EP 7
駄女神来訪。お詫びの品は、絶対お断りなトラブルの予感
嘆きの荒野に交番を建ててから、数週間が経過した。
俺たちの生活は、控えめに言って『最高』だった。
朝は納豆定食、昼はカツ丼、夜はカップラーメン。食後の熱い緑茶を啜りながら、AI賢者君の組んだカリキュラムで適当に教養を身につけ、あとはネットサーフィン(魔導通信網と地球のネットのハイブリッド)を楽しむ日々。
母さん(マリア)もすっかり交番暮らしに適応していた。防弾・防魔ガラスで囲まれた小さな裏庭スペースを開拓し、タローマン仕込みの知識を活かして太陽芋の栽培を始めている。
そして何より、俺のステータス画面には、記念すべき一ヶ月目の給料『金貨十四枚』がしっかりと振り込まれていた。
「ああ……不労所得、最高。一生この交番から出ないぞ」
デスクのふかふかな椅子に深く腰掛け、俺はカツ丼食後の爪楊枝をくわえながら至福の溜息を漏らした。
外は相変わらず致死率高めの砂嵐が吹き荒れているが、交番の中は完全なる平和だ。前世のブラック企業で削られた魂が、ゆっくりと修復されていくのを感じる。
ウィーン……。
突然、自動ドアが開く音がした。
「ん?」
俺は耳を疑った。ここは魔獣がうろつく荒野のド真ん中だ。近所の住民が落とし物を届けに来るわけがないし、道に迷った酔っ払いのおっさんが入ってくるはずもない。
「あら〜、意外と快適そうにしてるじゃない。エアコンも効いてるし」
のんびりとした、どこか人を食ったような女の声。
ズルッ、ズルッ、と床を擦るような足音と共に、交番の中に入ってきたその人物を見て、俺は危うく椅子から転げ落ちそうになった。
くすんだピンク色の『芋ジャージ』。
足元には、凶悪な凹凸が敷き詰められた『健康サンダル』。
そして、背中には申し訳程度に生えた白い羽。
「お邪魔しまーす。……おっ、給湯室にコーヒーあるじゃん。ラッキー」
かつて真っ白な空間で俺の顔面に理不尽なキックをかまし、この世界に俺を放り投げた張本人。
永遠の十七歳を自称する世界神(駄女神)、ルチアナがそこにいた。
「なっ……! お、お前は……あの時の芋ジャージ!?」
「ちょっと、誰が芋ジャージよ。天下の世界神ルチアナ様に向かって失礼ね」
ルチアナは悪びれる様子もなく給湯室へ直行し、勝手に紙コップを取り出してコーヒーを注ぎ始めた。
「ふぅ、生き返るわぁ。最近、月人くんの全国ツアーのチケット争奪戦で徹夜続きだったから、カフェインが染みるのよねぇ」
「なんで神様がアイドルのチケット争奪戦やってんだよ! ていうか、なんでここにいるんだ!」
俺が声を荒らげると、裏庭から母さんがひょっこりと顔を出した。
「あら、リオン。お客さん? 迷子かしら?」
「違うよ母さん! こいつは迷子じゃなくて、迷神……いや、疫病神だ!」
「こんにちはー。リオンくんのお友達のルチアナでーす。お母さん、いつもお世話になってまーす」
ルチアナは愛想よく(しかし目は完全に死んでいる)ペコッと頭を下げた。母さんは「まあ、リオンのお友達! 遠いところからよく来たわねぇ。今、太陽芋のお茶を淹れるわね」と、すっかり騙されて奥へ引っ込んでしまった。
人当たりが良い母さんのホスピタリティが、今ばかりは心底恨めしい。
俺はルチアナをデスクの前のパイプ椅子に座らせ、ジロリと睨みつけた。
俺のユニークスキル『犬のお巡りさん』の恩恵である【犬の五感】が、この駄女神から発せられる「面倒くさい匂い」を強烈に感知して、鼻の奥をツンツンと刺激している。
「で? アイドルオタクの神様が、こんな辺境の交番に何の用だよ。俺は今、手取り十四万の不労所得ライフを完璧に満喫してるんだ。邪魔しないでくれ」
「あんたねえ、もうちょっと神様を敬いなさいよ。まあ、今回はちょっと私にも非があったっていうか……」
ルチアナはコーヒーを啜りながら、気まずそうに視線を逸らした。
「……ゴッドチューブの配信履歴を見返してたらさ、あんた、三歳のスキル検査で『犬のお巡りさん』出して、親父さんにブチ切れられて荒野に追放されてたじゃない?」
「ああ、おかげさまでな。実家のしがらみが切れて最高だったよ」
「いやいや、強がんなくたっていいのよ? 私が月人くんの配信に夢中で、テキトーにランダムスキルなんて付与しちゃったから、あんたの人生プラン狂わせちゃったわよね」
ルチアナはわざとらしく鼻をすするフリをした。
「本来なら、貴族の三男坊として温かいお家で英才教育を受けられたはずなのに……。学校にも行けなくなっちゃって、こんな荒野で毎日カップラーメンをすする生活になっちゃうなんて。可哀想に……」
「だから、俺はこれがいいんだって! カップラーメン最高だろ! 学校なんてノートPCで在宅学習できるし、何も困ってない!」
俺が全力で否定しているにも関わらず、ルチアナは全く聞いていなかった。
いや、彼女は「自分が良いことをしている」という自己満足に浸りたいだけなのだ。前世のブラック企業にもよくいた、話の通じないありがた迷惑な上司の典型例である。
「ごめんね、リオンくん! この優しいルチアナ様が、あんたの人生の遅れを取り戻すために、最高の『お詫びの品』を持ってきたから!」
「いらない! 絶対にいらない! 帰れ! 粗塩撒くぞ!」
「照れない照れない! あんたのスキル『犬のお巡りさん』でしょ? 立派な公務員(警察官)として恥ずかしくないように、文武両道の超一流の家庭教師をつけてあげるわ!」
ルチアナがパチン、と指を鳴らした。
その瞬間。
——ピリッ。
俺の【犬の嗅覚】が、かつてないほどの『危機的状況』を感知した。
これは、ルチアナのようなだらしない匂いではない。
冷たく、鋭く、一切の妥協を許さない『絶対的な規律』の匂い。
まるで、前世で一番恐ろしかったコンプライアンス委員会の鬼部長のような、逃げ場のないプレッシャーが、交番の外から急速に近づいてくる。
「な、なんだ……!? この背筋が凍るような殺気……いや、神気は……!」
俺がガタガタと震え出したその時。
交番の自動ドアが、再び静かに開いた。
「……お待たせいたしました、ルチアナ様」
そこに立っていたのは、純白の鎧に身を包み、背中に黄金に輝く美しい翼を広げた絶世の美女だった。
手には身の丈ほどもある聖槍を握り、その表情は氷のように冷徹で、真面目そのもの。
「こちらの彼が、ルチアナ様の『職務怠慢』によって人生を狂わされたという、哀れな被害者ですね」
「あ、あははは……。ヴァ、ヴァルキュリアちゃん、言い方、言い方キツイってば」
ルチアナが冷や汗をダラダラと流しながら愛想笑いを浮かべる。
どうやらこの駄女神、この真面目そうな天使に弱みを握られて、無理やり尻拭いをさせられているらしい。
「初めまして、リオン・フォン・アルディス。私は天使族長ヴァルキュリア」
彼女は聖槍をドンッと床に突き立て、美しい金糸の髪を揺らしながら、俺に向かって深々と、しかし有無を言わさぬ威圧感を持って一礼した。
「今日から私が、あなたを『最強の警察官』へと鍛え上げる専属の教官(家庭教師)です。……さあ、まずは腹筋一万回から始めましょうか」
「…………は?」
俺のカツ丼風味の平穏な交番ライフは、開始わずか数週間にして、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
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