第四話 私は第十三王女ユリアナ・ド・アンジファーです
3万8千PV突破の短編の連載版です!
第一章は旧前後編に加筆・修整し8ものです。
読み飛ばしていただいても、旧作をご存知の方は話の展開が解ると存じますが、どこが違っているか、楽しんていただければ幸いです。
昼食を終えたユリアナは、監査部門の執務棟へ向かっていた。
感情に任せて助けを求めても意味はない。
誰に、何を、いつ、どのようにして話すか。
相手が話を聞ける状況かどうか。
前世で医療支援に携わっていた頃、ユリアナは何度もそれを考えてきた。
医薬品の不足を訴える時も、避難民の受け入れを頼む時も、正しい相手へ正しいタイミングで話を持っていかなければ状況は動かない。
訴える内容だけでなく、誰に届けるかも同じくらい重要だった。
だから今回も、まずは相手を見極める必要があった。
茶会や夜会の仕事を続ける中で、王宮の人々の動きも少しずつ頭に入っていた。
その中で知ったのが、監査部長エドワード・フォン・ライゼンの習慣である。
昼食後、よほどの緊急事態でもなければ、十二時三十五分ちょうどになると執務室を出て中庭へ向かう。
だからユリアナも、その時間に合わせてやって来た。
執務室の前に立つ護衛が、小さな来訪者に気付いて怪訝そうな顔をする。
だが声を掛けられるより先に、ユリアナは口を開いた。
「第十三王女ユリアナ・ド・アンジファーが、監査部長様へお目通りを願いたく参りました」
護衛の表情が固まった。
作業着姿の少女と王女という言葉が結び付かなかったのだろう。
ちょうどその時だった。
執務室の扉が静かに開く。
中から現れたエドワードと、ユリアナの目が合った。
ユリアナは姿勢を正し、一礼する。
「監査部長殿。お時間をいただきたく参りました」
エドワードがわずかに眉を上げた。
「私は第十三王女ユリアナ・ド・アンジファーです」
その場の空気が変わる。
護衛もエドワードも何も言わない。
ユリアナはその沈黙の中で続けた。
「私に計上されていた品格維持費に関する不正と、王家に対する背任についてご報告があります」
エドワードの目が鋭く細められた。
監査部長という立場上、その言葉を聞き流すことはできないのだろう。
だが、ユリアナも視線を逸らさなかった。
ここで退けば終わりである。
逃げるという選択肢は最初からなかった。
数秒後、エドワードは護衛へ視線を向ける。
「その子を中へ」
短い指示だった――
それだけで十分だった。
ユリアナは静かに息を吐き、執務室へ足を踏み入れた。
◇
エドワードは最後までユリアナの話を遮らなかった。
物置で暮らしてきたこと。
第十三王女であると知った経緯。
生活魔法を使えるようになったこと。
その力を利用して情報を集めたこと。
十歳の正式披露式を前に、担当侍女頭が焦っていること。
そして、毒が混入したと思われる食事を出されたこと。
すべてを聞き終えると、エドワードは確認するように問い掛けた。
「その食事は食べなかったのですね」
「はい」
「理由を伺っても?」
「味と匂いです」
ユリアナは答える。
「肉にはない苦みと匂いを感じました」
「それで?」
「一口食べて吐き出し、残りは物置にいたネズミへ与えました」
「結果は――」
「翌日には死んでいました」
エドワードは黙り込んだ。
机の上で指を組み、何かを考えている。
ユリアナも急かさなかった。
ここまで来た以上、あとは相手の判断を待つしかない。
やがてエドワードが口を開く。
「ユリアナ王女殿下」
それが初めてだった。
エドワードが王女として呼んだのは。
「あなたが第十三王女であるという話は、現時点では確認が必要です」
「はい」
ユリアナは即座に頷いた。
異論はない。
むしろ当然だと思っていた。
九年間、誰にも王女だと認識されてこなかったのである。
突然現れた少女の言葉だけで信じろという方が無理な話だった。
エドワードは改めてユリアナへ目を向ける。
服は何度も繕われていた。
靴も擦り切れている。
九歳だというが、身体は年齢相応には見えない。
少なくとも王女として養育されてきた子供の姿ではなかった。
だが、それでもエドワードには無視できない理由があった。
「分かりました――」
そう言って立ち上がる。
「監査部門として調査を開始します」
ユリアナは黙って次の言葉を待った。
そしてエドワードは続ける。
「調査が終わるまで、あなたの身柄は私が預かります」
その言葉を聞いた瞬間、ユリアナは胸の奥に張り詰めていたものが少しだけ緩むのを感じた。
ようやく、生き残るための足場を手に入れたのだった。
◇
その日の夕方。
ユリアナはライゼン家の屋敷へ移された。
出迎えたのはクラリッサ・フォン・ライゼンだった。
「ようこそ」
柔らかな笑みを浮かべる女性だった。
淡い金色の髪を緩くまとめ、落ち着いた色合いのドレスを品よく着こなしている。派手さはないが、所作の一つひとつに無駄がなく、育ちの良さがにじんでいた。
クラリッサはユリアナの姿を見て、一瞬だけ言葉を失う。
夫から事情は聞いていた。
だが、実際に目にしたユリアナは想像以上だった。
九歳だというのに身体は小さく、着ている服も何度も繕われている。王女ではなく、貧民街の子供だと言われても疑わない姿だった。
胸の奥が痛んだ。
それでもクラリッサは何も言わない。
代わりに、そっとユリアナの手を取った。
「まずはお風呂にしましょう」
その声は優しかった。
◇
夕食の後。
暖炉の火が静かに揺れる居間で、ユリアナはクラリッサと向かい合って座っていた。
温かい紅茶の香りが漂う。
しばらく雑談をした後、クラリッサがふと思い出したように言った。
「そういえば、お母様のお話は聞いたことがある?」
ユリアナは首を横に振った。
「ありません……母の名前も知りません」
「そう……」
クラリッサは少し寂しそうに微笑んだ。
「貴女のお母様のお名前は、ユーリア様と言うの」
一瞬、言葉の意味がうまく結びつかなかった。
母の名前――
ユリアナは思わず瞬きをする。
「……ユーリア……?」
確かめるような、小さな声だった。
今まで一度も、誰からもはっきりと口にされたことのない名前だった。
それでも、その響きだけが、妙に現実味を持って胸の奥に残る。
「実は私、貴女のお母様とは遠い親戚なの」
「親戚……?」
思わず確かめるように声が出た。
これまで自分の周囲で、「親戚」という関係を意識したことはほとんどなかった。
「ええ。子供の頃は家同士の付き合いもあったから、よく一緒に遊んでいたのよ」
ユリアナは少し遅れて身を乗り出した。
「どんな人だったんですか?」
クラリッサは懐かしそうに目を細めた。
「優しい人だったわ。でもね、優しいだけじゃなかったの」
そう言って小さく笑う。
「私が木から落ちたことがあったのよ」
「木から?」
「ええ。登るなって言われていたのに、面白そうだからって登ってしまって」
ユリアナは少し呆れた顔になった。見かけによらず、かなり活発な性格なのだろうと思った。
クラリッサがくすりと笑う。
「案の定、落ちたわ」
「それは落ちますね」
「そうね。今なら私もそう思うわ」
クラリッサは肩をすくめた。
「その時、お母様が私を背負って屋敷まで運んでくれたの」
「お…母様が?」
「ええ。私の方が年上で少しだけ身体も大きかったのだけれどね」
当時を思い出したのか、クラリッサは楽しそうに続ける。
「私は泣いてばかりいたのに、お母様は『二人で怒られるなら怖くないでしょう』って笑っていたわ」
ユリアナは思わず想像した。
顔も知らない母が、泣いている友人を励ましながら歩いている姿を。
それからも話は続いた――
側室として王宮へ上がる前の話ばかりだった。
一緒に花冠を作ったこと。
池へ落ちた子犬を助けようとして、自分まで池へ落ちたこと。
迷子になった子供を見つけるために、半日かけて森を探し回ったこと。
「いつもそうだったの」
クラリッサは懐かしそうに言う。
「困っている人を見ると放っておけない人だったわ」
ユリアナは黙って聞いていた。
母の顔は知らない。
声も知らない。
抱きしめられた記憶もない。
それでも話を聞いているうちに、少しずつ人物像が形になっていく。
優しくて。
少し無茶をして。
誰かのために動いてしまう人。
そんな母の姿が、ぼんやりと胸の中に浮かんだ。
やがてクラリッサが優しく言う。
「あなたはね――」
ユリアナが顔を上げる。
「はにかむような笑顔の時が、お母様によく似ているの」
「……そうなんですか」
小さくそう返す。
胸の奥に、ほんの少しだけ温度のある何かが残った。
母を知らないまま生きてきた。
だから今日初めて、自分にも確かに母がいたのだと思えた。
クラリッサはそんなユリアナを見つめ、静かに席を立つ。
「今日はもう休みましょう」
「はい」
「部屋は用意してあるわ」
ユリアナは一瞬だけ言葉を失った。
「私の……部屋ですか?」
「もちろん」
クラリッサは微笑む。
「今日からは、あなたの部屋よ」
物置ではない。
寝床を誰かと取り合うこともない。
雨漏りを心配する必要もない。
ユリアナは小さく頷いた。
「ありがとうございます」
その声は、ほんの少しだけ震えていた。
お読みいただきありがとうございました。
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