第三話 "今日"という日
仕上がりが間に合いましたので、本日あと二話更新します。
本当は一話の予定だったのですが、力が入りすぎて長くなりましたので、二話に分けました。
朝食を終えると、ユリアナは今日も両腕いっぱいに本を抱えた。
図鑑が一冊。
歴史書が二冊。
魔術理論書が一冊。
小柄な体には少し重そうだったが、本人は慣れた様子で器用に抱え直す。
「行ってきます」
「ええ、転ばないようにね」
クラリッサが微笑む。
ユリアナは小さく頷くと、そのまま書庫へ向かって廊下を歩いていった。
秋も深まり、庭の木々は赤や黄色へと色を変え始めている。
大きな窓から差し込む柔らかな朝日が銀色の髪を照らすたび、本の山だけがゆっくり揺れた。
やがて小さな背中が角を曲がって見えなくなる。
その姿を見送ってから、クラリッサは小さく息をついた。
「あの子も、もう少し女の子らしいことにも興味を持ってくれるといいんですけどね」
隣では紅茶を口にしていたエドワードが顔を上げる。
「女の子らしいこと?」
「お花とか、おしゃれとか、お菓子作りとかです」
少し考え込む。
監査官らしく、実に真面目な顔だった。
「……想像がつかんな」
その答えにクラリッサは思わず苦笑する。
ユリアナが興味を示すものと言えば、本と勉強と書庫くらいだ。
新しい服を用意しても、「動きやすいですね」と実用品としての評価しかないが、本を贈れば目を輝かせる。
十歳になる少女としては、かなり珍しい。
そんなことを考えていると、エドワードが何気なく言った。
「まあ、明日で十歳になるのだから、そのうち興味も広がるだろう」
クラリッサの動きが止まった。
「……明日?」
「……ああ」
「誕生日?」
「そうだ――」
あまりにも当然という口調だった。
クラリッサは数回瞬きを繰り返す。
「あなた、知っていたんですか?」
「知っているから、今応えたんだが」
「どうして教えてくださらないんですか!」
エドワードは不思議そうに首をかしげた。
「十歳になるだけだぞ?」
その返答に、クラリッサはゆっくり額へ手を当てた。
そうだった――
この人は昔からこういう人である。
誰かの誕生日も、結婚記念日も、約束の日も、一日たりとも間違えない。
贈り物も忘れないし、なんなら季節の花も用意する。
けれど、それは「大切だから思い出す」のではなく、「そうするものだから実行する」という認識に近い。
監査官としては頼もしいほど正確で、夫としては少しだけ困った性格だった。
もっとも、その不器用な優しさを知っているからこそ、クラリッサは今日まで隣にいる。
深く息を吸うと、椅子から勢いよく立ち上がった。
「大変です!」
「何がだ?」
「何も準備していません!」
そのまま侍女長を呼びに足早に部屋を出ていく。
残されたエドワードは静かに紅茶を一口飲み、
「……準備なら指示してあるのだが」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。
◇
翌朝。
食堂へ入ったユリアナは、扉の前で足を止めた。
いつもと違う――
窓辺には小さな花瓶がいくつも並び、白や淡い桃色の花が食卓を彩っている。
壁際にも季節の草花が飾られ、朝日を受けて柔らかな影を落としていた。
ユリアナはゆっくりと室内を見回す。
「……今日は来客があるのですか?」
真剣な問いだった。
クラリッサは一瞬だけ口を押さえ、それから笑顔で首を横に振る。
「いいえ」
「では、何かのお祝いでしょうか」
「そうね。そんなところかしら」
答えになっているようで、なっていない返事だった。
ユリアナは少し考え込んだが、それ以上追及することはせず席に着く。
朝食はいつも通り美味しかった。
パンは焼きたてで、温かなスープには秋野菜がたっぷり入っている。
ただ、クラリッサだけは妙に楽しそうで、何度もユリアナの方を見ては微笑んでいた。
その理由は最後まで分からなかった。
◇
昼前。
「少し出掛けましょう」
クラリッサに声を掛けられ、ユリアナは素直に頷いた。
「着替えなくてもいいのですか?」
「大丈夫よ、そんなにかしこまった場所じゃないから」
行き先は聞かなかった。
多分、聞けば教えてくれるだろう。
けれど、この家へ来てから知ったことがある。
クラリッサが「大丈夫」と言う時は、本当に大丈夫なのだ。
馬車が止まった先は、ライゼン家御用達の服飾店だった。
店へ入った瞬間、華やかな色彩が視界いっぱいに広がる。
壁には反物が並び、棚には仕立てられた衣服が整然と飾られていた。
そのどれもが、今まで自分とは無縁だったものばかりである。
「お待ちしておりました」
店長が深々と頭を下げる。
そのままユリアナは中央へ案内された。
「まずはこちらを」
肩へ布が掛けられる。
「こちらのお色も似合いそうです」
今度は別の布。
「少し回っていただけますか」
言われるままに一回転する。
気付けばクラリッサと店長は、布を手に真剣な表情で相談を始めていた。
「秋らしい落ち着いた色もいいですけれど、銀髪ですから、濃い色も映えますね」
「この刺繍も捨て難いです」
「成長も見越して少し余裕を持たせましょう」
「普段着も何着か追加しましょう」
二人の会話は途切れることなく、次々と話が進んでいく。
ユリアナは静かに立ったまま、その様子を眺めていた。
不思議だった。
こんなに時間を掛けて、自分一人のためだけに何かを選んでもらったことがない。
以前なら、渡される服は廃棄寸前のボロか、良くても誰かのお下がりだった。
サイズが合うかどうかは二の次三の次。
着られて臭わないだけで十分だった。
だから、
「こちらはどうかしら」
「着られるなら、どちらでも」
としか答えようがない。
クラリッサは少し困ったように笑った。
「そういうことじゃないのよ」
そう言われても、やはり分からなかった。
服は身を守るためのものだ。
好き嫌いで選ぶという発想が、自分の中にはまだ育っていない。
その後も寸法を測られ、袖丈を測られ、何枚もの布を当てられる。
立っているだけなのに、気が付けば思った以上に疲れていた。
ようやく椅子へ腰を下ろしたところで、クラリッサが心配そうに覗き込む。
「大丈夫?」
「――おそらく」
ユリアナは少し考えてから答えた。
「……何もしていないはずなのですが、なんだかとても疲れているようです」
店内に小さな笑い声が広がる。
クラリッサは口元を押さえ、店長は肩を震わせている。
ユリアナだけが理由を理解できず、静かに首を傾げた。
けれど――
笑われているはずなのに、不思議と嫌な気持ちはしなかった。
むしろ、その輪の中に自分もいることが、少しだけ心地よかった。
◇
屋敷へ戻る頃には、西へ傾いた陽射しが庭を柔らかな橙色に染めていた。
馬車を降りたユリアナは、玄関の前で小さく足を止める。
「……増えています」
朝にも飾られていた花は、昼になる頃にはさらに数を増していた。
階段脇の花台や廊下の窓辺、応接室の入口にも季節の花々が丁寧に生けられ、屋敷の中は柔らかな彩りに包まれている。
普段から手入れの行き届いたライゼン家ではあるが、今日はどこか華やかで、いつもより少しだけ空気まで明るく感じられた。
「何かあるのですか?」
隣を歩くクラリッサへ尋ねる。
けれど返ってきたのは柔らかな笑顔だけだった。
「もう少し秘密よ」
――秘密……
その言葉を頭の中で繰り返してみる。
悪いことではないらしい。
少なくともクラリッサは終始楽しそうで、侍女たちまでどこか浮き立って見える。
それなら問題はない。
ユリアナはそう結論づけた。
◇
自室へ戻る。
机の上には読みかけの本が置かれていた。
昼の間に届いた新刊もある。
自然と手が伸びかけたところで、小さく止まる。
夕食まで、それほど時間はない。
途中まで読めば続きが気になる。
気になったまま食堂へ行くことになる。
それは落ち着かない。
数秒考えた末に、本をそっと元の位置へ戻した。
「……あとで読みましょう」
誰に聞かせるでもなく呟く。
その選択をした自分に、少しだけ驚いた。
以前なら迷わず読み始めていたはずだ。
けれど今日は、何となく落ち着かなかった。
理由は分からない――
屋敷の中がいつもと違うからか。
クラリッサが朝から嬉しそうだからか。
それとも、自分だけが知らない何かが進んでいるからか。
答えは出ないまま、窓際へ歩く。
庭では秋風に揺れる花が夕陽を受けて輝いていた。
ライゼン家へ来てから、花を目にする機会が増えた。
庭にも、廊下にも、食卓にも。
季節が変われば飾られる花も変わり、そのたびにクラリッサは嬉しそうに名前や由来を教えてくれる。
以前の自分なら気にも留めなかっただろう。
足を止めて眺めるくらいなら、その時間で仕事を終わらせた方がよかったし、運が良ければ厨房でカビたパンを分けてもらえるかもしれなかった。
ふと窓へ目を向けると、自分の姿が淡く映る。
昼に仕立ててもらった新しい服は身体によく合っていて、粗末な作業着しか知らなかった頃とは別人のようだった。
その姿を見ても、不思議と嬉しいという気持ちにはならない。
代わりに胸へ浮かんでくるのは、小さな落ち着かなさだった。
自分は何もしていない。
それなのに花が飾られ、新しい服が用意され、美味しい食事が並ぶ。
クラリッサは笑顔で「家族だから」と言う。
エドワードも当然のことのように受け入れている。
その優しさが嫌なわけではない。
むしろ心地よい。
だからこそ、自分だけが受け取っていていいのだろうかという思いが、時折胸の奥から顔を出す。
考え込んでいると、廊下から控えめな声が聞こえた。
「ユリアナ様、お食事のご用意が整いました」
「……はい」
返事をして歩き出す。
どうやら、"今日"という日は、まだ終わっていない。
そのことだけは何となく分かった。
お読みいただきありがとうございました。
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続いて、もう一話アップします。
お楽しみいただければ幸いです。
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こちらは近日中に、旧作&小話 置場となります。
本日、記念の小話を更新していますので、よろしければご覧下さい。




