(18)
夜が明け、皆は初めて神殿の朽ち果てた姿を見た。そして、それは都市全体に対しても言えた。あちこちの瓦礫の山が積み上げられ、雑草がはびこっている。緑のベールはすでになく、初めて夢から冷めたような面持ちの市民が、呆然と瓦礫の間から顔を出している。
あの緑の天幕は、あれから徐々に狭まっていったのだ。それに触れる邪神を持つ人間はことごとく消え去った。しかし、白き子の詩歌を諳んじ、吟ずることのできるものは全て生き残った。
水宮で、あの夜眠っていた水の長アルタイル=ルイスは、今朝小姓が起こしに行くと、いなくなっていた。いまだ彼は見つかっていない。
皇居も無事でなく、七百年前、先祖の建てた城の残骸がわずかだが残っているのみ。
五老院はアファルのために天幕を張った。
「なんと申されました!? 殿下!」
サバナムは愕然とその口を開いたまま、アファルの涼しい顔を、凝視した。
「もう一度申せばよいのか? アスランを水の長に据える。
「それはまずうござりましょう……親族が黙っておりませんぞ。そこはいかがするおつもりでしょうかな?」
「ルイスは消え、親族が残っておるかもわからぬだろうに……それが駄目なら大公はどうであろうか」
どうも五老院の言葉はアファルにとっては蛙の面に水のようだ。マイルズがクスクスと腹を抱えて笑っている。リトリウムも察しは付いているが、あえて言わない。
「たかが助力の褒美に、なぜそこまで与える必要が後ざりましょうか?」
たまらずマイルズは声も高らかに笑う。リトリウムはそれを肘で小突、諌めた。サバナムはむっとした目つきで、マイルズを睨む。
「あのような海のものとも山のものとも知れぬ、馬の骨ごときを……!」
今度はアファルトルが吹き出す。
「なんでございまするか! わたしは殿下のなさりようの大人げないのをご注意申し上げておるだけでございまするぞ!?」
「いや……いや、わかっておる」
アファルトルは苦笑しつつ、腰のポーチを探る。そして取り出した銀の指輪を、皆の挟む卓の上に転がす。
「?」
合点がいかず、サバナムはアファルトルを見つめる。
「あやつはラスグーの王子だ。しかも、伝説の古き王ときた。なにか言うことはあるか?」
マイルズはさっと指輪を取りその細工を見る。明らかにルーンでラスグーと読める文字があり、紋章であるグリフォンが刻み込まれている。通常、民間のものは王家の紋章になり得る幻獣をかたどった装飾類は、一歳身につけてはならない掟になっている。
「馬の骨が持つにしては豪華だな」
それをリトリウムに手渡す。
「ふむ……確かに」
サバナムは早く見たさに、半ばそわそわと順番を待っていた。素早く受け取ると、食い入る様に眺める。一瞬のうちに顔色が変わり、渋々と、「それでどうなさりたいのでございましょうか?」
「分かっておろう」
さすがのサバナムも察しがついていたが、あえて、「わかりませぬな」とつっぱねた。
この場にアスランがいなくてよかった。もしも彼がいたなら、彼の方から率先して拒絶したろうから。
「アスランをわたしの夫として、この国に迎え入れたいのだ」
サバナムは渋皮を噛んだような顔をして、ため息をつく。
「それで支度金の方は?」
「そのようなものなんぞいらぬ」
「しかし、万一……」
「万一なぞ、ない」
アファルトルはニヤリと笑う。
「あやつは身一つでこの国に来たのだ。金なぞ持っておるわけがなかろう」
「それではお国に」
「国は捨てたらしいぞ」
「そ、それでは……」
サバナムは愕然と手を顔に当て、呻く。
アファルトルは闊達に笑う。
「良いではないか。そのうち金なぞよりももっと良い物を、我らに支度金がわりに送ってくる」
アスランは、あの翌日、一羽の鳥から仕事の終わりを聞いた。ラ・ルーは移動を完全に済ませ、礼の魔法も完璧にかけておいたと。アスランはそれを見届けるためと、仔ネズミたちを送り届けるために、ラ・ルーへ向かっていた。多分、七日経つまでにはラ・ルマリアンに戻ってこれるだろう。
天井の高い、白く狭い部屋に、白き子はひっそりと幽閉されている。時々その部屋から出され、主旨を変えつつある市民に詩歌を教えた。最近ではその詩歌を紙に書き留め、友人や兄弟、親子に回しているものすらいるという。
白き子は静かに時の過ぎ行くを待っている。過去見の水晶球を手にして…………
終




