表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【連載版】ドアマット王女は静かに扉を……吹っ飛ばした! 旧作4万PV突破  作者: 猫が寝転んだ
第二章 明日のことを考えられるようになりました。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/10

第四話 ………ありがとう

本日四話目です。

お楽しみいただければ幸いです、

夕食の時間が近づく頃。


 食堂の扉を開けたユリアナは、その場で静かに立ち止まった。


「…………また、増えています」


 朝よりも花が増えていた。


 白い花や薄桃色の花に混じって、深い赤色の花が目に留まる。


 確か――サルビア。


 庭師の老人が、手入れをしながら教えてくれた名前だ。


「秋の終わりまで元気に咲く丈夫な花ですよ」


 そう言って、土に触れた大きな手で花をそっと支えていた姿を思い出す。


 食卓の中央だけでなく、窓辺や棚の上にも小さな花瓶が並び、部屋全体が柔らかな色彩に包まれている。


 普段は落ち着いた雰囲気の食堂が、今日はどこか華やかだった。


 その様子を見渡していると、


「こちらへ――」


 クラリッサが優しく声を掛けた。


 席へ向かうと、いつもならまだ戻っていない時間のはずなのに、エドワードがすでに着席していた。


 監査部門の仕事は忙しい。


 家族そろって夕食を囲める日は、それほど多くない。


 だからこそ、ユリアナは少し不思議そうに首を傾げた。


「今日は、お仕事が早く終わったのですか」


「今日は予定を空けた」


 短い返事だった。


 その隣でクラリッサが静かに微笑む。

 二人は顔を見合わせ、小さく頷いた。


 そして。


「ユリアナちゃん」


「はい」


「お誕生日、おめでとう」


 その言葉を受けても、ユリアナはすぐには反応できなかった。


 静かな時間だけが流れる。


 やがて一度瞬きをして、


「……誕生日?」


 小さく繰り返した。


「ええ」


 クラリッサが頷く。


「今日、あなたが生まれた日よ」


 ユリアナは考え込んだ。


 誕生日――


 その言葉は知っている。


 前世の知識にも存在していた。


 生まれた日を祝い、家族や友人が集まり、食事を囲み、贈り物を交わす日。


 そういう文化があることは知っていた。


 けれど――


 自分と結び付いたことは一度もない。


「……私の?」


 確認するような声だった。


「もちろん」


 クラリッサは穏やかに答える。


「あなたの誕生日よ」


 ユリアナはゆっくりと記憶を探った。


 王宮にいた頃――

 季節が巡ることは知っていた。


 雪が降り、花が咲き、暑さが過ぎ、葉が色づく。


 けれど、その中に自分だけの日というものは存在しなかった。


 今日が何日なのか、何歳になるのか。


 そんなことは考えたこともない。


 ――だから自然と口をついて出た。


「そう……なんですか」


 クラリッサはその返事を聞いて、少しだけ目を細めた。


「ユリアナちゃん、自分の誕生日を知らなかったの?」


 ユリアナは首を横に振る。


「それよりも……」


 少し考えてから続けた。


「誕生日というものが、自分に関係あるとは思ったことがありませんでした」


 その答えに、クラリッサは何も言わなかった。


 驚く代わりに、そっとユリアナの手へ自分の手を重ねる。


 小さく冷たい手だった。


 その温もりを包むように握りながら、柔らかく微笑む。


「それなら、今日から覚えていきましょう」


「……覚える?」


「ええ――」


「あなたが生まれてきてくれたことを、家族みんなで喜ぶ日なの」


 その言葉を、ユリアナは静かに受け止めていた。


 ◇


 食事を終えると、クラリッサが小さな箱をユリアナの前へ置いた。


「私たちからよ」


 ユリアナは箱を両手で受け取り、静かに蓋を開く。


 中には細い銀の鎖と、小さな紅色の宝石が収められていた。

 灯りを受けた石は、深みのある色を静かに映している。


 飾りは控えめだった。

 その分だけ、宝石そのものの色が印象に残る。


 ユリアナは吸い寄せられるように見つめた。


「きれいです」


 クラリッサは穏やかに頷いた。


「その石はね、あなたのお母様の瞳と同じ色なの」


 ユリアナの視線が止まる。


 もう一度、ゆっくり宝石を見る。


 母の姿は知らない。


 幼い頃に亡くなったと聞いているだけで、顔も声も思い出もない。


 それでも、この色だけは今、自分の手の中にあった。


「母さまの……」


 そっと箱を閉じる。


 壊れ物を扱うように両手で包み込み、少し迷ってから口を開いた。


「……ありがとうございます?」


 クラリッサは吹き出すことも訂正することもしなかった。


 ただ優しく微笑む。


「ちゃんと伝わったわ」


 その隣でエドワードが小さく咳払いを一つ。


「礼は疑問形で言うものではないと思うがな」


 真面目な指摘だった。


 ユリアナはしばらく考え、


「……ありがとうございます」


 今度は静かに言い直した。


 クラリッサは満足そうに頷くと、その小さな身体をそっと抱き寄せる。


「これからは毎年、お祝いしましょう」


「毎年……ですか?」


「ええ」


 髪を撫でながら続ける。


「花を飾って、ごちそうを囲んで、贈り物をして」


「あなたが生まれてきてくれてありがとうって、家族みんなで伝える日」


 ユリアナは腕の中で静かに目を伏せた。


 生まれたことに感謝される。


 そんな考え方が、この世界にも前世にもあったことは知識として知っていた。


 けれど、自分に向けられるものだと思ったことは一度もない。


 胸の奥が、ゆっくり温かくなっていく。


 その感覚に戸惑っているうちに、頬へ一滴だけ雫が落ちた。


 慌てて袖で拭う。


 痛いわけではない。


 苦しいわけでもない。


 それなのに涙は自然とこぼれてきた。


 ユリアナは自分でも不思議そうに目を丸くする。


「知りませんでした」


 クラリッサが静かに見つめる。


「嬉しい時にも、涙は出るんですね」


 そう言って浮かべた笑顔は、まだぎこちなかった。


 けれど、クラリッサにはそれで十分だった。


     ◇



 ユリアナの部屋の扉が静かに閉まる。


 しばらくその方向へ視線を向けていたエドワードが、ふと思い出したように口を開いた。


「表情をつくる練習もした方がいいだろうな」


 紅茶を口に運びかけていたクラリッサが首を傾げる。


「なんですの、いきなり?」


「本人は笑っているつもりだったのだろうが……」


 そこで言葉が止まる。


 エドワードは少し考え込むように視線を宙へ向けた。


 適切な表現を探しているのだろう。


 その様子を見ただけで、クラリッサには続きが何となく想像できた。


「あなた――」


 静かな声だった。


 しかし、その一言だけで十分だった。


 エドワードは口を閉じる。

 数秒後、小さく咳払いを一つ。


「……今のは忘れてくれ」


「そうしてください」


 クラリッサは柔らかく微笑み、それから二階の方へ目を向けた。


「私は、とても素敵な笑顔だったと思いますよ」


 その言葉に、エドワードは返事をしなかった。


 代わりに窓の外へ視線を移す。


 庭に飾られた花が夜風にそっと揺れていた。


 あの少女は、今日初めて自分の誕生日を知り、初めて祝われ、初めて嬉し涙を流した。


 ぎこちなくても構わない。


 笑顔など、これから何度でも覚えていけばいい。


 そんなことを考えながら、エドワードは静かに湯気の立つ茶器へ手を伸ばした。

第五話以降は、毎週日曜日12時10分更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ