第八話 変わったもの、変わらないもの
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目を覚ました時、窓の外はすでに明るかった。
薄いレースのカーテン越しに朝の暖かい陽射しが差し込み、部屋の床へ淡い光の帯を作っている。
庭からは、小鳥たちが楽しそうに囀る声が聞こえてくる。
安息日の朝らしく、屋敷の中もどこか静かだ。
いつもならとっくに起きている時間だった。
しばらくぼんやりと天井を見つめる。
昨夜、何かあった気がする。
だが、寝起きの頭ではうまく整理できない。
こういう時は、確か「知らない天井だ…」という台詞を吐けばいい、という知識がどこからともなく湧いてくる。
おそらくは前世の知識なんだろうが、よく見慣れた天井の場合、なんと言えばいいのだろう。
そんなとりとめのないことを考えているうちに、昨夜の出来事が一気によみがえった。
「――っ!」
思わず布団を頭まで引き上げる。
クラリッサへ前世のことを打ち明けた。
自分がずっと抱え込んできた不安を、初めて誰かへ話した。
そして――
『一人で悩んでいたのね』
そう言って柔らかく抱きしめてくれたクラリッサ。
彼女に縋って随分と泣いてしまったことまで思い出してしまい、ユリアナは布団の中で小さく身を縮めた。
顔が熱い――今すぐ二度寝して全て忘れたい。
しばらくそのまま現実逃避を続けていたが、不意に扉が控えめに叩かれた。
「お嬢様、お目覚めでしょうか?」
アンナの声だった。
ライゼン家へ来てから身の回りの世話を担当してくれている侍女である。
ユリアナは慌てて布団から顔を出した。
「は、はい。起きてるわ、アンナ」
慌てて返事をすると、扉が開く。
アンナは部屋へ入るなり、ほっとしたように微笑んだ。
「おはようございます、お嬢様」
「おはようございます」
挨拶を返した後、ユリアナは少し申し訳なさそうに続けた。
「ごめんなさい。寝過ごしてしまいました」
だがアンナは気にした様子もなく首を振る。
「本日は安息日ですし、奥様からも起きるまでゆっくり休ませるよう申し付かっておりましたので」
「クラリッサ様が?」
「はい」
そう言われて、再び昨夜のことに思いを馳せる。
決死の覚悟で伝えた想いを優しく抱き留められて、張り詰めていたものが一気にほどけた。
そして、一日中続いた緊張や治癒魔法による疲れも重なり、そのまま泣き疲れて眠ってしまったのだ。
改めて考えると、なんとも言えない気恥ずかしさが込み上げてくる。
……思い出せば思い出すほど、布団を頭まで被っていたくなる。
「……そうですか」
いつものような口調で、どうにか平静を装って答える。
アンナは何も言わなかった。
だが、どこか温かな目で見守られている気がして、ユリアナは少しだけ居心地の悪さを覚えた。
着替えを終え、身支度を整える。本当はあまり褒められたことではないのだが、この家にいる間は、ということで、ほとんどすべて自身で済ませてしまう。
鏡の前へ立つと、そこにはいつもの自分がいた。
淡い銀色の髪に青い瞳――目元は少し赤くなっているが、昨日までと少しも変わらない顔。
けれど、自分の中では確かに何かが変わった気がする。
そんなことを考えながら部屋を出て、廊下を歩き、リビングの扉を開いた。
「おはようございます」
中にはクラリッサとエドワードがいた。
二人とも穏やかな表情で朝のお茶を楽しんでいる。
「おはよう、ユリアナちゃん」
「よく眠れたか?」
いつもと変わらない声で呼びかける二人――いつもと変わらない朝がそこにある。
その光景を見た瞬間、昨夜から胸の奥に残っていた不安が少しだけ軽くなった。
昨夜、あれほど大きな告白をしたのに……世界は何も変わっていない。
それが、不思議と嬉しかった。
席へ着くと、アンナが温めたミルクを運んできた。
ユリアナは礼を言い、両手でカップを包む。
エドワードは新聞へ目を通しながら紅茶を飲み、クラリッサは編み物をしている。
昨夜の話題は出ない――無理に触れようとする様子もない。
それがクラリッサらしいと思った。
しばらくして、ユリアナの朝食が済んだ頃、エドワードが新聞から顔を上げた。
「昨日は大変だったようだな」
ユリアナの肩がわずかに揺れる。
「ええ……」
何を指しているのかは聞くまでもない――離宮での出来事だろう。
どう答えたものか迷っていると、別のことが気になった。
「あの……晩餐会はどうなったのでしょうか」
エドワードは新聞を畳みながら答える。
「……まあ、無難に終わったよ」
「そうですか」
「私が会場へ着いた時は、第六王女殿下はすでに医務室へ運ばれ、君達も付き添って行った後だった」
エドワードは肩を竦めた。
「第六王女殿下が倒れ、第七王女殿下も欠席。ユリアナも付き添ったまま戻らなかったから、何とも締まらない晩餐会だったがね」
「……申し訳ありません」
「気にするな。あの状況では戻ってこなくても、それほど大きな問題ではない」
ユリアナは紅茶へ視線を落とす。
――第七王女、ヴィクトリア。
アーモンド入りのクッキーをエレノア様へ差し出した時の、あの表情。
今思い返しても、どこか妙だった。
嫌がらせを楽しんでいるようには見えなかった。
かといって、悪意が全くなかったとも思えない。
どうにもうまく言葉にできない違和感だけが残っている。
「第六王女殿下のお加減は、その後いかがなのでしょうか」
ユリアナが尋ねると、クラリッサが答えた。
「王宮へ戻られて静養中だそうよ」
「症状も落ち着いていると聞いている」
エドワードも続ける。
それを聞いて、ユリアナはひとまず安堵した。
少なくとも最悪の事態は避けられたようだった。
だが同時に、別のことも気にかかる――医務室を出るまでの一連の自分の行動。
十歳の子どもの自分が、医務室への搬送を指示し、医師の見立てに疑問を述べたこと。
そしてなにより――
たとえ人払いされたとはいえ、医務室で行った治癒魔法。
あの時は必死だった。
だが、少し目立ち過ぎたかもしれない。
「会場でも話題になっていたぞ」
エドワードがこちらを見る。
「随分活躍だったそうだな」
「活躍というほどでは……」
「そうか?」
エドワードは小さく笑った。
「第六王女殿下の容態を心配し、的確な指示を飛ばしながら、搬送を急がせたそうじゃないか」
「それは……」
ユリアナは言葉に詰まった。
あの時は考えるより先に身体が動いていた。
症状の深刻さを知っていたからこそ、迷っている時間などなかったのだ。
「それに、さっさときり上げようとする医師へも随分食い下がったと聞いた」
今度は完全に視線を逸らした。
「食い下がってなんか……」
「そうか」
エドワードは肩を揺らして笑う。
どうやら王宮で噂される話と本人の認識には、多分に隔たりがあるらしい。
ユリアナは紅茶を一口飲んだ。
王宮での話題が、自分の行動へ向いていることに少しだけ安堵する。
急速な容態の回復については、ほとんど話題になっていないようだった。
少なくとも今のところ、治癒魔法を疑われている気配はない。今のところ、治癒魔法を疑われている気配はない。
今のところ、余計な心配をする必要はなさそうだった。
それでも――
もしもう一度同じ状況になったとしても、自分は同じことをするだろう。
エレノアを見捨てるという選択肢だけは、最初から存在しないのだから。
だが、今後もし医務室で起きたことを不自然に思う者がいたら。
回復の早さに疑問を抱く者がいたら。
その話は、まず王宮の中で広まるだろう。
そしてやがて、エドワードの耳にも届く。
ライゼン家の保護下にある自分について問われれば、矢面に立つのはエドワードだ。
何も知らないままでは、エドワードも対応のしようがない。
それならば、事前にこちらから話して情報を共有しておくべきだ。
ユリアナは手にしていたカップをそっと置いた。
「クラリッサ様」
「なあに?」
「昨夜の件ですが……」
言いかけると、クラリッサは何を指しているのか察したようだった。
そして、隣に座るエドワードへは何も言わず、少しだけ申し訳なさそうな顔をして首を横へ振った。
クラリッサ様らしいな……
ユリアナは、その反応を見る前から答えを予想していた自分に気付く。
話さざるを得ない状況に追い込まれていたとはいえ、昨夜あの話を打ち明けたのは、クラリッサを信じていたからだ。
そしてクラリッサもまた、その信頼を裏切るような人ではない。
たとえ夫であるエドワードが相手でも、本人の了承なく勝手に話すようなことはないだろう。
エドワードは二人の様子を見比べた。
「何やら私だけが知らない話をしているようだな」
決して責めるような口調ではない。純粋な疑問を表明する言葉だった。
ユリアナは一度だけクラリッサへ視線を向ける。
クラリッサは優しく微笑み、小さく頷いた。
話しても大丈夫――
その眼差しがそう告げていた。
ユリアナはゆっくりと息を吸う。
「エドワード様。昨夜の件で、少しお話があります」
エドワードの表情が僅かに引き締まった。
「そうか」
そして、リビングを見回してから静かに立ち上がる。
「それなら執務室へ行こう」
クラリッサも立ち上がった。
三人は揃って部屋を後にする。
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