第五話 春の宮廷夜会にて
3万8千PV突破の短編の連載版です!
1話〜6話は旧前後編に加筆・修整したものです。
読み飛ばしていただいても、旧作をご存知の方は話の展開が解ると存じますが、どこが違っているか、楽しんていただければ幸いです。
保護された後も、ユリアナは王宮へ通い続けていた。
もちろん以前のように物置へ戻るためではない。
監査部門の許可を得て、洗浄係として仕事を続けていたのである。
エドワードもクラリッサも難色を示した。
だが、ユリアナにはどうしても続ける理由があった。
春の宮廷夜会である――
王族や有力貴族が集まるその場へ入るには、それ相応の理由が必要だった。
たとえ監査部門の保護下にあったとしても、当日だけ突然現れて会場へ入れてもらえるほど甘くはない。
だから実績を積んだ。
洗浄係として呼ばれ続けるだけの信用を得た。
茶会へ呼ばれれば仕事をこなし、小規模な夜会へ呼ばれれば誰よりも丁寧に汚れを落とした。
地味な仕事だったが、それでよかった。
目立つ必要はない。
必要なのは、宮廷夜会の日に「いつもの洗浄係」として会場へ入ることだった。
その積み重ねは確実に実を結びつつあった。
王宮の使用人たちの間では、洗浄魔法が使える便利な子として顔を覚えられ始めている。
呼ばれる機会も徐々に増えていた。
そして、その過程で様々な話も耳に入る。
第四王子と第五王女の評判もその一つだった。
正式な社交界デビューを控えた二人は、自分たちが夜会の主役になると信じているらしい。
だが実際には、王宮内でその話題を口にする者はほとんどいなかった。
人々の関心は別のところにある。
それを知らないのは、どうやら本人たちだけのようだった。
◇
春の宮廷夜会当日。
王宮の大広間には大勢の貴族が集まっていた。
高い天井には豪奢なシャンデリアがいくつも吊られ、無数の灯火が磨き上げられた床に揺れる光を落としている。壁際には季節の花を活けた装飾が並び、香の薄い甘さが空気に混じっていた。
衣擦れの音と、抑えた笑い声。
遠くでは楽団が静かに演奏を始めており、その旋律が人のざわめきに溶けていく。
人の数は多いのに、不思議と雑然とはしていない。
むしろ一つの“秩序”のようなものが広間全体を支配していた。
立ち位置、視線、会話の距離。
すべてが無言のうちに測られている。
第四王子と第五王女も、今日ばかりは年相応に着飾っている。
二人にとっては社交界デビューの日だった。
もっとも、本人たちが期待していたほど周囲の関心は集まっていない。
アンジファー王国の王家は子だくさんである。
王子や王女の正式披露など、貴族たちにとっては珍しい出来事ではなかった。
もちろん挨拶はするし、祝いの言葉も述べる。
だが、それ以上ではない。
第四王子と第五王女を囲んで称賛の輪ができることもなければ、二人の一挙手一投足に注目が集まることもなかった。
むしろ貴族たちの関心は別のところに向いている。
最近になって王宮内で噂になっている不正疑惑である。
何人もの貴族が小声で情報を交換し、探るような視線を交わしていた。
その様子は、第四王子にも第五王女にも見えていた。
そして気に入らなかった――
本来なら今日の主役は自分たちのはずだったからだ。
時間が経つにつれ、二人の機嫌は目に見えて悪くなっていった。
そんな中、第五王女の視線がふと会場の隅へ向く。
軽食コーナーの近くで、給仕や使用人たちに混じって待機している小柄な少女がいた。
汚れ一つない作業着。
必要とあればすぐ動けるように控えている洗浄係である。
第五王女は眉をひそめた。
「……あれは」
どこかで見た覚えがあった。
ほんの数か月前の出来事だというのに、その顔を思い出すまでには少し時間がかかった。
だが思い出した瞬間、不快そうに顔をしかめる。
「あの時の子じゃない」
その言葉に、第四王子も視線を向けた。
「あのガキ、生きてるじゃないか」
軽く吐き捨てるような声だった。
二人は会話を交わしながら、自然とその場へ歩み寄っていく。
周囲の貴族たちが、わずかに道を開けた。
「おい――」
第四王子の苛立った声が、距離を詰めながら響く。
視線が集まったのを感じたユリアナは、周囲の動きを乱さないように一歩だけ前へ進み、静かに一礼した。
「何か御用でしょうか」
「お前のその態度が気に入らないんだよ」
理不尽だった。
だが第四王子にとって理由など何でもよかった。
ただ鬱憤を晴らしたかったのである。
拳が振り上げられる。
その瞬間、ユリアナは半歩だけ身を引いた。
同時に、風の魔法を足元へ流す。
わずかな補助だった――
だが勢いよく踏み込んでいた第四王子は、そのままバランスを崩した。
「なっ――」
身体が前へと流れる。
踏みとどまろうとしたが、間に合わない。
次の瞬間、会場の一角の豪華な料理が並んだ卓へと突っ込んだ。
並べられていた料理が揺れ、皿が落ちる。
果実酒の入ったグラスが倒れ、赤い液体が広がった。
そして、その被害をまともに受けたのは近くにいた第五王女だった。
「きゃあっ!?」
果実酒がドレスへ降りかかる。
クリームやソースも容赦なく付着した。
社交界デビューのために用意された衣装は一瞬で台無しになる。
第四王子も第五王女も料理まみれだった。
周囲に小さな悲鳴とざわめきが走る。
誰もが何が起きたのか理解できずにいた。
やがて第五王女が叫ぶ。
「あなたのせいよ!」
完全な八つ当たりだった。
だが本人は激昂しており、理屈は通じていない。
扇子を握りしめたまま、ユリアナへと歩み寄る。
「よくも私のドレスを!」
ユリアナは焦る様子もなく、小さく目を瞬かせた。
そして洗浄係としての口調で言う。
「それはいけません」
穏やかな声だった。
「すぐに綺麗にいたします」
そう言うと同時に、水魔法を発動する。
空中に集まった水が一気に広がり、降り注いだ。
「え……?」
第五王女の表情が固まる。
次の瞬間、全身に水が一気にかかり、ドレスの汚れは一瞬で洗い流された。
同時に、第四王子も例外ではなかった。
周囲から息を呑む気配が広がる。
「――貴様ぁ!」
第四王子が顔を赤くして声を上げた。
第五王女も濡れたドレスを握りしめ、鋭い視線を向ける。
「許さないわ!」
二人とも完全に我を忘れていた。
ユリアナは慌てない。
「乾かしましょう」
そう言って、風の魔法を起こす。
本来は洗浄後の水気を飛ばすためのものだった。
だが今回は、少しだけ出力が強かった。
風が一気に吹き抜ける――
「っ……!」
「きゃっ!」
掴みかかろうとしていた二人の体が、勢いに押されてよろめいた。
貴族たちが慌てて道を開ける。
二人はそのまま大広間を滑るように移動し、ダンスホールの中央へと追いやられた。
最も人目を集める場所だった。
盛大な音を立てて転がり込んできた王子と王女――
音楽が止まる。
会場中の視線が集まった。
誰よりも注目を浴びたかった二人は、望んだ以上の注目を手に入れることになった。
お読みいただきありがとうございました。
面白いと思われたら、ブックマーク、評価、リアクション等よろしくお願いします。
作者の励みになります。




