2 神様と少年
東ノ国。
春には桜吹雪舞い降り、夏には木々が緑葉を茂らせ、秋には紅葉が道を敷き、冬には雪化粧が施される。大海原に浮かぶ島国のことを、人々はそう呼ぶ。
住んでいる人間は、世にも珍しい黒き瞳と髪を持つ人間たち。
それ以外の情報はない。
古来より存在している土地にも関わらずそのようなことしか知られていない理由の背景には、住んでいる人間の国民性が関与しているとも言われている。
攻撃的ではないが、用心深い。
もしも当該国に漂流してしまったと噂される商船が本国へ無事に寄港を果たさなければ、接触を試みる未来すら存在しなかっただろう。
生存を諦められていた船員たちは見たこともない技術で修繕された船に、大量の食糧を積んで、全員が五体満足で帰還した。
霧で包まれたかのように中が見えない謎の国へ接触を図る、ようやく訪れたまたとない好機。即座に人命救助の礼という名目で、内部の実態を探るためのチームが彼の国へと派遣される運びとなった。
しかし結果として、彼らの作戦は成功したとも失敗したとも言いづらい結末を迎えることになる。当初の目的であった「開国」を要求する旨の申し出が、彼の国に受け入れられることはなかったからだ。
けれども落胆するほどの結果で終わったかと言われれば、それは違う。
外交官に紛れ潜入していた諜報担当の者は、彼の国よりとある情報を持ち帰った。
諜報員は言う。
あの国には【神様】がいた。
それを隠すために、彼らは国交を断絶している可能性がある、と。
その神様が住まう土地のことを東の国の人間たちは『沖つ国』と呼んだ。
本土から離れた場所に位置するその孤島には観光船の運行が数年に一度、祭事の際にのみ予定されており、島に住む人間はごく少数。神聖な場所という事で神様のお世話をする人間だけが住むことを許されていた。
食料や日用品、島に住む人間たちのライフラインを支える補給船は週に一度、本土から派遣される手筈となっている。
今回はそんな補給船に、物でも作業員でもない少年が一人。
少しだけ緊張した面持ちの少年は船から降りると物珍しそうに辺りを見回し、朱色の神殿造りの方へと向かって歩き出した。
※※※※※
「お前の仕事は月夜見様のお相手をすることだ。…誰よりも近くその傍で、誰よりも早くその御身をお守りしろ」
長く回廊を歩いていると手入れされた庭園に椿の花が咲き誇っているのが見える。
穏やかな庭木に囲まれたそれらは島を代表とする花…『島花』として島特有の鉱石『紅椿』の豊鉱を祈願する目的で植林されたと言われ、現在は娯楽のない島に住む人々の心を癒しの場所として利用されていた。
神様の目にも入ると一級の職人たちが腕を尽くした、自然と建築物との調和を完成させた庭園。
神様の御出す場所とは、風景までもが美しい。
「聞いているのか?」
だがそんな誰もが目を奪われてやまない景色に一瞥もくれることなく回廊を突き進んでいた男は言った。
神様の近衛として日々鍛錬に明け暮れているであろうその体は装束越しでも分かるほどに鍛え抜かれ、精悍な顔立ちの中に宿る相当の修羅場をくぐって来たであろう鋭い目つき。
愛想の欠片もない粗暴な言葉遣いで言い放つ、男の名は『シバ』という。
神様の近衛として五本の指に数えられる男と、これからその任に就こうとしている少年。
そんな彼らが向かう先。
そこは堅牢な扉で閉ざされていた。
優美な神殿に似合わぬ、重い鉄の扉。
「丁寧に挨拶しろよ。あの方が……この国の神様。月夜見様だ」
無の空間に一人座る異質な少女。
ぱっつんと切り揃えられた前髪に、腰まで伸びた長い髪。耳に垂れるイヤリングには先ほど話したばかりの紅椿が揺れ、纏う衣装は真っ赤なちりめんの振袖。
まるで日本人形かのような姿をした少女は入って来る人の気配に顔を上げた。
「………カイ」
全てを見透かしたかのような黒色の瞳には、己の名前すら映っているというのだろうか。
零れ落ちた昏い声色に思わず体が震えた。
同時に跳ねる心臓。
――なんだこれ
逸らせなかった目を膝をつき地面を見ることで無理に引き離す。
己の心を鎮めるためには少しだけ時間が必要だった。
だが。
「挨拶」
はっとして少年は顔を上げた。
部屋にある数個の視線が自分に向けられていた。
慌てて口を開く。
「キサラギ・カイ。不肖ながら本日よりお仕えさせていただきます」
それが少年と、神様のような少女との出会いだった。




