第九話 気になるライゼン家
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一方その頃――
王宮東離宮では、とある主従によるある攻防が繰り広げられていた。
「エレノア様」
穏やかな慈しみ深い声だった。
だが、その声を聞いた瞬間、エレノアは肩をぴくりと震わせる。
「あら、マギー。どうしたの……」
「宮廷医様から、数日は安静に過ごすよう申し付けられておりましたよね?」
「……ええ、そうね」
「では、なぜベッドから降りようとしておられるのでしょうか」
言い逃れのできない問いだった。
エレノアは寝台の端へ下ろしかけていた足をそっと引っ込める。
「でも、もう苦しくないのよ?」
「私達がどれほ心配したか…エレノア様なら、きっとお分かりいただけるかと存じます」
「本当に大丈夫なの」
「私達がどれほ心配したか…お優しいエレノア様なら、きっときっとお分かりいただけるかと存じます」
同じ返答が続き、グレードアップしていく。
エレノアは助けを求めるように周囲を見回した。
侍女たちは視線を逸らした。
誰も助けない。
ああなった筆頭侍女に逆らう勇気のある者はいはなかった。
「ずっと寝ているのも身体によくないと思うのだけれど……」
「まだ一晩です」
即答だった。
「せめて今日一日くらいは安静になさってください」
にこやかな笑顔――
だが譲る気配は欠片もない。
エレノアは観念せざるを得なかった。
「……分かったわ」
その代わり、完全に横になる気もないらしい。
背中へクッションを入れて身体を起こしたまま落ち着いた。
マギーはその様子を確認する。
そして、これ以上の攻防はなさそうだと判断すると、一冊の本を寝台脇へ置いた。
エレノアが好んで読む物語の最新刊だった。
「あら」
途端にエレノアの表情が明るくなる。
「ありがとう、マギー」
「退屈しのぎになればと思いまして」
そう答えながらも、マギーは内心でしてやったりと安堵していた。
本を読んでいる間は少なくとも勝手に歩き回らない。
これでしばらくは安心だ。
エレノアはさっそく本を開いた。
その姿を見て、周囲の侍女たちは小さく息を吐く。
寝室には、ようやく穏やかな空気が戻っていた。
少なくとも、この時までは――
その直後だった。
扉が控えめに叩かれる。
「失礼いたします」
新人侍女のメアリーだった。
「第七王女殿下より先触れが届いております」
その言葉を聞いた瞬間。
マギーの眉がわずかに動いた。
「お見舞いに伺いたいとのことです」
一瞬だけ、寝室が静まり返った。
エレノアは本から顔を上げた。
マギーは穏やかな笑顔を崩さなかった。
だが――
長年仕える侍女たちは知っていた。
あの凪いだ笑顔の下では嵐が渦巻いている、と。
メアリーの報告を聞き終えると、エレノアは本を閉じた。
「ヴィクトリアが?」
「はい」
メアリーが頷く。
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エレノアは少し考えた。
妹が来ること自体は不思議ではない。
昨日のことを気に病み、それでも素直になれず、お見舞いへ来たのだろう。
「そうね。それなら――」
ティールームでお茶でも、と言いかけて視線を上げる。
そこには、穏やかに微笑むマギーがいた。
その笑顔を見た瞬間、エレノアは言葉を飲み込んだ。
長い付き合いだ。
機嫌の良し悪しくらい、表情を見れば分かる。
おそらく、自分がこの先何を言おうとしているのかも、もう察しているのだろう。
――ここで「ティールームで」などと言えば、あとで長いお説教が待っている気がする。
「――寝室で」
あっさり予定を変更した。
「寝室で構わないわ。こちらへ案内してちょうだい」
マギーの笑顔が、ほんの少しだけ優しくなる。
エレノアは胸をなで下ろした。どうやら正解だったらしい。
「かしこまりました」
メアリーが頭を下げて部屋を出ていく。
その後ろ姿を見送りながら、エレノアは小さくため息をついた。
ヴィクトリアが来る――
昨日の様子から考えれば、相当気にしているだろう。
できれば安心させてあげたい。
そう考えているうちに、再び扉が叩かれた。
「第七王女殿下がお見えです」
「どうぞ」
入室を許可すると、ヴィクトリアが姿を現した。
その足取りはどこかぎこちない。手と足が同時に出ている。
「お、お加減はいかがですの……?」
声にも微妙に力がない。
エレノアは思わず微笑んだ。
「おかげさまで、もうほとんど大丈夫よ」
「……そ、そうですの」
ヴィクトリアは安堵したように小さく息をついた。 それでも、まだ不安そうな視線はエレノアから離れなかった。
「昨日の今日だからと、みんなが少し過保護になっているだけよ。
ご心配をおかけしてしまったわね」
「そんなこと……」
言葉を濁しながらも、明らかに肩の力は抜けていた。
その様子を見て、エレノアは少し安心する。
やはり気にしていたのだろう。 せっかく来てくれたのだから、笑顔で帰ってもらいたい。
そう思い、寝台の縁へ足を下ろそうとした。
「せっかくだから、もう少し近くで――」
「エレノア様……」
横から柔らかな声がかかる。
マギーだった。
「お医者様から安静にするよう申し付けられております」
「でも――」
「昨日はお覚悟を決めるようにとも言われておりました」
ヴィクトリアが固まった。
「か、覚悟……?」
「はい」
マギーは穏やかに頷く。
「一時は命の危険もございましたので――」
ヴィクトリアの顔色が変わる。目に見えて青くなった。
エレノアは慌てた。
「マギー、それは少し大袈裟――」
「担当された御殿医のお話では、まだ予断を許せるわけではないとのことでした。
少なくとも一週間は安静にしていただきたいそうです」
ヴィクトリアはふらりと後ろへよろめく。
付き添いの侍女が慌てて支えた。
「そ、そんな……」
ヴィクトリアは唇を震わせた。
「お、お姉様……ワタクシ……その……そんなつもりじゃ……」
「ヴィクトリア、大丈夫よ。本当にもう具合は――」
「昨日も同じことをおっしゃっておられたそうです」
マギーが穏やかに言葉を重ねる。
「『少し息苦しいだけだから』と仰っておられたそうですが、その直後に意識を失われたとのことです」
「…………」
ヴィクトリアの顔から、さらに血の気が引いていく。
エレノアは思わず額へ手を当てた。
(マギー……)
もちろん嘘は一つも言っていない。ただ、言い方というものがあるだろう。
「あ、あの……ワタクシ、少し気分が……」
「顔色が優れませんね」
マギーはすぐにヴィクトリア付きの侍女へ視線を向けた。
「ヴィクトリア様をお部屋までお送りしてください。ご無理をなさらない方がよろしいでしょう」
「は、はい!」
「えっ、あの、まだ――」
「エレノア様も安静が必要でございます。また日を改めてお越しくださいませ」
有無を言わせぬ穏やかな笑顔だった。
ヴィクトリアは反論する機会を失った。
そのまま侍女たちに囲まれ、半ば押し出されるように部屋を後にする。
ヴィクトリアが去った後、部屋には静けさが戻った。
エレノアはしばらく扉を見つめた後、ゆっくりとマギーへ顔を向けた。
「マギー……」
「なんでしょうか」
「……少し意地悪だったのではないかしら」
「気のせいでございます」
即答だった――
「私は、担当された御殿医のお話をそのままお伝えしただけでございます」
「それは……そうなのだけれど」
どれも事実である以上、反論できない。
ただ問題は、その事実を並べる順番と間の取り方だった。
エレノアは苦笑する。
「ヴィクトリア、ずいぶん怯えていたわ」
「少しは反省なさるでしょう」
穏やかな口調のまま、マギーは言う。
「今回ばかりは、痛い目を見ていただいた方がよろしいかと。
二度とこのような真似をされないよう、くぎを差して置くのは当然でしょう」
その言葉に、エレノアは何も返せなかった。
今回の件は、結果として命に関わる騒ぎになった。
ヴィクトリアに悪意はなかったのだろう。
だが、悪意がなければ許されるという話でもない。
エレノアは小さく息を吐いた。
「……そうね」
マギーもそれ以上は何も言わなかった。
今はもっと気になることがある。
「マギー?」
考え込んでいる様子に気付いたのか、エレノアが声をかける。
「何でもございません」
そう答えながらも、頭の中では昨日の話を今一度整理していた。
若い侍女から聞き取った話を思い返す。
侍女たちが医務室を離れたのは十分ほどだったはずだ。
その間、医務室に残っていたのはライゼン夫人と第十三王女ユリアナ。
そして、戻った時には、エレノアの容態は目に見えて落ち着いていたという。
偶然で片付けるには出来すぎている。
マギーは腕を組んだ。考えれば考えるほど引っ掛かる。
もちろん、証拠など何もない。ただの勘と言われればそれまでだった。
それでも――
あの場では何かが起きていた。自分の知らない何かが。
考え込むマギーをよそに、エレノアが本を枕元に置いてマギーへ目を向けた。
「マギー――」
マギーははっと顔を上げる。
「はい、どういたしました?」
「落ち着いたら、ライゼン家へお礼に伺いたいわ」
マギーは目をまたたせた。
「お礼、ですか?」
「ええ」
エレノアは頷いた。
「ユリアナ様にもクラリッサ様にもずいぶんとお世話になったそうだから」
微笑みながら口にしたものの、その視線はどこか遠くへ向けられていた。
何を考えているのかは聞かなくても分かる。
昨日、自分を助けようとしてくれた少女のことが、心に残っているのだろう。
「承知いたしました」
マギーは静かに一礼した。
「日程を調整いたします」
エレノアは嬉しそうに微笑む。
その返事は非の打ち所のない筆頭侍女のものだった。
もっとも、その胸の内で燃え始めた好奇心までは誰にも分からなかったが。
ライゼン家を訪ねる理由としては十分だった。
昨日の礼を伝えることもできるし、クラリッサとも改めて話ができる。
それに何より、第十三王女ユリアナ本人と会う機会が得られる。
昨日の医務室で何があったのか。
あの短い時間の中で何が行われたのか。
確かめるなら、これ以上ない機会だった。
こちらから訪ねる理由ができた。
しかも正式に――
◇
同じ頃。
ライゼン家の執務室では、ユリアナがエドワードと向かい合って座っていた。
クラリッサも隣へ腰掛けている。
人払いのされた執務室には、三人しかいない。 扉も静かに閉められていた。
エドワードは机に両肘を乗せ、組んだ指へ顎を預ける。 隠れた口元から感情は読み取れないが、その眼差しにはユリアナを責める色はなかった。
「――さて」
急かすような口調ではない。 話しやすいよう、こちらが口を開くのを待ってくれている。
「話というのは、昨夜のことかな」
一拍置いて、穏やかに続ける。
「何があったのか、聞かせてもらえるのだね」
ユリアナは膝の上で手を重ねた。
緊張していないと言えば嘘になる。
だが、もう隠すつもりはなかった。
昨夜、クラリッサへ打ち明けた自分の抱えてきた秘密。
今度はエドワードにも伝える番だった。
ユリアナは小さく息を吸った。
「まずは、エレノアさまがお倒れになった経緯からお話していいでしょうか?」
「そうだね――」
エドワードは少し考えた。
「君が話しやすいところからで構わない」
ユリアナは静かに頷いた。
そしてゆっくりと昨夜の出来事を語り始めた。
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