第十話 進むべき道
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ユリアナは一つひとつを思い返すように、昨夜の出来事を語っていった。
エレノアが倒れるまでのお茶会の様子と、容態の深刻さに気付き、医務室への搬送を急がせたこと。
御殿医の見立てに誤りがあると判断し、人払いを頼んだこと。
このままでは助からないと考え、誰もいなくなった医務室で治癒魔法を使ったこと。
そして、その判断の根拠についても話した。
自分には前世の記憶があること。
生まれ変わる前の世界は、この世界よりはるかに文明が発達しており、その世界では医療も発達していて、エレノアの症状と治療法についての知識があったこと。
前世で見聞きした知識が、今の自分の考え方や判断の礎になっていること。
話せることは、包み隠さずすべて話した。
「……というわけです」
最後にそう締めくくると、ユリアナは膝の上で重ねていた手をぎゅっと握った。
部屋は静まり返っていた。
クラリッサは何も言わず、静かに二人を見守っていた。
昨夜すでに聞いている話だからではない。 エドワードが考えをまとめるのを待っているのだ。
エドワードは机の上で組んだ両手に顎を預けたまま、静かに考え込んでいた。
表情に動きはない。 驚きも困惑も表には出さず、静かに考えを巡らせている。
その沈黙が、かえってユリアナの緊張を募らせた。
治癒魔法のことや前世のことなど、どれも常識から外れている。
もし自分が逆の立場だったなら、とても信じられなかっただろう。
だから、どんな言葉が返ってきても受け止めよう。
――そう覚悟を決めた時だった。
エドワードがゆっくりと顔を上げた。
ユリアナを真っすぐ見つめ、静かに息をつく。
「まず結論から話そう」
その落ち着いた声に、ユリアナは自然と背筋を伸ばした。
「前世の件は、今後誰にも話さない方がいい」
「……はい」
「私とクラリッサ以外には、何があってもだ。
その秘密は墓場まで持っていくがいい」
言葉は穏やかだったが、迷いはなかった。
「人は、自分の知っている常識の中で物事を考える」
エドワードは静かに続ける。
「生まれる前の記憶があるなど、普通は発想すらしない。
自分から口にしない限り、誰もその答えへ辿り着くことはないだろう」
ユリアナは小さく頷いた。
昨夜、クラリッサにも似たことを言われた。
だが、エドワードの口から改めて聞くことで、その言葉の重みが胸へ落ちてくる。
「では、医療についての知識はどう説明すればよいのでしょうか」
ユリアナが尋ねると、エドワードは少しだけ口元を緩めた。
「難しく考える必要はない。
本で学んだことと、自分の経験から考えたことだと言えばいい」
「経験……ですか?」
「ああ」
エドワードは頷く。
「腹が痛い時、人は無意識に少しでも楽な姿勢を取ろうとする。
息苦しい時も同じだ。身体を少し起こした方が呼吸が楽になると感じた者は、昔から少なくなかっただろう。
そうしたことは、特別な知識がなくても日々の暮らしの中で気付くものだ」
ユリアナは思わず感心した。
確かに、それなら誰にも疑われない。
前世の知識そのものを語る必要はなく、この世界の人々にも理解できる形で説明できる。
「もちろん、何でも説明できる万能な理由ではない」
エドワードは付け加える。
「だが、これまでのユリアナの経験を鑑みれば十分通用するだろう」
「……はい」
ユリアナは素直に頷いた。
秘密を守るために嘘を重ねるのではなく、相手が納得できる事実で説明する。
それは、この世界でも前世でも変わらない、人との信頼を築くための知恵なのだとユリアナは理解した
エドワードは一度言葉を切ると、表情を引き締めた。
「そして、もう一つ――」
その声色が変わったことに、ユリアナも自然と背筋を伸ばく。
「治癒魔法についてだ」
やはり、その話になるか――
ユリアナは静かに頷いた。
「今回は人命が懸かっていた。あの場で治癒魔法を使った判断を責めるつもりはない」
エドワードは一拍置いた。
「だが、それを前例にしてはならない。
今回は救えた。だからといって、次も同じ判断をしてよいという話ではない」
ユリアナは静かに息をのんだ。
エドワードは責めているのではない。 自分を守るために言ってくれているのだと分かっていたからだ。
「治癒魔法は、お前自身を守る最後の砦だ。
人を救おうとするたびに明かしていては、その力を守ることはできない」
ユリアナは黙って頷く。
「だから覚えておきなさい。
その力は、最後の切り札だ。 本当に、それ以外に道が残されていない時だけ使うものだ」
「最後の……切り札」
「そうだ」
エドワードは頷く。
「人は、一つ大きな秘密を知ると、それ以上はないと思いやすい。
治癒魔法という事実を知れば、多くの者は『これが最大の秘密だったのだ』と考えるだろう。そこで思考が止まる」
ユリアナは、その意味を考える。
つまり――前世のことまで辿り着かせないための盾にもなる、ということか。
クラリッサも静かに頷いた。
「中途半端に秘密を明かしていけば、『まだ何か隠しているのではないか』と思われてしまいますものね」
「そのとおりだ」
エドワードは穏やかに微笑む。
「だから、秘密は小出しにしない。 明かすなら最後の最後に、一度だけだ
そして、その秘密が治癒魔法だと知った時、多くの者は『もうこれ以上はない』と思うだろう」
ユリアナはその言葉を胸の中で反芻した。
治癒魔法は、命を救う力であると同時に、自分自身を守るための最後の切り札でもある。
そう考えると、その重みが改めて実感として伝わってきた。
しばらく考え込んでいたユリアナは、ふと一つの疑問を口にした。
「エドワード様」
「どうした?」
「治癒魔法を使える方は、この国にどれくらいいらっしゃるのでしょうか」
エドワードは少し考えてから口を開いた。
「伝承では、歴代の聖女が治癒魔法を使えたと言われている」
クラリッサも頷く。
「でも、今は聖女様もいらっしゃらないし、治癒魔法を使える方がいるという話も聞かないわ」
「ああ」
エドワードは頷いた。
「現在、聖女の座は空位だ」
「治癒魔法を使える者が現れたという話も聞かない」
ユリアナは静かに息をのむ。
想像していた以上に、希少な力だった。
「もし、私が使えることが知られたら……」
恐る恐る尋ねると、エドワードは迷いなく答えた。
「間違いなく大騒ぎになる。
教会は放っておかないだろうし、王宮も同じだ」
まるで未来を予測するのではなく、当然起こる事実を語るような口調だった。
「間違いなく、『聖女』として迎えたいという話が出る」
ユリアナは思わず膝の上の手を握る。
聖女――
その響きだけなら聞こえはいい。
だが、それは同時に、自分の人生を自分で選べなくなる可能性も意味していた。
「教会に迎えられれば、多くの人々を救う機会は増えるかもしれない」
エドワードは続ける。
「だが、その時点でお前は一人の少女ではなくなる。 王宮も教会も、治癒魔法を使える者を簡単には手放さない。
お前自身の意思は関係ない。休むことも許されず、その力を求められ続けるだろう」
部屋に静かな空気が流れる。
ユリアナは、その言葉の重さを噛みしめていた。
自分が持つ力は、ただ人を助けるためのものではない。
それを知った者たちの思惑まで引き寄せてしまう力なのだ。
しばらく黙って考えていたユリアナは、静かに顔を上げた。
「私は……」
一度言葉を切り、小さく息を吸う。
「将来は、医療に携わる仕事がしたいと思っています」
エドワードもクラリッサも黙って続きを待つ。
「病気や怪我で苦しんでいる方を、一人でも多く助けたいんです。
それは前世の知識があるからだけではありません」
ユリアナは一度視線を伏せた。
「助けられる命があると知ってしまった以上、見過ごすことはできません」
誰にも救われず、命を落としてしまう人がいる。
薬が一つあれば助かる命もある。
正しい手当てを知っているだけで、救える人もいる。
昨日のエレノアが、まさにそうだった。
「だから……」
ユリアナは二人の顔を順に見た。
「もし教会や王宮で多くの人々のための医療に携われるのであれば、私はそれを拒むつもりはありません」
エドワードは静かに耳を傾けている。
「ですが――」
ユリアナの声には、はっきりとした意思が宿った。
「治癒魔法が使えるという理由だけで聖女として祭り上げられ、その力を本当に必要としている人のために使えないのであれば、私は望みません」
部屋が静まり返る。
クラリッサは娘の横顔を見つめ、小さく微笑んだ。
昨夜、自分の胸で涙を流していた少女が、今は真っ直ぐ前を見据えている
エドワードもまた、穏やかな表情で頷いた。
「ユリアナらしい答えだ」
その一言に、ユリアナは少しだけ頬を緩める。
「力そのものではなく、その力で何をしたいのか――
そこを見失わなければ、大きく道を踏み外すことはないだろう」
ユリアナは静かに頷いた。
自分が欲しいのは称号ではない。
名誉でも地位でもない。
目の前で苦しむ人を救える知識と技術。
そして、それを生かせる場所。
その思いだけは、何があっても曲げたくない。
ユリアナは静かにそう思った。
エドワードは椅子へ深く腰掛け直した。
「それでは、今後の方針を決めよう」
その一言で、部屋の空気が少し引き締まる。
「まず、成人するまでは今まで通りでいい」
ユリアナは静かに耳を傾ける。
「王家とも教会とも、こちらから積極的に関わる必要はない。
かといって、不自然に距離を置く必要もない。
自然に振る舞い、求められた時だけ応じればいい」
ユリアナは静かに頷いた。
目立たずに生きる。 それは、以前から自分でも考えていたことだった。
「その間に、お前がやるべきことは一つだ」
エドワードは一度言葉を切った。
「学ぶことだ。医学も、薬学も、この世界の医療も――
前世の知識は大きな強みになる。だが、それだけではこの世界で医師にはなれない」
「はい」
その言葉はユリアナ自身も痛いほど分かっていた。
前世の知識があっても、この世界の薬草を知らなければ薬は作れない。
魔物由来の素材も、病の種類も違う。
まずは、この世界を知らなければならない。
「そういう意味では、書庫の虫になっているのは、間違ってはいなかったようだな」
少しだけ口元を緩めてエドワードが言う。
すると、クラリッサが苦笑した。
「それはそうだけれど、何事にも限度があります」
ユリアナは思わず視線を逸らした。
「……でも、書庫の時間は……」
「本を読むのはいいことよ。でも、食事や睡眠まで忘れてしまっては意味がないもの」
「はい……できるだけ」
小さく返事をすると、エドワードが肩を揺らして笑った。
「どうやら、そのあたりは私が口を出すまでもなさそうだな」
コホンと咳払い一つを挟んでエドワードが続ける。
「そして、治癒魔法を当てにしてはいけない」
エドワードの言葉に、ユリアナは顔を上げた。
「普段は医術で救う。診察し、考え、治療する――
その積み重ねが、お前自身への信頼になる」
クラリッサも穏やかに微笑む。
「昨日だって、最初に皆が感心していたのは、ユリアナちゃんの落ち着いた判断でしたものね。
治癒魔法を知らなくても、あの場にいた人達はユリアナを評価していたわ」
「そういうことだ」
エドワードは頷いた。
「信頼とは、一日で得られるものではない。
一人ひとりを救い続けた先で、ようやく手に入るものだ――
そんな医師になりなさい」
ユリアナは静かに目を伏せる。
前世の知識だけでも、治癒魔法だけでもない。
この世界を知り、この世界で経験を積み、自分自身の力で信頼を築いていく。
前世で得た知識と、この世界で積み重ねていく経験。 その両方があって初めて、自分が目指す医療へ辿り着けるのだろう。
漠然としていた将来の姿が、少しだけ形になった気がした。
「はい」
その返事には、もう迷いはなかった。
◇
一方その頃。
王宮東離宮では、マギーが机へ向かっていた。
手元には便箋が広げられている。
内容はすでに決まっていた。
第六王女エレノアによるライゼン家訪問の打診である。
訪問予定日や随行人数を書き込みながらも、意識は別のところにあった。
空白の十分間――
あの短い時間に、一体何があったのか。
もちろん確証は何もない。
だが、何もなかったと考えるには出来すぎている。
書状を書き終えると、マギーは封をした。
「これをライゼン家へ」
マギーは書状を侍女へ手渡した。
「かしこまりました」
侍女は一礼して部屋を出ていった。
マギーは窓の外を見る――
よく晴れた空だった。
ライゼン家を訪ねる日も、そう遠くはないだろう。
その訪問で何が分かるのか。
まだ何一つ確かなことはない。
それでもマギーは、その日を少しだけ楽しみにしていた。
お読みいただきありがとうございました。
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