、動かせないほどじゃない。


 ただし、もう一度まともに食らうのは避けたいところだ。


 レオンさんは木剣を構え直した。


 俺は呼吸を整える。


 前世で空手を続けていた頃、師範から何度も言われたことがある。


 自分より強い相手と、正面から力比べをするな。


 相手の動きを観察し、隙を作れ。


 簡単な話だ。


 それができれば苦労しないのだけど。


「行きます」


 俺は少しずつ距離を詰めた。


 一歩右へ。


 すぐに左へ。


 レオンさんの視線がこちらを追う。


 剣先が動いた。


 俺は踏み込もうとした足を止める。


 木剣が鼻先をかすめた。


(……危なっ!)


 もし本物の剣だったら、今ので終わっていたかもしれない。


 しかも、レオンさんは本気で斬りにきているわけではない。


 これはあくまで模擬戦だ。


 実戦なら、今のように剣の届く距離へ簡単に入らせてもらえないだろう。


 だが、それでも一つわかったことがある。


 レオンさんは、俺が懐へ入ると左腕で押し返してくる。


 もう一度同じ動きを誘えれば。


「……よし」


 俺は踏み込んだ。


「また正面から来るか!」


 木剣が動く。


 俺は剣の届く位置からわずかに外れ、そのまま距離を詰めた。


 レオンさんが左腕を出す。


(来た!)


 俺は踏み込む足の向きを変えた。


 正面から受けず、腕の外側へ身体をずらす。


 完全には避けきれない。


 左肩に相手の腕がかすめ、痛みが走った。


 それでも、今度は押し返されなかった。


 目の前に、レオンさんの顎がある。


 俺は腰を回した。


 左拳を突き出す。


 拳が顎の手前で止まった。


「……そこまで!」


 ガルド副隊長の声が響いた。


 俺は拳を引き、距離を取った。


 レオンさんは動かなかった。


 数秒の沈黙。


 やがて、苦笑する。


「……やるな」


「ありがとうございます」


「今のは一本取られた。ただし、俺が本気で剣を振っていたら、お前はとっくに倒れているぞ」


「はい。わかっています」


「それに、俺が左腕を引いていたら、お前の拳は届かなかっただろう」


 その通りだ。


 俺は相手が同じ動きをすることに賭けた。


 違う対応をされていたら、結果は変わっていただろう。


「だが……」


 レオンさんは木剣を下ろした。


「魔力を使わず、そこまで動けるとは思わなかった」


 広場がざわついた。


「カイルのやつ、騎士様に一本取ったぞ!」


「すげえ!」


「魔力ゼロなのに!」


 村人たちの声が聞こえてくる。


 俺は少し照れくさくなった。


 勝ったわけじゃない。


 それでも、今まで続けてきたことが少しは認められたらしい。


「カイル!」


 リリアが駆け寄ってきた。


「肩! さっき押されたよね!? 痛くない!? 腕はちゃんと動く!? 騎士様が強いのはわかるけど、あんなに勢いよく押す必要はなかったんじゃないかと思うし、そもそもカイルは剣を使わない方が強いんだから……!」


「リリア、落ち着け」


「……でも!」


「少し痛むだけだよ」


「……少し?」


 リリアが俺の左肩に目を向けた。


「……あとで、ちゃんと診てもらってね」


「ああ、わかった」


 ようやく安心したのか、リリアは小さく息を吐いた。


 そして、レオンさんを見た。


 ……何だろう。


 さっきまでの笑顔が消えている。


「……ありがとうございました」


 リリアが頭を下げた。


「お、おう」


「……次は、もう少し優しくお願いしますね」


「……努力しよう」


 レオンさんが少し困った顔をしていた。


     ◇


「カイル。少しいいか」


 ガルド副隊長が近づいてきた。


「はい」


「今の体術は、どこで習った?」


「独学です」


 嘘ではない。


 この世界に空手を教えてくれる人間はいない。


 前世の記憶を頼りに、毎日稽古を重ねてきた。


「独学か。面白い技術だな」


 ガルド副隊長は感心したように頷いた。


「だが、戦場では剣だけを警戒していればいいわけじゃない。魔法を使う敵もいる」


「はい」


「鎧を着た相手に素手の攻撃がどこまで通じるかもわからん。魔物の中には、普通の武器では傷つけられないものもいる」


 俺は黙って頷いた。


 その問題は、以前から考えていた。


 俺の空手は、人間同士の戦いを想定した技術だ。


 もちろん応用できる部分はあるだろうが、魔法や魔物にそのまま通用するとは限らない。


 今日、レオンさんにまともな攻撃を当てられなかったことも、その証拠だ。


「それでも、俺は強くなりたいんです」


「なぜだ?」


「魔力がないからって、何もできないままでいたくないので」


 ガルド副隊長はしばらく俺を見つめた。


 そして、頷いた。


「……いいだろう」


「え?」


「お前の実技能力を評価した推薦状を書こう」


 思わず顔を上げた。


「本当ですか!?」


「ああ。ただし、例外的な推薦だ。王都で特別審査を認めてもらえるかどうかは、まだわからん」


「それでも十分です!」


 胸が高鳴った。


 魔力ゼロでも、挑戦する機会がある。


 それだけで嬉しかった。


「ありがとうございます!」


 俺は深く頭を下げた。


「礼を言うのは早い。王都には、お前より強い者などいくらでもいる」


「望むところです」


 そう答えると、ガルド副隊長は笑った。


「……変わった少年だな」


「よく言われます」


     ◇


 騎士団は数日後に村を発つという。


 それまでに推薦書類を整え、本人と家族の同意を確認するそうだ。


 正式に王都で学べるかどうかは、まだ先の話になる。


 夕方。


 俺とリリアは、いつもの丘へ向かっていた。


「ねえ、カイル」


「なんだ?」


「……王都に行ったら、何がしたい?」


「まずはもっと強い奴と戦ってみたいな」


「……やっぱり」


「それから、魔法を使う相手との戦い方も覚えたい。今日だって、剣を避けるので精一杯だったし」


「……うん」


 リリアは静かに頷いた。


「……私も、魔法を上手に使えるようになりたい」


「お前ならできるさ」


「……そうかな」


「ああ。魔力量はすごいんだから、あとは練習だろ」


「……うん!」


 リリアは嬉しそうに笑った。


 俺は少し考えてから続けた。


「それに、いつか大切な人を自分の力で守れるようになりたいしな」


 リリアが立ち止まった。


「……大切な人?」


「ああ」


「……それって、誰?」


「家族とか、村のみんなとか」


「……とか?」


「もちろん、お前もだよ」


 リリアが固まった。


「……リリア?」


「…………」


「おーい」


「……もう一回」


「何を?」


「……最後のところ」


「お前も守りたいって話?」


「…………うん」


 リリアは両手で顔を覆った。


 耳まで真っ赤になっている。


「大丈夫か?」


「……大丈夫!」


「本当か?」


「……ちょっと、頭の中が忙しいだけ!」


 何だそれは。


 幼なじみとはいえ、時々何を考えているのかわからない。


 まあ、元気ならいいか。


     ◇


 その夜。


 リリアは自分の部屋で、花模様の手帳を開いていた。


 カイルの好きな食べ物。


 得意なこと。


 素敵だと思うところ。


 今日も、新しい項目が一つ増えた。


『百三十八個目。大切な人を守りたいと言ってくれたこと』


 リリアはその文字を見つめ、幸せそうに笑った。


「……私も守るからね」


 今日、カイルがレオンに押し返されたときのことを思い出す。


 胸の奥が、きゅっと痛くなった。


 模擬戦だとわかっていても、あんな姿は見たくなかった。


「……もっと上手に魔法を使えるようにならなきゃ」


 自分の両手を見つめる。


 力があるだけでは駄目だ。


 カイルが危険な目に遭ったとき、確実に守れるようになりたい。


 そして。


 リリアは手帳の最後のページを開いた。


『いつかカイルのお嫁さんになる』


「……王都かぁ」


 きっと、たくさんの人がいる。


 カイルのことを気に入る女の子だって、いるかもしれない。


 そう考えた瞬間、リリアの笑顔が消えた。


「……それは、ちょっと困るなぁ」


 しばらく考え込む。


 そして、新しいページに文字を書き始めた。


『王都で気をつけること』


『カイルに近づく女の子には、まず優しく接する』


 満足そうに頷く。


 最後に、もう一言。


『まずは』


 リリアは手帳を閉じた。


「……うん。これでよし」


 その笑顔は、いつもどおり可愛らしかった。


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