第92話:黄昏に沈む星図、そして「世界の理」との対峙
静寂が、引き裂かれた大地に染み渡っていく。
天空を埋め尽くしていた混沌の巨影は、ルナが己の存在確率を削って放った『終焉調停』によってすべてのルールを剥ぎ取られ、ただの膨大な魔力の塵となって霧散していった。
黄道十二星座──世界を規定していた十二の絶対ルールは、これで完全に潰えた。
だが、勝利の歓声は上がらない。
「ハァ……ハァ……ッ、シリ、ウス、様……」
俺の左腕の中で、ルナの白銀の髪が力を失ってシーツのように崩れる。エメラルドグリーンの瞳はスレスレのところで俺を捉えているが、その輪郭は薄いガラス細工のように透き通り、世界のシステムから「異物」として消去されかけていた。
「ルナ、喋るな。魔力をスタックし続ける」
「駄目、だよ……アクアの計算でも、分かっているはず……私の調停は、世界のルールそのものを否定した。だから、世界は私を……」
「主……ルナちゃんの言う通りだ」
アクアが、割れた眼鏡を乱暴に毟り取り、血の滲む手でホログラムを操作する。その指はかつてないほどに震えていた。
「十二星座という『防衛プログラム』を失った世界システムは、今、自らを初期化しようとしている。その最初の生贄(バグ取り)として、ルナちゃんの存在コードが世界からデリートされかけているんだ。私の演算では……あと3分で、彼女は概念ごと消滅する」
「そんなの……そんなのってないよ!」
シオンが疾風弓を投げ出し、ルナの手を強く握りしめる。
「ボクたちが何のために戦ってきたと思ってんの!? 世界を救うため? 違うよ! ルナを、みんなを連れて、新しい世界に行くためだったはずじゃん!」
フェリスがサクラピンクの髪を振り乱し、喉から血を吐くような悲鳴を上げながら、全魔力をルナに注ぎ込む。
「嫌……嫌です! 閉じ閉じの術も、治癒の対流も、全部ルナちゃんにスタックしてるのに……なんで吸い込まれていっちゃうの……!?」
レオンも、アルゴも、ゴルドも、ただ無言で拳を血が滲むほどに握りしめ、天を睨みつけていた。
空が、不気味なほどに濁った「無色」へと染まっていく。
青空でも夜空でもない。システムがシステムとして機能するのをやめ、すべてを無に帰そうとする「初期化の光」が、要塞都市を、そしてルナを飲み込もうと降り注ぎ始める。
俺は──静かに、九色の前髪を指先で払った。
そこに、かつての「引き立て役を嘲笑う不敵な笑み」は、もうない。
「状況把握。……世界のシステムってやつは、本当に最後まで、融通の利かねぇ欠陥品だったな」
静かな怒りだけが、俺の胸の星痕を、かつてないほど冷たく、鋭く脈動させていた。
俺は、震えるルナの小さな手を引き寄せ、自分の星痕の真上にその掌を重ねた。
「シリウス、様……? いけません、私をこれ以上繋ぎ止めれば、あなたまでシステムに侵食されて──」
「お前を消させはしない。そのために、俺たちの『絆』がある」
俺の星痕が、極彩色ではなく、深淵のような漆黒と、すべてを塗り潰す純白の「双極の光」を放ち始める。
フェリス、シオン、アクア、そして既存の身内たち。彼らが命を懸けて俺に預けてくれた全熱量を、俺はルナを救うための「楔」として、世界のシステムそのものへ直接打ち込む決意をした。
「アクア。世界システムの『核心』、その座標はどこだ」
アクアは一瞬目を見開いたが、すぐに覚悟を決めた冷徹な目を向けた。
「……天空の裂け目の、さらに奥。高次元観測領域『ゼニス』。そこに、すべての因果を決定するマザー・システムが存在するよ。ただし、そこにアクセスすれば、君の魂そのものが世界の数式に呑まれる可能性がある」
「上等だ」
俺はマントを翻し、濁った空の奥──世界そのものの心臓部が脈打つ、最果ての裂け目を見据えた。
「世界がルナを消すルールを押し付けてくるなら、そのシステムごと、俺の拳で根底から書き換えてやる」
極彩色の魔王軍、その旅路の終着点。
俺たちは今、神の作った理を越え、世界の心臓を引き裂くための最終決戦へ、その第一歩を踏み出した。




