4 正体
シバの元で二年ほどの訓練期間を経て無事側近の試験を突破したカイの朝は、以前と変わらず日が昇る前より始まる。
自主的な朝稽古を一通り済ませてから、日常の業務へと参加するのだ。
交代の見張りと軽く挨拶を交わした後、神様の部屋の前で立つ。
つまりは警護の仕事だが、神様はお出かけをするどころか部屋から出ることがまずないため、一日の業務の大半は立ちっぱなしで終わるのが日常と言えた。
が、それは神様が望んだことではなく神官庁のトップにあたる人間からの進言であったと、カイは今聞かされている。
今回、神様と年の近いお前を選んだのもその一環だったと。
「お前が来る前から、これは問題になっていたんだ。…神様がいつまで黙って言う事を聞いてくれるのかなんて分からないからな」
つまりは神様の傍で機嫌を取れ、そう少年は求められていた。
――どうしろと
喋りが上手い自信もなければ、人を楽しませることに長けている性格でもない。
ここまで刀一本握りしめて生きてきた。
――年齢だけを理由に選ばれたのか?
思うことはあれ、口に出すことはできない。
選ばれた以上はやるしかない。
ここはそういう場所だからだ。
初日は食事を運ぶだけで良いと言われた。
徐々に共に過ごす時間を増やせ、と。
「失礼いたします」
神様の部屋に立ち入るのは、初めて島に来た日以来のことだった。
無表情の裏で吐きそうなくらい緊張していた当時の記憶は、今はもうほとんどない。
――あまりにも殺風景な部屋だなと思ったくらいか
あとはそう、天井付近に鉄格子のある窓が一つあったことくらいだ。
返事はなく、開いた扉の中はやけに静かだった。
だだっ広い、ぼんやりとした闇が広がる畳の間。
記憶通りあるのは文机に座椅子、本当にそれくらいで。空き部屋といわれても信じてしまうほどに生活感はない。
カイは御膳を持ち立ち尽くしたまま、
「月夜見様?」
呟くも、返事は返ってこなかった。
――でも部屋にいないはずはない
それだけは確かだ。
もしそんなことがあれば島の人間総出の大騒ぎになる。
「失礼いたします」
どうしたものかと束の間、扉の前で思案していたカイだったが、一分ほど待ってみても沈黙以外の答えが返ってくることはなかったため、意を決して部屋の中へと入った。
「月夜見様、いらっしゃいますか」
もう一度、声を掛けてみる。
「…」
――もし倒れでもしていたら
その声色には少なからず心配の色が混じっていた。
神様の近衛というのは「敵が来れば切る」というのが共通の認識だが、実は神様自身の心配をしている者は少ないというのが現状だった。
人智を超えた存在に己が心配するのもおこがましい、というのが一般的な考え方であり、どちらかといえば人の子にするように純粋にその身を案じているカイの方が特殊だった。
しかし、カイの言い分としてはいくら神様とはいわれても外見は自分と同じか年下の少女だ。
そう簡単に割り切れないのが本音だった。
シバに聞かれでもしたら、甘やかされて育ったお坊ちゃんだなとまた馬鹿にされる気がしなくもないが…。
なんて思っていた時だった。
「誰だ!」
カイが神様の部屋で少女のもの以外の気配を感じたのは。
カイは声で威嚇すると御膳を捨て置き、臨戦態勢に入る。
――まさかほんとに敵か?誘拐…?
抜刀して構えるも、まだ夜目がきかないカイに対して、相手は位置まで把握している。
カイの方が不利といえた。
――どうする
緊急事態の時、まずは上官に報告するよう教えられているとはいえ、あくまでそれは近くに仲間がいるときに為せる話だ。
今日に限って見張り番はいない。
神様との親睦を深めさせようとわざと二人きりにされたことは、流石のカイにも分かっていた。
――叫べば聞こえるか?
だがそのような猶予を与えてくれるほど相手も甘くはないだろう。
カイは既に攻撃されていた。
体に傷を負わせるようなものではないが、四方八方から吹き荒れる風がカイを部屋から追い出そうとしているかのようだった。
――くそ
風の音に聴力を奪われる。
気配を感じ取るのが難しくなる。
――でも
目は徐々に見えてきた。
「そこか」
「待って!」
その声は突如としてその場に響き渡った。
「…!」
相手の首元、すんでのところで止めた刃。
現れた少女の持つ手燭の灯りに映ったのは。
黒々とした羽音を羽ばたかせ、こちらを睨みつけてくる…
「鴉?」
文字通りよく街中を飛んでいて、たまに町人から鳴き声がうるさいとぼやかれている、あの鳥。
少女は、予想もしていなかった生物の登場に言葉を失って立ち尽くしているカイの顔を覗き込むと「怪我なかった?」と小首を傾げた。
正直に言うと、心配よりも先に説明が欲しいのだが。
「いえ、問題ございません。それより…」
辿った視線の先。カイの言いたいことが分かったのか、無礼にも人間が神様と崇める少女の頭の上に乗っかり、未だこちらに向かって威嚇するように鳴き続ける鴉をなだめながら少女は答えた。
「ごめんね。カラちゃん普段は良い子なんだけど…綺麗な顔の男の人だけは苦手みたいで」
だが説明になっていない。
そして。
――なんだ、そのめんどくさい鴉は
カイの心の内を読み起こったかのように、再びとんでもない勢いでカッカッと鳴き始める鴉。
「カラ…ちゃん?」
「うん、名前…からあげだから、カラちゃん」
「………飼ってるんですか?」
「友達なの、皆には内緒ね」
そう言って一向に鳴きやまない鴉に「もう駄目だってば。カイは悪い人じゃないから」と、人間と鴉の言葉でお互い言い争っているのを見て、カイは考えることを放棄した。
神様とは鴉とも喋れるんだろうか。
遠い目で彼女らのことを眺める。
だが次の瞬間。
「あああ」
と部屋で一番大きな声を出したのはカイだった。
小さく息を吐きながら、床を見たカイ。
そこではかろうじて皿から飛び出してはいないが料理長がカイの目の前で「こういうのは心を込めるのが大切なんだよ」と懇切丁寧に盛り付けていた料理が見るも無残な姿へと変貌していた。
――殺される
あの仏のような顔をした料理長に。
カイは頭を押さえた。
――いや、まずは料理長よりも先に
あの悪魔のような男、シバに殺される。
包丁と刀を持つ二人組を想像したところで、カイは膝から崩れ落ちた。
幼い頃から姉に気を遣わせまいと無駄に感情を隠すのが上手くなっただけで、本当はそれほどクールな少年ではないのだが、その事実を知っている人間は意外と少ない。
「大丈夫?カイ」
「料理長にすぐ新しいものを用意できないか、相談してまいります」
声はもう既に死んでいた。
少女はしゃがみ込んで少年に視線を合わせる。
「駄目」
いたずらっぽく笑った少女は、カイの手から御膳を取り上げると自身の元へと引き寄せた。
「もったいないでしょ。床に落ちたわけでもないんだし」
「しかし」
「大丈夫だから」
――ね、カイ
反論は、できなかった。
「それから私の名前。月夜見様じゃなくて、ミツキっていうの」
そして、この人を守るために俺はここにいるんだと、深く胸に刻み込まれるかのようだった。




