第十六話 友人への手紙
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王宮、監査室。
エドワードは机の前に立ち、王都守備隊から届けられた報告書へ目を通していた。
「先日の襲撃について、追加の報告があるということだが」
向かいに立つ守備隊の担当者が頷く。
「はい。逃走した者の捜索を続けた結果、数名を追加で捕らえることができました」
「最終的な人数は?」
「十名です」
エドワードは報告書へ目を落とした。
「そのうち九名は、冒険者や傭兵崩れの者たちでした。腕は立つものの、特定の組織に所属している様子はありません」
「残る一人は?」
「現場で護衛隊長殿が捕らえた男です」
エドワードが顔を上げる。
あの場で狩猟者を装い、最初に接近してきた三人。
その中でも隊長と直接戦い、最後まで抵抗していた男だった。
「やはり、あの男か」
「はい。一団の中では、明らかに他の者より立場が上だったようです」
「何か話したのか?」
「最初は何も。かなり用心深い男でした」
担当者が一度言葉を切る。
「自分が捕らえられた場合に備えて、何か細工をしている可能性も考えられましたので、監視を厳重にしました。そのうえで、精神操作系の魔導士を手配して尋問を行っています」
「結果は?」
「大した情報は得られませんでした」
「……そうか」
「どうやら、裏組織の末端だったようです。指示を受けてはいましたが、依頼者について詳しいことは知らされていませんでした」
エドワードは報告書をめくる。
「では、襲撃の目的は?」
「そこだけは確認できました」
担当者の声が少し低くなる。
「ユリアナ殿下の誘拐です」
エドワードの手が止まった。
「誘拐……」
「はい。殺害ではありません」
担当者は続ける。
「依頼を受けた者たちには、できるだけ殿下に怪我をさせず、生きたまま連れてくるよう指示されていたそうです」
「理由は?」
「それについては、依頼を受けた男も知らされていませんでした。ただ――」
「ただ?」
「ユリアナ殿下が、何らかの特殊な知識や技術を持っている可能性がある、と聞かされていたようです」
エドワードは黙って考えた。
ユリアナが何を知っているのか。
それを知りたい人物がいる。
だから殺すのではなく、捕らえようとした。
先日の襲撃が、単なる金目当ての誘拐ではなかったことだけは確かだった。
「依頼人については、全く分からないのかね?」
「裏組織の頭目の部屋に入っていく姿を見かけただけのようです」
男が覚えていたのは、わずかな特徴だけだった。
「顔は覆面で隠していたそうです。大きなマントを着ていて、身分を示すものも見えなかったそうです」
「声や年齢は?」
「男であることと、かなり尊大な態度だったことくらいしか」
「他には?」
担当者は少し考えた。
「……薬草の匂いが強かったそうです」
エドワードが顔を上げる。
「薬草?」
「はい。男のそばを通った際、かなり強く感じたと言っています」
薬草を扱う者など、王都にはいくらでもいる。
薬師や医師、治療院に勤める者もいる。
それだけなら、とても手掛かりとは言えない。
だが――ユリアナを狙った人物となると話は変わってくる。
エドワードの脳裏に、ある人物が浮かんだ。
宮殿医。
「……」
ユリアナと直接関わる機会があり、薬草を扱う立場にある。
条件だけを見れば、候補にはなる。
しかし、それだけで疑うには材料が足りない。
「守備隊では、どう見ていますか?」
「現在、内々に調査を進めています」
担当者が答える。
「ユリアナ殿下が関わった件で、医療関係者となれば候補はかなり限られます。関係者の出入りや最近の行動なども含めて確認しています」
「そうか」
エドワードは頷いた。
「何か分かったら、すぐに知らせてくれ」
「承知しました」
担当者が一礼する。
「では、失礼いたします」
扉が閉じた。
エドワードは一人、机の上に残された報告書へ目を落とす。
薬草の匂いだけでは、まだ何も決められない。
それでも、気になることには違いなかった。
「……こちらでも、少し探ってみるか」
エドワードは報告書を閉じた。
◇
その頃、ライゼン家では――
ユリアナのもとへ、一通の手紙が届いていた。
差出人はエレノアだった。
封を開けると、先日の襲撃を心配していたことや、ユリアナが無事だったことへの安堵が綴られている。
ユリアナは最後まで読み終えると、手紙を机の上へ置いた。
「……」
しばらく考える。
前回エレノアと会ったときは、ライゼン家を通しての正式な訪問だった。
そのため、あのときのやり取りは社交上のものとして考えればよかった。
しかし、今回は違う。
この手紙は、エレノアから自分へ直接送られてきたものだ。
先日の襲撃を心配してくれた。
ならば、自分も返事をするべきだろう。
ユリアナは机へ向かい、便箋を一枚取り出した。
羽根ペンを手に取る。
まずは、手紙を送ってくれたことへの礼を書く。
心配してくれたことにも礼を述べ、自分は無事であることを伝える。
その後も思いついたことを順番に文章へしていく。
しばらくして、ユリアナは書き終えた。
便箋を読み返す。
誤字はない。
言葉遣いにも、失礼なところはないはずだ。
これなら問題ないだろう。
そう思ったところで、ユリアナは手を止めた。
エレノアとは友人だ。
前回のやり取りを経て、そういう関係になった。
ならば、友人へ送る手紙には、社交上の手紙とは違う書き方があるのだろうか。
ユリアナには、その判断がつかなかった。
結局、書き終えた便箋を持って、クラリッサのところへ向かうことにした。
「クラリッサ様。少し見ていただけますか?」
「ええ、もちろん」
クラリッサは手紙を受け取った。
便箋へ目を通していく。
そして――。
「……ふふ」
「何か問題がありましたか?」
「いいえ。問題はないわ」
クラリッサは笑みを浮かべながら、もう一度手紙へ目を落とす。
「ただ……」
「はい?」
「とてもよくできた報告書みたいね」
「報告書?」
ユリアナは首を傾げる。
「ええ」
クラリッサは便箋を軽く持ち上げた。
「先日の襲撃について、無事だったこと。心配してくれたことへの感謝。今後について。必要なことは、全部書いてあるわ」
「それなら、問題ないのでは?」
「ええ。だから、問題はないの」
クラリッサは苦笑する。
「でも、友人へ送る手紙なら、もう少し気持ちを書いてもいいと思うのよ」
「気持ち……」
ユリアナは手紙へ目を戻した。
何を書けばいいのか、すぐには思いつかなかった。
「こういう手紙を書くのは、苦手なの?」
クラリッサが尋ねる。
「……そうですね」
ユリアナは素直に答えた。
「前の人生でも、あまり書いたことがありませんでした」
「家族や、お友達には?」
ユリアナは少し考える。
「多分……家族とは、あまり……」
言葉を選ぶように、ゆっくり続ける。
「仕事の関係で知り合った人は多かったのですが、個人的に手紙を書くような相手は、それほどいなかったと思います」
医療支援の仕事をしていた。
同僚もいたし、現地で知り合った人もいた。
けれど、それは仕事を通じた関係が中心だった。
家族について思い浮かべようとすると、なぜか胸の奥が重くなる。
何があったのかは、今のユリアナにもはっきりとは分からない。
ただ、親しい相手と手紙を交わした記憶がほとんどないことだけは確かだった。
「だから、どう書けばいいのか分からなくて」
クラリッサはユリアナの言葉を聞き、少しだけ表情を和らげた。
「そうだったのね」
「はい」
クラリッサはユリアナの隣へ腰を下ろした。
「無理に特別なことを書かなくてもいいのよ」
「そうなのですか?」
「ええ」
クラリッサは便箋を指で示す。
「たとえば、先日のことを少し振り返ってみるのもいいわ」
「襲撃のことを?」
「……それでもいいけれど、その前に何をしていたかでもいいわね」
ユリアナは考える。
「……花冠を作っていました」
「そうでしょう?」
クラリッサが微笑む。
「それを書いてみたら?」
「ですが、それが手紙と何の関係が……」
「友人への手紙って、必ずしも用事を書くものではないのよ」
ユリアナは黙ってクラリッサを見る。
「今日こんなことがあったとか、これを見て面白かったとか。
そういうことを伝えるだけでも、手紙になるの」
「……なるほど」
理屈としては理解できる。
しかし、それを自分から誰かへ伝えるという発想には、まだ少し慣れない。
「エレノア様は、そういう話を聞きたいのでしょうか?」
「きっとね」
クラリッサは頷く。
「少なくとも、あなたが無事だったという報告だけよりは、ずっと嬉しいと思うわ」
ユリアナは手紙を見つめる。
エレノアから届いた手紙には、襲撃のことだけではなく、自分を心配している気持ちが書かれていた。
必要な情報だけを伝えるための文章ではなかった。
それなら――
ユリアナは羽根ペンを取り直した。
「では、少し書き直してみます」
「ええ」
クラリッサは微笑んだ。
「一緒に考えましょう」
ユリアナは便箋へ向き直った。
何を書けば相手が喜ぶのか。
それはまだ、よく分からない。
けれど、エレノアが自分へ手紙をくれたことは嬉しかった。
そのことだけは、少しずつ分かってきていた。
まず、先ほど書いた文章を読み返す。
内容そのものを大きく変える必要はないように思えた。
ただ、クラリッサに言われた通り、少しだけ書き加えてみる。
先日の休日に花冠を作ったこと。
クラリッサから教えてもらいながら、花を選んだこと。
そして、襲撃が起きる前までは、とても楽しい時間だったこと。
そこまで書いたところで、ユリアナは手を止めた。
「……この先は、何を書けばいいでしょうか?」
「そうねえ」
クラリッサも便箋を覗き込む。
「エレノア様へ聞きたいことを書いてみたら?」
「聞きたいこと……」
「最近どうしているのか、とか。何か困っていることはないか、とか」
ユリアナは考えた。
「……エレノア様が、何をしているのかは気になります」
「でしょう?」
「では、それを書きます」
ユリアナは再び羽根ペンを走らせた。
エレノアが最近何をしているのか。
以前話していたことはどうなったのか。
また会う機会があるのか。
思いついたことを一つずつ文章にしていく。
そして最後に、先日のことを心配してくれたことへの礼を改めて記した。
「これでいいでしょうか?」
ユリアナが便箋を差し出す。
クラリッサは最初から最後まで目を通した。
「ええ。今度はずいぶん良くなったわ」
「どこがでしょう?」
「あなたがエレノア様に話しかけている感じがするもの」
「……話しかけている」
ユリアナは、その言葉を繰り返した。
確かに、最初に書いたものとは少し違う。
必要なことを伝えるだけではなく、自分から相手へ尋ねている。
相手から返事が来ることを前提にしている。
「これが、友人への手紙なのですね」
「ええ」
クラリッサが微笑む。
「少なくとも、私はそう思うわ」
ユリアナは完成した手紙を眺めた。
まだ、こうしたやり取りに慣れたわけではない。
けれど、エレノアから届いた手紙を読んだときに感じたことは、少しだけ分かった気がした。
自分の無事を知りたいと思ってくれた。
だから、手紙を送ってくれた。
ならば、自分も相手のことを知りたいと思えばいい。
「……ありがとうございます、クラリッサ様」
「どういたしまして」
ユリアナは手紙を封筒へ入れた。
あとは明日、侍従へ渡せばいい。
クラリッサが穏やかに尋ねる。
「エレノア様から返事が来るの、楽しみじゃない?」
ユリアナは少し考えた。
「……はい」
短い返事だった。
けれど、その答えには迷いがなかった。
◇
一方その頃。
王宮の監査室では、エドワードが一人で書類を整理していた。
先日の襲撃について、守備隊から受け取った報告書が机の上に並んでいる。
捕らえた者たちの人数や負傷者の状態。 逃走した者たちについての情報。
そして、襲撃者たちから得られた証言。
一通り目を通したものの、依頼人の正体については、まだ何も分かっていない。
薬草の匂い。
ユリアナを生きたまま捕らえるという指示。
そして、特殊な知識や技術を持っている可能性があるという認識。
エドワードは報告書へ目を落とした。
「……何を知っていると思われているんだ?」
ユリアナ本人に聞いても、心当たりはないだろう。
そもそも本人が知らないところで、何かを利用しようとしている可能性もある。
今のところ、推測の域を出ない。
エドワードは書類を閉じた。
追加の調査結果を待つしかない。
そう判断して、次の書類へ手を伸ばした。
翌日。
ユリアナが書いた手紙は、王都の邸宅へ届けられた。
そして数日後。
返事を待つユリアナのもとへ、再び一通の手紙が届くことになる。
それが、これから少しずつ増えていく手紙の最初の一通になることを、ユリアナはまだ知らなかった。
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