第5話:最初の盾、最初の一歩
「あ、あの……私の胸のこれ、何なんでしょうか……? それに、あなたの髪の毛も綺麗に光って……」
フェリスは自分の胸元に浮かび上がったサクラピンクの紋様(星痕)を衣服の上からそっと押さえ、不思議そうに首を傾げた。
「さあな。詳しいことは俺にも分からん。だが──」
シリウスは自分の髪の内側に宿ったサクラピンクのメッシュに触れながら、フッと口元を緩めた。
理屈は分からない。だが、身体の奥底から信じられないほどのパワーがみなぎっているのを感じる。視界がクリアになり、周囲の音の解像度が跳ね上がっている。
状況を把握するまでもない。このピンクの髪色は、彼女と俺が結んだ『絆の証』であり、俺たちを強くする力だ。
しかし、その神秘的な余韻に浸る時間は、長くは続かなかった。
ドォォォォン……! と、大森林の奥から不気味な地鳴りが響き渡る。
「ひゃっ……!?」
フェリスがビクッと身体を震わせ、咄嗟にシリウスの背中に隠れた。
バキバキと巨木がなぎ倒される音が迫ってくる。霧の向こうから現れたのは、先ほどシリウスが逃がした奴隷狩りの生き残り……ではなかった。
「グルゥゥゥゥ……ッ!!」
現れたのは、体長五メートルを超える巨大な双頭の狼──『オルトロス』。
この大森林でも中位に位置する、人間のAランク騎士団が総出で狩るレベルの凶悪な魔物だ。先ほどの奴隷狩りたちの血の匂いと、ド派手な魔法の音に引き寄せられてやってきたらしい。
「だ、だめ……オルトロス……! あの魔物に睨まれたら、もうおしまいだわ……っ!」
フェリスが恐怖でガタガタと震え、シリウスの服の裾をぎゅっと握りしめる。
だが、シリウスは逃げる素振りすら見せず、ものぐさそうに息を吐いた。
「やれやれ。飯の前に、もう一仕事あったか」
「え……!? あなた、戦うつもりですか……!? いくら人間の魔法使いを倒せたからって、あの魔物の爪は鉄の盾すら紙のように引き裂くんですよ……っ!」
「安心しろ」
シリウスは隠れているフェリスを背中からそっと引き剥がし、前に立たせた。
「え、ええっ!? わ、私ですか!?」
「お前の中に眠る『力』を信じろ。……来るぞ」
「ガルゥゥァァァッ!!」
オルトロスが獰猛な咆哮をあげ、弾丸のような速度で突進してきた。その巨大な爪が、容赦なくフェリスとシリウスを目がけて振り下ろされる。
直撃すれば、二人の身体など一瞬で肉片に変わる。
フェリスは恐怖のあまり、ぎゅっと目を瞑り、胸元の紋様を両手で握りしめた。
(お願い……! この人を、助けて……っ!!)
彼女が心の中で強く叫んだ、その瞬間──。
衣服の隙間から、胸元の『牡羊座の星痕』が爆発的な輝きを放った。
キィィィィィンッ!!!!
大森林に、神聖な鈴の音のような、美しい金属音が響き渡る。
「グルっ……!?」
オルトロスの二つの頭が、同時に驚愕の表情を浮かべた。
空中を切り裂いたはずの巨大な爪は、フェリスの目の前、わずか数センチの空間で、完全に静止していた。
そこには、サクラピンクの光で編まれた、羊の毛布のように優しく、けれど絶対に破壊できない『球体の障壁』が展開されていた。
オルトロスの渾身の一撃を、傷一つ、振動一つ通さずに完全無効化したのだ。
これが、フェリスに授けられたチート能力──『星天の無垢なる盾』。どんな神の攻撃であろうと、1度きりなら完全に防ぎ切る絶対防御の盾。
「……すご、い……。私、守れた……?」
フェリスが呆然と目を見開く。
「最高の盾だ。──じゃあ、次はこっちの番だな」
バリアの後ろから、シリウスが弾かれたように飛び出した。
アリエスの覚醒によって、基礎身体能力が何倍にも跳ね上がっているシリウスの動きは、もはや肉眼で捉えられるレベルを超えていた。
一瞬でオルトロスの懐、その死角へと回り込む。
「ガ……ッ!?」
オルトロスが気づいた時には、シリウスの拳はすでにその巨大な胴体へと突き出されていた。
魔力ゼロ。だが、純粋なフィジカルが音速を超えた時、それは魔法を遥かに凌駕する暴力となる。
「オラァッ!!」
ドゴォォォォォンッ!!!
大森林の空気が、衝撃波で丸ごと吹き飛んだ。
体長五メートル、体重数トンはあるはずのオルトロスの巨躯が、シリウスの一撃によって文字通り『真上』へと垂直にぶち上げられた。
バキバキと枝を折りながら、空高くへと吹き飛んでいく双頭の狼。
シリウスは着地すると、ふぅと拳に息を吹きかけた。
ドサッ……と、少し離れた地面に、完全に意識を失ったオルトロスが降ってくる。一撃、完全なるワンパンでの沈着だった。
「嘘……オルトロスを、拳一つで……」
フェリスは開いた口が塞がらない様子で、シリウスと、自分の手を交互に見つめていた。
「これで、とりあえず今日の飯(肉)は確保できたな」
シリウスは落ちてきたオルトロスを見つめ、ものぐさそうに笑った。
「フェリス、だっけ。お前のその盾、1日1回しか使えないみたいだけど……最高の相棒になりそうだ」
「相棒……。私が、あなたの……」
フェリスの頬が、ぽっとサクラピンクの髪色と同じように赤く染まる。
魔法の使えない黒髪の皇子と、理不尽に追われたピンク髪の少女。
凸凹な二人の、世界を極彩色に塗り替える『魔王軍』の快進撃は、ここから静かに幕を開けるのだった。




