第十一話 王女の来訪
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そして、三日が過ぎた。
エドワードとクラリッサへ前世のことを打ち明けてからも、ライゼン家での日常は何事もなかったかのように流れていた。
晩餐会を欠席したことについて王宮から咎めを受けることもない。
医務室で起きた出来事が噂になっている様子もなく、治癒魔法について誰かが騒ぎ立てている気配もなかった。
少なくとも今のところ、心配していたような事態にはなっていない。
そのおかげで、ユリアナは久しぶりに穏やかな日々を過ごしていた。
午前中はクラリッサと勉強をし、空いた時間は書庫へ籠もる。
昼食を挟んではまた書庫へ向かい、気が付けば夕方になっている。
クラリッサから「本ばかり読んでいては駄目よ」と声を掛けられることもあったが、それでも書庫へ足が向いてしまう。
ふと、前世で耳にした妙な謳い文句が頭をよぎる。
――止められない、止まらない。
思わず苦笑する。
まさにその言葉どおりの、以前と変わらない日常だった。
だが、その平穏な時間を破る知らせが届いたのは、書庫から半ば引っ張り出されて迎えた午後のティータイムだった。
クラリッサと向かい合い、紅茶を飲みながら穏やかな時間を過ごしていると、控えめなノックが響く。
「失礼いたします」
入室してきたのは執事長だった。
「王宮より使者がお見えになっております」
そう言って差し出したのは、二通の封書だった。
どちらにも王家の紋章が記されている。
クラリッサはそれを受け取り、宛名へ目を通した。
「あら」
小さく声を漏らすと、そのうち一通をユリアナへ差し出した。
「こちらはあなた宛てよ」
「私に……ですか?」
戸惑いながら受け取る。
一方でクラリッサも、残る一通へ手を伸ばした。
通常、王宮からライゼン家へ届く正式な書状であれば、まずエドワードが開封して内容を確認する。
しかし今回は違った。
二通とも王宮管理室を通した公文ではなく、第六王女エレノアから個人宛てに送られた私信だったのである。
クラリッサは迷うことなく封を切った。
だが――
ユリアナは封書を手にしたまま、じっと見つめていた。
その様子に気付いたクラリッサが顔を上げた。
「どうしたの?」
ユリアナは封書へ視線を落とし、続いてクラリッサを見る。
「……これ、開けなければいけませんかね?」
「え?」
「何だか、とてつもなく嫌な予感がするのですが……」
クラリッサは一瞬きょとんとしたあと、小さく吹き出した。
「まだ読んでもいないでしょう?」
しばらく封書を見つめていたユリアナだったが、諦めたように小さく息を吐く。
「……覚悟を決めます」
意を決して封を切り、便箋を開いた。
そこには流麗な文字で、丁寧なお礼の言葉が綴られていた。
先日の晩餐会での対応への感謝と、心配を掛けたことへの詫び。
律儀な人柄が伝わってくる、エレノアらしい手紙だった。
手紙の最後には、
『直接お礼を申し上げられる日を楽しみにしております』
と、丁寧な一文が添えられていた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
クラリッサは続きを読んで、小さく微笑んだ。
「それと、こちらにはもう一つ用件が書かれているわ
おそらく、これが本題なのでしょうね」
「本題、ですか?」
「一週間後、公務で孤児院を慰問されるそうよ。その日の午後、お礼も兼ねてライゼン家を訪問したいそうです」
「…………え?」
ユリアナは固まった
「そ、そんなことが可能なんですか?」
思わず聞き返す。
王女が、公爵家や侯爵家ならともかく、一伯爵家を私的に訪ねるなんて、ユリアナには想像もつかなかった。
クラリッサは苦笑する。
「あなたも知っていると思うけれど、この国は王族の人数が多いでしょう?」
「はい」
「不敬に当たるからあまり大きな声では言えないけれど、この国は王族が多すぎて、王族の来訪そのものがそれほど特別というわけでもないのよ」
そんなことを口にしてしまっていいのだろうか。クラリッサらしからぬ率直な言葉に、ユリアナは少し面食らった。
「もちろん公務には制約があるけれど、私的な訪問まで厳しく制限されているわけではないの。今回はお礼も兼ねているし、不自然なことではないわ」
ユリアナはまだ少し信じられない様子だった。
「そういうもの……なんですね?」
「ええ。王族の人数が多い国ならでは、というところかしら」
クラリッサは頷く。
「こちらとしては、お受けするほかないわね」
「そういうもの……なんですね…」
ユリアナも頷いた。
正直なところ、気は重かった。 会えば、きっとあの日のことを尋ねられる。
だが、いつかは向き合わなければならないことだ。 それが穏やかなエレノア相手であるなら、まだ救いがあるのかもしれない。
使者は現在、応接室で休んでいるという。あまり待たせるわけにもいかない。
クラリッサはすぐに返書の準備を始めた。
「お受けする旨を書きましょう」
ユリアナも便箋を用意し、第六王女への返事を書き始めた。
その日の夜。
夕食を終えたエドワードは、そのまま執務室へ向かった。
ユリアナとクラリッサも席を移し、昼間届いた手紙について改めて話し合うことになった。
もっとも、エドワードはすでに内容を知っていた。
昼のうちにクラリッサから知らせを受けていたのである。
「お知らせした通り、返事は受諾で出しました。
特に問題はありませんわね?」
クラリッサがそう問うと、エドワードは静かに頷いた。
「それで問題ない……というか他に選択肢はないだろうね」
そう言って執務机に少し身を乗り出した。
「帰る前に少し情報を集めてきたんだが――」
ユリアナは自然と姿勢を正した。
「何か分かったんですか?」
「いや」
エドワードは首を横へ振る。
「目新しい話は何もなかった」
そう前置きすると、小さく肩をすくめる。
「第六王女殿下が孤児院を慰問される予定なのは事実だ。
その帰りにライゼン家へ立ち寄られるという話も、予定としては自然な流れらしい」
「では、本当にお礼のためだけ……?」
ユリアナが尋ねる。
エドワードは少し考え、それから答えた。
「断言はできない」
その一言に、部屋の空気が少しだけ引き締まる。
「王女殿下ご本人は、純粋に礼を伝えたいだけなのかもしれない。だが、周囲まで同じ考えとは限らない」
ユリアナは静かに頷いた。
王族が動けば、その周囲もまた動く。
本人に他意がなくとも、侍女や側近が疑問を抱けば、それだけで話は変わってしまう。
「結局のところ、実際に会ってみなければ分からないということだ」
エドワードは苦笑する。
しばらく考え込んでいたユリアナは、小さく息を吐いた。
「……分からないなら」
二人が視線を向ける。
ユリアナは苦笑しながら、軽く拳を握った。
「……当たって砕けろ、というやつですね」
「……おや、先を越されてしまったな」
一瞬だけ部屋が静まり返る。
次の瞬間、クラリッサが吹き出した。
「砕けたら困るでしょう?」
「それはそうなんですが……」
ユリアナも苦笑する。
「考えて答えが出ないのであれば、実際に会ってみるしかありませんし」
エドワードも口元を緩めた。
「その考え方は嫌いではない」
穏やかな笑みを浮かべながら続る。
「ただ、本当に砕けられては困るので、準備だけはしておこう」
「はい」
ユリアナは真剣な表情へ戻った。
「もし、医務室でのことを詳しく聞かれたらどうする?」
エドワードの問いに、ユリアナは少し考える。
そして、昼間から考えていた案を口にした。
「医師の方々が退出された後、容態が気になって、もう一度だけ様子を見たことにします」
エドワードは静かに耳を傾けている。
「その時に、呼吸が少し落ち着いてきたので、改めて姿勢を整えたり、お医者様の処方した薬を飲ませてみたりした――そう説明すれば、不自然ではないかと」
「なるほど……」
エドワードは腕を組んだ。
「まあ、少々苦しい説明ではあるが、筋は通るな」
クラリッサも安心したように頷く。
「それなら嘘ばかりでもないものね」
ユリアナも頷いた。
事実と違う部分はある。 だが、前世や治癒魔法を隠すためには、それくらいの脚色は必要だろう。
胸のどこかに小さな後ろめたさは残る。それでも今は、この秘密を守ることの方が大切だった。
「だが、もしそれでも食い下がられるようだったらどうする?」
「その時は、一つだけ手札を切ろうかと思っています」
ユリアナは人差し指を立てながら、少しだけ口元を緩めた。
「……手札?」
「ええ。前に教えていただいたでしょう?」
ユリアナは少し悪戯っぽく笑った。
「人は一つ大きな秘密を知ると、その先まで考えなくなるって」
エドワードとクラリッサは顔を見合わせる。
どうやら、ユリアナの中ではすでに覚悟が決まっているらしかった。
◇
雲一つない青空が広がっていた。
昼過ぎには孤児院での慰問を終えた第六王女エレノアの一行が、予定どおりライゼン家へ到着した。
門前へ馬車が止まり、護衛騎士や侍女たちが手際よく周囲を整える。
エドワードとクラリッサは玄関で出迎え、ユリアナもその少し後ろへ控えていた。
「本日は突然のお願いにもかかわらず、お時間をいただき、ありがとうございます」
馬車から降りたエレノアは、柔らかな笑みを浮かべながら一礼した。
その装いは王女らしい気品を失わぬまま、飾りを抑えた落ち着いたものだった。孤児院慰問という公務に合わせたのだろう。華やかさよりも親しみやすさを感じさせる。
病み上がりとは思えないほど顔色は良く、晩餐会の日に見た苦しそうな様子はすでにない。
「ようこそお越しくださいました、第六王女殿下」
エドワードが恭しく頭を下げる。
その後にクラリッサ、ユリアナも続いた。
挨拶を交わした後、一行は応接室へ案内される。
もっとも、中へ入ったのはエレノアと一人の侍女だけだった。
護衛や他の侍女たちは部屋の外で待機するらしい。
エドワードは一瞬だけ視線を動かした。
私的な訪問とはいえ、王族がこの人数で客室へ入るのは珍しい。
それだけで、今回の訪問が単なる儀礼ではないことは十分に伝わってきた。
客室へ着くと、エレノアの意向で、付き添いの侍女も席へ着いた。
香り高い紅茶が運ばれ、しばらくは季節の話や孤児院慰問の様子など、他愛ない会話が続く。
やがて、エレノアがティーカップを静かにソーサーへ戻した。
「せっかくお時間をいただいたのですから、いつまでも世間話ばかりというわけにもまいりませんね」
柔らかな笑みを浮かべたまま、エレノアは三人を見渡す。
「本日は、お礼を申し上げたく参りました」
部屋の空気が少しだけ引き締まる。
「先日の晩餐会で、私が倒れた際には、お力添えをいただき、本当にありがとうございました」
エドワードが穏やかに微笑んだ。
「そのようなお言葉をいただくほどのことはしておりません」
「私どもは当然のことをしたまででございます」
クラリッサも続ける。
ユリアナも静かに頭を下げた。
「私も、大したことはしておりません」
エレノアは小さく首を振った。
「そのようなことはありませんわ」
柔らかな笑みを浮かべながら、ユリアナを見る。
「医務室へ運ぶ手配を誰より早く整え、少しでも呼吸が楽になるよう姿勢まで整えてくださったと聞いております。
まだお若いのに、とても落ち着いていらしたそうですね」
ユリアナは一瞬だけエドワードへ視線を向けた。
――打ち合わせどおりに。
そう心の中で頷くと、穏やかに口を開く。
「私は本を読むのが好きで、一日の大半を書庫で過ごしております」
穏やかに答える。
「医学書も何冊か読んでおりましたので、その知識を思い出しただけです」
クラリッサも微笑んだ。
「ユリアナは、本当に本ばかり読んでいるんです。
医学書だけではありませんわ。歴史書に植物図鑑、それに法律書まで、興味を持ったものは何でも読んでしまうんですの」
「まあ」
エレノアは感心したように目を丸くした。
「そのお年で、医学書や法律書まで理解なさるなんて」
「理解できているかは分かりません」
ユリアナは苦笑する。
「ただ、読むのが好きなだけです」
「では、姿勢を整えたのも医学書から?」
「はい。医学書で読んだことと、自分の経験、その両方です」
ユリアナは頷いた。
「下働きをしていた頃は、怪我や病気になる方も少なくありませんでしたから」
少し言葉を選びながら続ける。
「私自身が風邪をこじらせて呼吸が苦しくなったこともありました。
その時は薬もなく、そばにいてくれる人もいませんでした。
何とか楽になりたい一心で身体を動かしているうちに、少し上体を起こした方が呼吸が楽になることに気付いたのです
「なるほど……」
エレノアは何か言いかけたものの、言葉を飲み込んだ。
その境遇へ思いを巡らせるように目を伏せ、やがて静かに頷いた。
打ち合わせどおりの説明だった。
その一方で、ユリアナは別のことが気になっていた。
先ほどから、エレノアの横に座る侍女の視線を何度も感じるのである。
鋭いわけではない。
だが、じっと観察されているような感覚が続いていた。
――気になる。
けれど、自分から触れる話ではない。
触らぬ神に祟りなし。
そう結論付けると、気付かないふりを決め込んだ。
そんなユリアナの胸中とは裏腹に、客室では穏やかな会話が続いていた。
ふと、ユリアナの頭へ前世の知識がよぎる。
アレルギー症状を抑える薬――
それがあれば、今回のように治癒魔法を使うべきかどうか悩む必要もなかっただろう。
前世では、家畜の副腎から成分を取り出して薬にしていた時代もあったと聞いたことがある。
前世の知識と、この世界で書物から得た知識を照らし合わせれば、今の技術でも不可能ではないかもしれない。
もっとも、この世界には今現在注射器すら存在しない。
研究できたとしても実用化まで辿り着けるだろうか。
そもそも、この世界で重い食物アレルギーに苦しむ者がどれほどいるのかも分からない。
需要は決して大きくない気もする。
そんなことを考えていると、エレノアが隣の侍女へ目を向けた。
「あら、そうでしたわ」
思い出したように微笑む。
「うちの侍女が、ぜひ伺いたいことがあるそうなのです」
客室の空気が少しだけ変わる。
エドワードもクラリッサも表情こそ変えなかったが、自然と姿勢が正される。
「今後、同じようなことがあった時のために、教えていただきたいことがあるそうで」
エレノアは柔らかく続けた。
「侍女より、直接お伺いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんでございます」
エドワードが落ち着いて答える。
「ありがとうございます」
侍女が立ち上がり、深々と頭を下げた。
「第六王女殿下付き筆頭侍女、マギーと申します」
ゆっくりと顔を上げる。
その視線が、真っ直ぐユリアナへ向けられた。
「ユリアナ様に、一つだけお伺いしたいことがございます」
――いよいよ来た。
ユリアナは静かに居住まいを正した。
エドワードもクラリッサも表情は変えない。
だが二人とも、この質問が今日の本題なのだと悟っていた。
ユリアナは小さく息を吸う。
昼間、エドワードと話したことが頭をよぎる。
――分からなければ、当たって砕けろ。
自分で言った言葉だ。
ならば、もう腹を括るしかない。
「どうぞ」
ユリアナは真っ直ぐマギーを見つめた。
マギーは一礼する。
「ありがとうございます」
一呼吸置き、静かに口を開いた。
「それでは、お尋ねいたします」
その一言に、部屋の空気が張り詰める。
マギーはユリアナの目を見据えたまま、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「先日の医務室でのことについて、お伺いいたします」
お読みいただきありがとうございました。
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