第三話 洗浄魔法と事の真相
3万8千PV突破の短編の連載版です!
第一章は旧前後編に加筆・修整したものです。
読み飛ばしていただいても、旧作をご存知の方は話の展開が解ると存じますが、どこが違っているか、楽しんていただければ幸いです。
ユリが売り込み先に選んだのは厨房だった。
王宮の中でも特に人手と水を使う場所である。
洗浄魔法の価値を示すには都合が良かった。
翌日、ユリは台所頭のマルタを訪ねた。
「洗浄魔法?」
マルタは胡散臭そうな顔をした。
「はい――」
「お前が使えるってのかい?」
「試してもらって構わない」
マルタは眉をひそめた。
数日前、ユリが頭を打って血だらけになったという話は聞いている。
そのせいで妙なことを言い出したのではないかとも思った。
だが、断る理由もない。
もし本当に使えるなら人手不足の足しになる。
使えなかったとしても、下働きの子供のバカげた妄想で終わる話だった。
「……まあいい。やってみな」
しかし、その結果はマルタの予想とは違っていた。
汚れた食器はもちろん、洗い終えたはずの食器へ魔法をかけると、わずかに残っていた汚れまで綺麗に落ちる。
テーブルクロスの染みも見る間に消えていった。
さらに大きかったのは水の使用量である。
汚れ落ちが良くなれば、その分だけ水を使う量も減らせる。
井戸からの水汲みは下働きにとって重労働だ。
その負担が軽くなる価値は決して小さくなかった。
マルタは腕を組み、しばらく考え込む。
やがて短く言った。
「……明日からも来い」
その一言で仕事が決まった。
以後、ユリは厨房の洗浄係として重宝されるようになる。
洗浄の腕は少しずつ評判となり、仕事の範囲も広がっていった。
◇
やがて小規模な茶会や夜会にも呼ばれるようになった。
会場の隅で待機し、必要に応じてテーブルクロスや衣服についた汚れを落とす係である。
貴族たちの視界へ入らないことが求められるため、呼ばれれば素早く駆け付け、仕事を終えればすぐに下がる。
――そんな立場だった。
ユリにとっては好都合である。
目立つつもりなどなかったし、仕事をして報酬代わりの余り物を得られるなら十分だった。
その一方で、裏方として会場を行き来するうちに、王宮内の人間関係も少しずつ見えるようになっていく。
誰に人が集まり、誰の一言で周囲の空気が変わるのか。
誰が信頼され、誰が警戒されているのか。
前世の経験もあり、ユリはそうした観察を得意としていた。
そんな中で何度か耳にしたのが、元老院直属監査部門の長であるエドワード・フォン・ライゼンの名前だった。
規則に厳しく、不正を見逃さない人物として知られているらしい。
王宮で働く者たちが口を揃えてそう言うのだから、少なくとも評判だけは本物なのだろう。
ユリはその名前を覚えておいた。
もっとも、その時はまだ、その人物が自分の運命を大きく変えることになるとは知らなかった。
◇
転機が訪れたのは、十歳の正式披露式まで半年を切った頃だった。
その日、物置へ届けられた夕食は珍しく豪華だった。
肉料理まで付いている。
侍女頭が最近の働きを褒めてくださったからだ、と運んできた使用人は言った。
だが、ユリは一口食べたところで吐き出した。
かすかな異臭――
いや、異臭だけではない。
舌先に残る痺れ方が不自然だった。
前世で医療支援に携わっていた頃、誤飲や中毒患者を診る機会は少なくなかった。
医師としての記憶と、この世界で食べ物を選ぶ余裕もなく残飯をあさって生きてきた経験の両方が警鐘を鳴らしていた。
腐敗した味ではない。
香辛料の刺激とも違う。
舌に残る違和感から、何か別のものが混ざっているのではないかとユリは考えた。
そう判断したユリは、それ以上口にすることは避け、食べたふりをして残りを処分した。
ただの思い違いかもしれない。
それでも違和感を見過ごす気にはなれず、翌日から食事の内容や配膳の様子を観察するようになった。
同時に、人から話を聞くことも始めた。
前世で医師をしていた頃、患者との会話から手掛かりを得ることは珍しくなかった。
洗濯場で交わされる世間話も、その延長だった。
厨房では使用人たちの愚痴を聞いた。
茶会や夜会の準備中にも、それとなく会話を拾った。
裏方として働く者は目立たない。
だからこそ、人は油断して様々なことを口にする。
知りたかったのは、差し入れを指示したという侍女頭についてだった。
下働きの子供が直接探れる相手ではない。
そのため仕事の合間に話を聞いて回ったところ、妙な噂がいくつも耳に入った。
給金に見合わない高価な装飾品。
派手な買い物。
そして出納係との密会。
最初はただの噂だと思った。
だが、気になったユリは二人が会っている場所を突き止め、人目を避けて様子を窺った。
聞こえてきたのは愛人同士の話ではない。
金の流れについての会話だった。
「――誰かいるの!?」
危うく見つかりそうになりながら聞こえてきたのは、恋愛話ではなかった。
「……十三王女の予算なら……」
「気付かれていないわ」
「式さえ終われば……」
「だから、今は余計なことを――」
途切れ途切れだったが、それだけで十分だった。
――侍女頭は何かを隠している。
そして、その何かは第十三王女に関係しているらしい。
ユリはそれを確かめるため、さらに調べることにした。
そしてその後、一つの事実へ辿り着く。
自分は下働きの孤児ではない。
アンジファー王国第十三王女――ユリアナ・ド・アンジファーだった。
さらに十歳になると王族お披露目の儀が行われることも知った。
宮廷管理省からは準備を進めるよう通達が出ているらしい。
そこまで分かれば話は早かった。
これまで自分に使われたことになっている予算を調べられれば、不正は発覚する。
長年にわたって生活費や教育費を着服してきた侍女頭にとって、それは何としても避けたい事態だったはずだ。
お披露目の儀が行われれば、自分の存在は隠せなくなる。
そうなれば、自分がこれまでどのような扱いを受けてきたのかも調べられるだろう。
そして、その先には横領の発覚が待っている。
ユリはそこでようやく理解した。
あの差し入れはやはり毒入りだったのだ。
不正を隠し通すためには、自分という存在そのものが邪魔だったのである。
「……そういうことか」
ユリは小さく呟いた。
命を狙われた理由が分かったことで、かえって頭は冷静になっていた。
そういえば、王族の扱いについて、今回の件を調べる過程で初めて知ったことがあった。
五歳までは貴族の子どもと同じように育てられ、その後もしばらくは人前に出ることはほとんどない。
十歳の儀式で初めて、正式に王族として公に認められる。
それまでは、王宮にいても“存在しないものとして扱われることがある”──そういった制度だという。
(……だから、あの扱いでも成立していたのか)
ユリはそこで初めて、自分の立場の異常さを制度として理解した。
五歳の仮お披露目の儀についても同じだった。
体調不良を理由に中止とされているが、その裏で何があったのかまでは追えていない。
王族の“空白期間”は制度として存在している。
そして、その空白が誰かにとって都合のいい形で使われている可能性がある。
今回、侍女頭の不正を追う過程で、宮廷管理の記録や周囲の人間の会話を拾っていくうちに、その仕組みが見えてきたのだ。
いろいろなことを知っても、恐怖が消えたわけではない――
それでも、理由も分からないまま怯えていた時よりはずっと良かった。
お読みいただきありがとうございました。
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