第六話 未来への扉
こちらは本日、第6話です。
こちらからいきなりご覧の方は、第1話からご覧いただければ幸いです。
3万8千PV突破の短編の連載版です!
第一章は旧前後編に加筆・修整したものです。
読み飛ばしていただいても、旧作をご存知の方は話の展開が解ると存じますが、どこが違っているか、楽しんていただければ幸いです。
「何事だ――」
上座から王の声が響いた。
場の空気が一気に引き締まる。
呆然としていた第四王子が、慌てて立ち上がった。
「父上! あの娘が――」
「――陛下」
その言葉を遮るように、別の声が落ちる。
監査部長エドワード・フォン・ライゼンである。
王がわずかに眉を動かした。
「恐れながら、この場をお借りしたく存じます」
周囲の空気が静かに揺れた。
監査部門の長が夜会の最中に進み出るのは、異例だった。
王もまた、ただ事ではないと察したのだろう。
「申してみよ」
エドワードは一礼する。
「現在調査中の不正について、皆様の前で報告すべき段階に至ったと判断いたしました」
その言葉だけで、広間の空気が変わった。
貴族たちの視線が一斉にエドワードへと集まる。
だが彼はそれを意に介した様子もなく、静かに振り返った。
「こちらへ――」
促され、ユリアナが前へ出る。
貴族たちの間から戸惑いの声が漏れた。
少女のことを見覚えている者は少なくない。
茶会や夜会で時折見かける洗浄係の子供だったからだ。
だが、なぜその少女が監査部長の隣に立っているのか分からない。
しかも、エドワード自身が前へ呼び出している。
貴族たちは怪訝そうに顔を見合わせた。
エドワードが静かに告げる。
「こちらの方は、第十三王女ユリアナ・ド・アンジファー殿下です」
広間からどよめきが上がった。
第十三王女――
その名に覚えのない者がほとんどである。
王は目を見開いた――
そんな娘がいただろうか。
そう考えた瞬間、自らの表情がわずかに強張る。
いたか、いなかったか――
即答できないこと自体が問題だった。
貴族たちも互いに顔を見合わせる。
これから何が起ころうとしているのか……誰の中にも、明確な答えはなかった。
エドワードは一度言葉を切り、続けた。
「担当侍女頭による長年の横領、および毒殺未遂の疑いが確認されております」
一瞬の沈黙の後、今度こそ広間が騒然となった。
王の表情も厳しくなる。
「証拠はあるのか」
「十分にございます」
エドワードは即答した――
その声音には一切の迷いがない。
王もそれ以上は問いたださなかった。
監査部長がこの場で断言した以上、裏付けを得ていると判断したのだろう。
エドワードは一歩退いた。
そしてユリアナへ視線を向ける。
それに合わせるように、広間中の視線が少女へと集まった。
だがユリアナは逃げなかった。
今日この場に立つために、いくつも準備を重ねてきたのだ。
今さら、向けられる視線ごときで負けるつもりはなかった。
「皆様――」
九歳の少女の声とは思えないほど、はっきりとした声が響く。
「私は第十三王女ユリアナ・ド・アンジファーです」
広間は静まり返っている。
「ですが今日まで、そのように扱われたことはありませんでした」
ユリアナはゆっくりと言葉を続けた。
「つい先日まで、物置で暮らしていました」
「王女であることさえ知りませんでした」
貴族たちの表情が変わる――
目の前の少女の姿を見れば、それが作り話ではないことくらい分かった。
「私は、いたずらに事を荒立てるためにここへ立ったのではありません」
王へ視線を向ける。
「本日ここへ立った理由は、別にあります」
一度息を吸う。
「私は先日、死にかけました」
会場がざわめく。
「第四王子殿下と第五王女殿下に暴力を振るわれたからです」
視線が二人へ向かう――
第四王子は顔を赤くし、第五王女は唇を噛み締めた。
ユリアナは続ける。
「私は物心ついてからは、下働きとして育てられてきました――」
「だからなのでしょうね。あの時のお二人には、私が人として見えていなかったように思えます」
責め立てる口調ではない。
だがその事実だけが、広間に静かに残った。
「私は怖かったのです」
王へ視線を向ける。
「そのような方々が、何事もなかったかのように成人し、王族として認められていくことが」
静まり返った会場にその声だけが落ちる。
「そして、もっと怖かったのは――」
ユリアナは一度息を吸った。
「私自身が再び消されて、なかったことにされてしまうことでした」
毒を盛られた日の記憶がよぎる。
あの食事を口にしていたら、どうなっていただろう。
気付かれなかった可能性は高い。
王女が死んだとは認識されず、下働きの少女が一人いなくなっただけで終わっていたかもしれない。
「だから皆様の前へ出ました」
ユリアナは会場を見渡す。
一人でも多くの視線に、自分の存在を刻みつけるように。
「皆さま方に、証人になっていただくためです」
次の言葉に、多くの貴族が言葉を失う。
「第十三王女ユリアナ・ド・アンジファーが、確かに存在していたと――」
それが、ユリアナの願いであり“要求”だった。
静まり返った広間の中、王がゆっくりと立ち上がる。
その表情は、重く沈んでいた。
静まり返った広間の中、王がゆっくりと立ち上がる。
「ライゼン卿――」
「はっ」
「調査報告の詳細を提出せよ」
「承知いたしました」
「関係者への沙汰は、その結果を待って決定する」
王は一度言葉を切り、広間を見渡した。
「本件については余が責任を持って対処する」
短い宣言だった――
だが、この場にいた誰もが理解した。
この件は、もはや曖昧に終わるものではない。
今、この広間にいる貴族たちは全員見ている。
忘れ去られていた第十三王女が、自らの足で人々の前へ立った瞬間を――
第十三王女ユリアナ・ド・アンジファーは確かに存在していた。
そして、その事実をもう誰も消すことはできなかった。
◇
春の宮廷夜会から一か月が経った。
王宮では静かな混乱がまだ続いていた。
監査部門の調査により、侍女頭による横領は事実と認定され、関与していた者たちも次々と処分を受けている。
主犯である侍女頭は、長年にわたる横領および王族への重大な背任行為により全財産を没収のうえ国外追放となった。なお、第十三王女への毒殺未遂についても強い疑いが認められたが、決定的証拠は発見されなかった。
帳簿改ざんに協力していた出納係も解任され、不正に得た資産の返還を命じられている。
さらに、報告を怠っていた管理部門の下級官吏や、実態を知りながら黙認していた侍女数名についても減給や降格などの処分が下された。
第十三王女へ支給されるはずだった費用が長年にわたり不正に流用されていたことも明らかになった。
回収された資金は整理のうえ、将来の持参金として信託管理されることが決定した。
また、一部の王族や貴族の子女について実態確認が行われていなかったことも問題視され、王宮全体の管理体制について見直しが始まった。
今後は定期的な監査に加え、王族子女の生活状況や教育状況を確認する制度の整備が進められている。
第四王子と第五王女については、夜会での騒動を含めた再調査が行われた。
その結果、両名には王命による再教育措置が命じられ、一定期間の公式行事参加停止と、王位継承権・序列に関わる評価の見直しが行われている。
社交界への正式参加を目前に控えていた第五王女にとって、それは小さくない打撃だった
第四王子については後継者教育課程から一時的に外され、地方行政視察への同行を命じられた。
夜会の日以降、表立った騒動は起きていない。
だが、王宮は確実に変わり始めていた。
◇
夜会から数日後。
ユリアナは正式にエドワード・フォン・ライゼンの屋敷へ移った。
監査部門による保護措置の一環ではあったが、もはや単なる保護先ではない。
エドワードとクラリッサはユリアナを家族として迎え入れ、ユリアナもそれを受け入れていたのである。
屋敷での暮らしは穏やかだった。
食事の時間になれば食堂へ呼ばれ、勉強に必要な本も用意される。
誰かと一緒に食事をし、明日の予定を話しながら過ごす時間は、ユリアナにとってまだ少し不思議だった。
夜になれば自分の部屋へ戻り、翌日の仕事を心配することなく眠ることができた。
貴族として見れば当たり前の生活なのだろう。
だが、物置で暮らしていたユリアナにとっては、その一つ一つが新しい経験だった。
「慣れたかしら?」
ある日の午後、クラリッサが紅茶を置きながら尋ねた。
「はい――」
ユリアナは頷く。
そして少し考えた後、素直な気持ちを口にした。
「明日のことを考えられるようになりました」
クラリッサは目を丸くし、それから優しく微笑んだ。
「それは素敵なことね」
ユリアナも小さく笑う。
それだけで、十分だった。
母の話も少しずつ聞いていた。
ある時は、屋敷の庭で咲いていた花を見て名前を尋ねて回り、庭師を困らせた話。
またある時は、使用人の子供が泣いているのを見つけ、予定を放り出してあやしていた話。
ユリアナにとって母とは、「幼い頃に亡くなった人」という以上の存在ではなかった。
けれどクラリッサの話を聞くたびに、会ったことのない母が少しずつ身近になっていく。
◇
その日、ユリアナは屋敷の庭に出ていた。
読み書きの練習はまだ途中だ。
覚えることも山ほどある。
貴族として学ばなければならないことも残っている。
だが、それでいい。
九年間を取り戻そうとは思わなかったし、取り戻せるものでもない。
ならばこれから積み重ねていけばいいだけだ。
物置で暮らしていた少女はもういない。
けれど、その日々まで消えたわけではない。
寒さに震えたことも。
空腹に耐えたことも。
誰にも顧みられなかったことも。
すべてがユリアナの歩んできた時間だった。
だからユリアナは過去から目を背けない。
その上で、前を向いて歩いていこうと思った。
ユリアナは空を見上げた――
かつては名前すら知らなかった自分の未来が、そこにはあった。
誰かが与えてくれるものではない。
自分で選び、自分で進む未来だ。
ユリアナは一歩前へ踏み出す。
忘れられていた第十三王女は、自ら未来への扉をこじ開けた。
そして、その先へ歩き始める。
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