第7話:大地の主と、頑固な誇り
「ひゃっ……!?」
フェリスが短い悲鳴をあげて、咄嗟に俺の背後に回り込む。
ズシン、ズシンと、大森林の柔らかな土を踏み締めながら現れたのは、人間の倍はあろうかという巨体を持った大男だった。
その頭部には、天を衝くような見事な『二本の巨大な角』。岩石をそのまま削り出したかのような、圧倒的な威圧感を放つ筋肉の塊。
その正体は、大角の獣人族──通称『ミノタウロス族』の男だった。
背中には、並の人間では持ち上げることすら不可能な、巨大な鉄製の戦鎚を背負っている。その無骨な佇まいは、まさにこの土地の主と呼ぶに相応しい風格だった。
(ミノタウロス族か……。状況把握。足元の踏み込みの深さ、体幹のブレのなさ。間違いなく、これまで戦った有象無象とは次元が違う強さだな)
俺はものぐさそうに佇みながらも、脳内で瞬時に大男の戦力を分析していた。
魔法など使わずとも、あの肉体から繰り出される純粋な質量攻撃は、それだけで一級の脅威だ。
「おい、聞いておるのか人間の小倅。耳が聞こえぬわけではあるまい」
大男は腕を組み、不快そうに鼻を鳴らした。その鋭い眼光が、俺の黒髪と、背後に隠れるフェリスのサクラピンクの髪を交互に捉える。
「人間の国は、ついにこの『豊穣の泉』まで奴隷狩りの手を伸ばしてきたか。しかも、子供を尖兵にするとは……どこまでも浅ましい連中だ」
大男の言葉には、人間に対する深い憎悪と拒絶が狂おしいほどに満ちていた。
「待って、待ってください! 私たちは奴隷狩りなんかじゃありません!」
フェリスが俺の背中から顔を出し、必死に声を張り上げた。
「私は綿羊族のフェリスです! 人間に村を焼かれて、この大森林に逃げてきたんです! シリウス様は、そんな私を助けてくれた、とっても優しい人間なんです!」
「……綿羊族の生き残り、だと?」
大男はフェリスの言葉に一瞬だけ目を細めたが、すぐにその表情を険しく戻した。
「だとしても、そこの人間のガキが信用できる理由にはならん。人間は嘘を吐く。甘い言葉で近づき、油断したところを後ろから刺す。それが奴らのやり方だ」
大男は背負っていた巨大な戦鎚を無造作に引き抜き、ドォンと地面に突き立てた。それだけで、周囲の地面にクモの巣状の亀裂が走る。
「俺の名はゴルド。この泉の周りに隠れ住む、我が一族の長だ。これ以上、人間の好きにはさせん。身内を守るためなら、俺は誰が相手だろうとこの大槌で叩き潰すのみだ」
ゴルドの言葉の端々に、強い警戒心、そして──それ以上の『焦燥』と『絶望』の匂いを、俺の五感は敏感に察知していた。
「……身内を守る、ね。状況把握」
俺は首の後ろをぽりぽりと掻きながら、一歩前に出た。
「なぁ、ゴルド。あんた、本当は人間を警戒してるんじゃなくて、何かに追い詰められてるんじゃないか? その戦槌の手入れ、ここ数日まともにできてないだろ。戦いが連続してて、心の余裕がない証拠だ」
「……何だと?」
ゴルドの眉がピクリと跳ねる。
「この泉の周囲には、あんたの仲間たちの気配がいくつかある。だけど、どれも怯えてるな。人間の魔導兵器か、あるいは大森林の凶悪な魔物の群れに、拠点の防壁を破られかけてる……ってところか?」
「貴様、なぜそれを……っ!?」
ゴルドの顔色が変わった。図星だったらしい。
彼らは人間の迫害から逃れ、この豊かな泉の周りにささやかな集落を作って隠れ住んでいた。だが、最近になって強力な魔物の群れ、あるいは帝国の調査隊によって、その安全が脅かされ、誇り高き大男たちの防壁は限界を迎えていたのだ。
仲間を、故郷を守りたい。けれど、圧倒的な武力の前に、なす術なく踏みにじられようとしている。
ゴルドの胸の内にあるのは、理不尽な運命への激しい怒りと、守りきれないかもしれないという深い絶望だった。
「偶然だろ。状況を見るのが少し得意なだけだ」
俺はものぐさそうに息を吐き、ゴルドを見据えた。
「だったら話は早い。あんたのその頑固な誇りと、仲間を守りたいっていう『志』──俺に預けてみないか?」
「人間のガキが、何をふざけたことを……!」
「嘘だと思うなら、拳で確かめてみろよ。あんたが俺に勝てたら、俺たちは今すぐここを立ち去る。だけど、もし俺が勝ったら──あんたの力を、俺に貸せ」
シリウスは構えもせず、自然体で大男の前に立ちはだかる。
その内側の髪からは、サクラピンクの光が静かに揺らめいていた。




