第五話 王族たちの茶会
次は来週の日曜日だと言っていたが、それはウソだ!!
……すみません。
憧れてたんです。このセリフ。
一度言ってみたかった……
と、言うわけで、ストックにいまのところ余裕があるので、一話放出させていただきました。
楽しんでいただければ幸いです。
お披露目の儀は、王宮正殿の大広間で執り行われた。
歴代国王の肖像画が並ぶ荘厳な空間に、王族、重臣、各家の当主が居並ぶ。
決められた位置まで歩き、決められた角度で礼をし、決められた言葉を述べる。
王族としての所作は、この一、二か月で集中的に教え込まれたものだった。
一つ終えるたびに頭の中で次の手順を確認し、間違えないよう慎重に進めていく。
その甲斐あって、大きな失敗もなく儀式は静かに終わった。
拍手があり、祝辞があり、形式通りの祝福が続く。
波乱は一つもない。
それだけに、ユリアナは心の底から安堵していた。
「これで第一関門は無事通過ですわね」
そう小声で囁いたクラリッサに、ユリアナも小さく頷いた。
もっとも、それは今日という長い一日の始まりに過ぎなかった。
この後には王族だけの茶会があり、夜には晩餐会まで予定されている。
執拗な交渉の末に渋々受け入れた日程ではあるが、実際にその時刻が近づくと、気が重くなるのはどうしようもなかった。
ユリアナにとって今日最大の難関は、むしろこの後に控えている。
◇
茶会会場は王族専用の離宮に用意されていた。
ユリアナは小さく息を吐く。
「やっぱり断るべきだったでしょうか」
移動用の馬車の窓から外を眺めたまま呟く。
冬の名残を残した陽射しが石畳を淡く照らし、街路樹の枝先には小さな芽が膨らみ始めていた。
冷たい風はまだ頬を撫でるものの、空気の奥には春の気配が静かに混じっている。
ライゼン家のティールームで本を読んでいた方が、よほど穏やかな時間を過ごせただろう。
「今さら言っても遅いわね」
隣に座るクラリッサが苦笑する。
その声を聞くだけで、不思議と肩の力が少し抜けた。
「もうあきらめましょう。少なくとも私も一緒なのだから」
「……本当に、それだけが救いです」
紛れもない本音だった。
一人なら、おそらく最後まで抵抗してでも断っていただろう。
馬車が王族専用離宮へ到着する。
石畳の先には左右対称に整えられた庭園が広がり、刈り込まれた植え込みの向こうで噴水が静かな音を立てていた。
花壇には季節を先取りするように色とりどりの花が植えられ、その奥では薔薇の枝に小さな蕾がいくつも膨らんでいる。
丹念に手入れされた景色には乱れがなく、庭師の手が毎日行き届いていることが一目で分かった。
華やかで、整然としていて、季節の移ろいまで計算されているようで、王家らしい隙のなさを感じさせる。
けれどユリアナには、どこか息苦しく、いや、うすら寒くすら感じられた。
ライゼン家の庭は、季節を楽しむための庭だった。
一方こちらの庭は、人に見せるために整えられているように思える。
どちらが好きかと聞かれれば、答えは考えるまでもなかった。
案内された茶会会場には、大きな円卓がいくつも並び、淡い色合いの花が飾られている。
窓から吹き込む風がレースのカーテンを静かに揺らしていた。
長い卓を囲むのは王妃と側室たち。
そして王子王女たち。
正室タチアナ。
第一側室から第六側室まで。
第四側室は、自分の母と同じく産褥で亡くなっていると聞いている。
その子息七名、子女十三名。
本日は二名の欠席があるため、男女合わせて十八名。
名前と年齢、続柄は事前に覚えてきた。間違えれば失礼になるからだ。
名目だけなら家族なのだろう。
だがユリアナには、その実感はなかった。
席へ案内されると、自然と周囲の関心が集まった。
その空気には覚えがある――
茶会会場で働いていた頃、噂の人物が現れるたび、部屋全体がこんな空気になっていた。
好奇心を隠さない者、一瞥しただけで会話へ戻る者、無言のまま品定めをする者………
反応はそれぞれ違っていた。
興味を示す者もいれば、ほとんど関心を向けない者もいる。
けれど、そんな違いよりも先に気付いたことがあった。
誰も、自分を「血の繋がりのある家族」として迎えているわけではない。
王宮で見つかった下働きの王女――
それが、この場にいる自分への認識なのだろう。
ユリアナは静かに席へ腰を下ろした。
不思議と傷つきはしなかった。
物置で暮らしていた頃は、見られることより、見向きもされないことの方が多かったからだ。
むしろ今は、これだけ多くの視線を向けられる方が少し落ち着かない。
そんなことを考えながら、隣へ目を向ける。
クラリッサはいつも通り穏やかな表情で座っていた。
その姿を見ただけで、胸の奥の張りつめていたものが少しだけほどけていく。
クラリッサもエドワードも、血の繋がった家族ではない。
それなのに"家族"と言って思い浮かぶのは、王宮の食卓ではなく、ライゼン家の朝だった。
クラリッサが紅茶を注ぎ、エドワードが新聞を読み、自分が読んだ本の話をする。
誰も特別なことはしない。
ただ、それぞれが同じ時間を過ごしている。
あの場所へ帰りたい――
そう思った瞬間、ユリアナはようやく気付いた。
自分には、もう帰る家があるのだと。
「こちらへ――」
王妃タチアナが静かに促す。
ユリアナは意識を戻し、小さく頭を下げた。
「初めまして、王妃殿下」
あまり感情を感じさせない平静な声だった。
その声を聞いたタチアナは、わずかに目を伏せる。
「ええ。初めましてね」
言葉の間に、言いようのない複雑さが滲んでいた。
王妃タチアナは、しばらくユリアナを静かに見つめていた。
白銀の髪が窓から差し込む光を受けて淡く輝いている。
年齢を考えれば緊張してもおかしくない場面なのに、そのまなざしは驚くほど静かだった。
王族としての教育を受けた年月など、本来ほとんどないはずだ。それでも一つ一つの所作に乱れはなく、問い掛けにも落ち着いて答えている。
十歳の少女にしては、不思議なほど感情の起伏が少ない。
それが育ってきた環境によるものだと思うと、胸の奥がわずかに痛んだ。
「クラリッサさんから、お母様のお話は聞いているのかしら」
「はい」
ユリアナは静かに頷く。
「ユーリア…というお名前だったことや、好奇心旺盛で困っている人を放っておけない方だったことなどを……」
その答えに一瞬眉を寄せたタチアナだったが、すぐに表情が少し和らいだ。
「ええ。その通りの方だったわ」
微笑みながら答えたものの、胸の内には別の思いが残っていた。
あの娘は、自分の母親の名前すら知らずに育ったのだ。
窓から吹き込む風が、卓上に飾られた白い花を揺らす。
「女官として働いていた頃は、誰よりもよく気が付く方だったの。忙しい時ほど周りを見ていて……自然と人が集まるような方だったわ」
どこか懐かしむような口調だった。
ユリアナは静かに耳を傾ける。
母の顔も、声も知らない……
だからこそ、誰かの記憶の中に生きている母の話は、一つずつ拾い集めておきたいと思っていた。
「私は当時、出産と療養で長く公務を離れていたの」
タチアナは視線を落とした。
「あなたのお母様が王宮からいなくなったことも、ずっと後になってから知ったわ」
その場にいた王族たちも、自然と会話を止めていた。
「その経緯も、その後亡くなったことすら……知らなかったの」
最後の言葉だけ、少し掠れて聞こえた。
ユリアナは白磁のカップへそっと指を添えた。
侍女頭のことを調べていた時、耳にした噂が脳裏をよぎる。
母が王宮から姿を消すまでの経緯――
噂だけでは分からないことも多かった。
本当かどうかを疑う気持ちは、不思議と湧かなかった。
そして、もし本当なら、責めても仕方のない話なのだと思った。
その静けさを破るように、小さく鼻を鳴らす音が響く。
「今さらでしょう」
第一側室レティシアだった。
「もう亡くなった方ですもの」
扇をゆるやかに動かしながら、淡々と言葉を続ける。
「そもそも元は単なる女官だった方でしょう」
空気がわずかに張り詰める。
「王が酒席で気まぐれを起こし、子を宿した。だから出産までの体裁を整えるためだけに第七側室としただけですわよね」
その声には悪意というより、長年王宮で積み重ねられた価値観が滲んでいた。
「正式に王室へ迎えられた方ではありません」
一瞬、場の空気が冷えた。
その時だった。
テーブルの下で、そっと指先に柔らかな温もりが触れる。
クラリッサの手だった。
力を込めるでもなく、励ますでもなく。
「私はここにいますよ」そう伝えるように、一度だけ静かに触れて離れる。
ユリアナも何も言わない。
ただ、その温もりだけはしっかりと感じていた。
「レティシア様――」
タチアナが穏やかに制する。
「このような場で話すことではありません」
「あら、わたくしも本当のことを教えて差し上げただけですわよ」
レティシアは扇を閉じ、何事もなかったように紅茶へ口をつけた。
誰も続けようとはしない。
茶器が小さく触れ合う音だけが静かに響いた。
ユリアナは黙って紅茶へ視線を落とす。琥珀色の水面に、自分の小さな姿が映っている。
驚きはなかった――
王宮で働いていた頃から、似たような言葉は何度も耳にしてきたからだ。
母が女官だったことも。
第七側室という立場が、形式だけのものだったことも。
今さら否定するつもりはない。
ただ――
母を知る人が優しい思い出を語ってくれた、その時間まで、あの言葉で色あせてしまうのは少しだけ残念だった。
その静けさを破るように、控えめな声が隣から聞こえた。
「こちらのお菓子、お取りしましょうか」
顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべた少女が皿を差し出している。
第六王女エレノアだった。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
それ以上、特別な会話はない。
それでも、不思議と居心地の悪さは感じなかった。
エレノアは十六歳。
すでに社交界にも慣れ、自然な所作で周囲へ気を配っている。
それでいて相手を見下すようなところがない。
話しかける距離も近すぎず遠すぎず、ただ困っている相手がいれば手を差し伸べる。
クラリッサと少し似ている。
そんな印象をユリアナは抱いた。
「お茶のおかわりはいかがですか」
自然な動きでカップへ紅茶が注がれる。
王女として格式張っているというより、年の離れた姉が妹へ接するような穏やかさだった。
ユリアナは小さく頭を下げる。
そのやり取りを見つめる視線があった。
第七王女ヴィクトリアである。第六王女エレノアと年齢の近い愛らしい少女だったが、その笑顔はどこか作り物めいて見えた。
「エレノアお姉様――」
明るい声でエレノアへ呼びかける。
「こちら、とても美味しいんですの」
ヴィクトリアが差し出したのは、香ばしく焼き上げられたアーモンドの小さな焼き菓子だった。
エレノアの手が、一瞬だけ止まる。
ほんのわずかな間だった。 断ろうとしたのか、それとも迷ったのか。
ユリアナには判別できなかった。
「でも、それは――」
「たくさんありますもの」
柔らかい口調だった。
だから周囲も誰一人として気に留めない。
姉妹同士の、ごく普通のやり取りにしか見えなかったからだ。
エレノアは困ったように笑い、小さく礼を言って焼き菓子を受け取った。
やがて一口、静かに口へ運ぶ。
その瞬間、第七王女の表情がわずかに緩んだように見えた。
気のせいかもしれない。
ユリアナはそれ以上考えなかった。
ただ、その短いやり取りが妙に頭に残った。
茶会もその後は穏やかに続いていく。
王族たちは季節の花や流行の菓子、近隣諸国の話題で笑い合っている。
ユリアナも必要に応じて相槌を打ち、受け答えもしながら静かに席へ座っていた。
けれど、進んで輪の中心へ入っていこうとは思わない。
血は繋がっていても、まだ互いを何も知らない。
それを今さら知りたいとも思わなかった。
ただ、エレノアだけは少し違った。
穏やかな物腰も、押し付けがましさのない気遣いも、不思議と居心地が悪くなかった。
その気持ちが、この日の終わりに自分の選択を左右することになるとは、この時はまだ思っていなかった。
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作者の励みになります。
次回は今度こそ、日曜日12時10分の更新です。




