第十九話 忘れられたい王女は噂を望まない
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冬の始まりを迎えた頃。
暦の上では冬とはいえ、この日は秋の名残を思わせる穏やかな陽気だった。冷たい風も弱く、陽射しは柔らかい。季節が少しだけ戻ったような、小春日和の一日である。
エレノアが暮らす離宮には、そんな日差しをたっぷりと取り込むサンルームがあった。
大きな窓が幾つも並び、冬の陽射しが室内の隅々まで差し込んでいる。磨き上げられた床や家具は光を受けて輝き、白いテーブルクロスの上では、銀のティーセットや細かな模様の入った磁器がきらきらと光を返していた。
窓際に置かれた鉢植えの花々も暖かな陽射しを浴び、外の寒さを忘れさせるように咲いている。
暖炉まで焚かれているわけではない。それでも、陽射しの熱が室内を十分に温めているため、厚手の上着を脱いでいても寒さを感じない。
冬の宮殿にありながら、そこだけ春を先取りしたような明るく暖かな空間だった。
この離宮は、もともと第二側室カロリーナと、その子供たちに与えられたものだった。
王宮にほど近い場所にありながら、王族の居住区画からは少し離れている。敷地内には居室や庭園、使用人のための施設なども備えられており、一つの屋敷のようになっていた。
そのサンルームで、ユリアナはエレノアと向かい合ってお茶を楽しんでいた。
クラリッサはユリアナの傍らに着席し、マギーも少し離れた場所に控えている。
しばらく話をしたところで、エレノアから視線を向けられたマギーが、ユリアナの前へ歩み出た。
そして、深々と頭を下げる。
「本当に申し訳ありませんでした」
「……え?」
ユリアナは目を瞬かせる。
何について謝られているのか、すぐには分からなかった。
マギーは頭を下げたまま動かない。
ユリアナは困ったようにクラリッサを見る。
「とりあえず、頭を上げて下さい」
クラリッサが声をかけても、マギーはなかなか顔を上げなかった。
◇
このお茶会が開かれることになったのは、少し前のことだった。
ライゼン家に、一通の手紙が届いた。
差出人はエレノアだった。
そこには、離宮でお茶会をしないかという誘いが書かれていた。
大勢を招いての催しではない。
エレノアがユリアナと個人的に話をするための、プライベートなお茶会だった。
手紙を受け取ったユリアナは、すぐに返事を決めることはせず、クラリッサとエドワードに相談した。
「将来のことを考えると、こういう経験も積んでいた方がいいのだろうね」
エドワードがそう言うと、クラリッサも頷いた。
「たしかにそうですね。エレノア様となら、妙な裏を考える必要もなく、安心でしょうから」
ユリアナも二人の言葉に納得し、了承の返事を出すことになった。
ところが、その返事を出してから、別の問題が持ち上がった。
「ユリアナ、こちらの衣装はどうかしら?」
「……え?」
気がつけば、クラリッサの前には何着もの衣装が並べられていた。
「こっちも可愛らしいですし、こちらもよく似合いそうですね」
「そんなに必要なのでしょうか……?」
「せっかくのお茶会ですもの。少しくらいお洒落をしてもいいでしょう?」
クラリッサは楽しそうに衣装を見比べている。
クラリッサには息子が二人いる。
娘はいなかったため、こうしてユリアナのために王女らしい衣装を選ぶことを、すっかり楽しんでいるらしい。
「でも、お茶を飲みに行くだけですよ?」
「そうですけれど、ユリアナが可愛らしくしているところを見るのも、私は楽しみなのです」
「……そういうものですか?」
「そういうものですよ」
クラリッサは迷いなく頷いた。
なんとなく押し切られたユリアナは並べられた衣装を見比べ、それからクラリッサを見る。
どうやら、ここで何を言っても譲ってもらえそうにない。
「では……クラリッサ様が選んでください」
「まあ。任せてくださるのね」
嬉しそうに顔をほころばせたクラリッサに、ユリアナは少しだけ苦笑した。
あまり無理のないように、ユリアナの体調を考慮しながらも、たくさんの衣装を合わせた末、ようやく一着が決まった。
身支度を終えたユリアナは、鏡に映った自分の姿を見て首を傾げる。
「……似合っているのでしょうか」
「ええ。とてもよく似合っていますよ」
クラリッサは満足そうに頷いた。
◇
こうして準備を終えたユリアナは、クラリッサとともにエレノアの暮らす離宮へ向かった。
離宮へ到着すると、玄関先でマギーが二人を出迎えた。
「お待ちしておりました、ユリアナ様。クラリッサ様も、ようこそお越しくださいました」
「今日はお招きいただいて、ありがとうございます」
ユリアナが挨拶を返す。
マギーも丁寧に一礼すると、二人を離宮の中へ案内した。
その途中、マギーと視線が合った。
ほんの一瞬。
マギーの目が、わずかに揺れたように見えた。
「……?」
ユリアナは小さく首を傾げた。
けれど、マギーはすぐにいつもの落ち着いた表情に戻り、何事もなかったように廊下を進んでいく。
ユリアナも特に問いかけることはせず、その後をついていった。
やがて案内されたのは、エレノアが待っているサンルームだった。
窓から差し込む冬の日差しが、室内を穏やかに照らしている。
ユリアナたちの姿を認めると、エレノアが席から立ち上がった。
「ユリアナ様、本日はお越しくださってありがとうございます」
「こちらこそ、お招きいただいてありがとうございます」
挨拶を交わすと、エレノアは笑顔で席を勧めた。
「どうぞ、お座りください」
「はい」
ユリアナが席につくと、エレノアも自分の席に戻った。
クラリッサはユリアナの隣に腰を下ろす。
こうしてお茶会が始まり、しばらくは当たり障りのない話が続いた。
最近の天気や王宮での出来事、庭に植えられている花のこと。
ユリアナもエレノアの話に答えながら、ゆっくりとお茶を口にする。
やがて、給仕をしていた侍女たちが下がっていった。
残ったのは、エレノアとユリアナ、クラリッサ、そしてマギーの四人だけだった。
ふと、話が途切れたころ、エレノアがマギーにさりげなく目配せをした。
それを受けたマギーは、エレノアの後ろからユリアナの方へ歩み出た。
「本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
「……え?」
ユリアナは目を瞬かせた。
何について謝られているのか、すぐには分からない。
マギーは頭を下げたまま動かなかった。
ユリアナは困ったようにクラリッサを見る。
「とりあえず、頭を上げて下さい」
クラリッサが声をかける。
しかし、マギーは顔を上げない。
クラリッサはエレノアへ視線を向けた。
エレノアはまだ頭を下げ続けているマギーを見て、わずかに眉を寄せた。
「マギー。お二人が困ってらっしゃるから、何について謝っているのか説明して」
「はい……」
ようやくマギーが顔を上げた。
「私が不用意に行動したため、筆頭宮殿医がユリアナ様に興味を持ち、襲撃事件が起きたのだと……」
「……ああ」
ユリアナは、ようやく何のことなのか察した。
マギーが以前、自分にエレノアが倒れた夜のことを尋ねた件だ。
「それは、結果論にすぎません」
ユリアナは静かに答えた。
「悪意をもって行動する人間は、きっかけがあろうとなかろうと悪事を働くものです」
マギーは何も言わなかった。
クラリッサも、エレノアも言葉を失っている。
まだ幼い少女から出たとは思えないほど、割り切った言葉だった。
けれど、それがユリアナにとっては当たり前の考え方なのだろう。
三人は改めて、『忘れられた王女ユリアナ』がこれまで生き抜いてきた不遇な環境に思いを馳せた。
重くなった空気を変えるように、クラリッサが口を開く。
「幸い、ユリアナ様に怪我もなかったのだから……」
その言葉に、マギーは小さく頷いた。
エレノアが、ふと思い出したように口を開いた。
「……そう言えばユリアナ様、大層な活躍だったそうで」
話題を変えたつもりであったのだろうが、ユリアナにとっては触れてはほしくない方へと向かう結果となった。
「えっ!?」
ユリアナは思わず声を上げた。
「賊どもをちぎっては投げの、快刀乱麻の大活躍とお聞きしました」
「その話、広まっているのでしょうか?」
ユリアナは思わず身を乗り出した。
襲撃の際、自分が何をしたのか。
詳しい話が広まれば、『忘れられたい王女』として目立ちすぎることになる。
そんなユリアナの心配を察したのか、エレノアは笑って首を横に振った。
「大丈夫です。今のところ情報統制が敷かれています」
「情報統制……」
「詳細を知っているのは、王族の一部と重臣数名だけだそうです。少なくとも、誰もが知っているような話にはなっていません」
ユリアナは、ほっとしたように息を吐いた。
「それなら、よかったです……」
「ですが、私が聞いた話では、ユリアナ様は大勢の賊を相手に、まるで熟練の騎士のように戦われたとか」
「いえ、あの……」
ユリアナは言葉に詰まった。
実際には、魔法で敵の動きを止め、味方を守りながら戦況を整えていただけだ。
少なくとも、賊をちぎって投げた覚えはない。
「エレノア殿下。その話は、どなたからお聞きになったのですか?」
クラリッサが尋ねる。
「お母様……第二側妃様からです。
詳しいことまでは教えていただけませんでしたが、陛下や王太子殿下が、その戦いぶりを大層褒めておられたそうです」
エレノアはそう答えてから、ユリアナへ視線を戻した。
「それで、実際にはどのように戦われたのですか?」
問いかけるその目は、好奇心に満ちていた。
「えっ、ええと……」
ユリアナは、助けを求めるようにクラリッサを見る。
しかし、クラリッサは微笑みながら、黙って続きを待っていた。
「……皆を護るために、必要と思われることをしただけです」
ようやくそう答えると、エレノアは感心したように目を輝かせた。
「……そのように考え、決断し、実行できることがすごいのです」
「そうでしょうか……」
「はい。私なら、賊に囲まれた時点で何もできなくなってしまいます」
エレノアの率直な言葉に、ユリアナは返事に困った。
自分にとっては、あの場でできることをしただけだった。
けれど、それを他人から見れば、大層な活躍に見えるらしい。
ユリアナは手元の茶器へ視線を落とした。
「……あまり、大げさに広まらないといいのですが」
その呟きに、クラリッサが穏やかに答える。
「今のところは、心配しなくても大丈夫でしょう」
「そうですね」
エレノアも頷いた。
「詳細をお聞きできないのは残念ですが……
今日はそのような話ばかりではなく、もっと楽しい話をいたしましょう」
そう言って、エレノアは菓子の皿をユリアナのほうへ押し出した。
ユリアナは皿の上の菓子を見つめ、それからエレノアへ視線を戻した。
「……ありがとうございます」
「いつか、そっと教えてね」
唇に人差し指を当てて、エレノアが笑う。
ユリアナも小さく笑い、菓子へ手を伸ばした。
冬の日差しが差し込むサンルームで、四人の茶会はそのまま穏やかに続いていった。
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