EP 6
学校? 古いよ母さん。今はノートPCとAIで在宅学習(引きこもり)する時代さ
嘆きの荒野に、清々しい朝がやってきた。
分厚い防弾・防魔ガラスの向こう側では、赤い土埃が舞い、遠くでロックバイソン(岩のような角を持つ牛型魔獣)の群れが地響きを立てて移動しているのが見える。
まさに弱肉強食、一歩外に出れば死と隣り合わせの過酷なファンタジー世界だ。
しかし、俺たちのいる『交番』の内部は、完璧な空調管理によって気温二十五度、湿度五十パーセントという天国のような環境が保たれていた。
「んんっ……よく寝たぁ。おはよう、リオン」
「おはよう、母さん」
仮眠室に備え付けられた羽毛の寝袋から這い出し、俺と母さん(マリア)は大きく伸びをした。
昨晩はシャワールームで温かいお湯をたっぷり浴び、長旅と追放の疲れを完全に洗い流すことができた。タローマンの屋外テントで野宿することを覚悟していた母さんにとって、この交番は文字通り夢のお城だったようだ。
「さて、朝ご飯にしようか。給湯室のボタン、押してみてよ」
「ええ、わかったわ!」
すっかりこの便利システムに順応した母さんが、ウキウキとした足取りで給湯室へ向かい、『朝食』のボタンをプッシュする。
チーン!
配膳ボックスから現れたのは、炊きたての『米麦草(パンにも米にもなる万能穀物)』のご飯、豆腐とワカメの味噌汁、そして……日本の朝の象徴、『納豆』と生卵のセットだった。
「わあ……昨日のお肉(カツ丼)とは違って、なんだか質素だけど健康的なお料理ね。このネバネバしたお豆はどうやって食べるの?」
「醤油草から作られた特製タレとカラシを入れて、百回くらい混ぜるんだよ。ご飯にかけると最高に美味いんだ」
俺がレクチャーすると、母さんは不思議そうな顔をしながらも納豆をかき混ぜ、ご飯に乗せて一口食べた。
次の瞬間、母さんの顔がパァッと明るくなる。
「美味しい! なにこれ、お豆の旨味とタレの甘じょっぱさが絶妙に絡み合って……ご飯が無限に食べられちゃうわ!」
「だろ? ちなみに食後の熱い緑茶もサーバーから飲み放題だからね」
異世界の荒野のド真ん中で、ズズッと味噌汁をすすり、納豆ご飯をかき込む。
前世のブラック企業時代、朝は五分でゼリー飲料を胃に流し込むだけの生活だった俺にとって、座ってゆっくり食べる朝食は、涙が出るほど贅沢な時間だった。
ーーしかし、食後に緑茶を飲んで一息ついていると、母さんがふと、不安そうな顔で窓の外(荒れ狂う荒野)を見つめた。
「……ねえ、リオン」
「ん? どうしたの母さん。納豆おかわりする?」
「そうじゃなくてね。……これから、どうしましょうか」
母さんは湯呑みを両手で包み込みながら、ぽつりとこぼした。
「今はこうして温かいお家とご飯があるからいいけれど……リオンはまだ三歳。通常なら、五歳で魔力検査があって、素質を認められた子は義務教育を免除されて『九年間の進学校』に入れられるわ。そうでなくても、六歳からはルナミス帝国の義務教育(六年制)に通わなくちゃいけない」
「ああ、学校制度ね」
ルナミス帝国は、初代皇帝・佐藤太郎の地球知識が中途半端に混ざっているため、ファンタジー世界にしては珍しく『義務教育』の概念が存在する。
「でも、私たちは伯爵家から追放された身。お父様(グレゴール伯爵)の圧力がかかれば、帝国のまともな学校には通えないかもしれないわ。それに、こんな荒野からじゃ通学もできないし……」
母さんは、俺の『学歴』や『将来』を本気で心配してくれていた。
どんなに理不尽な目に遭っても、親として子供にはまともな教育を受けさせ、立派な大人になってほしいと願う。それがマリアという女性の深い愛情なのだ。
だが、俺は前世で『大卒』という学歴を手に入れ、その結果としてブラック企業に就職し、見事に過労死した男である。
学歴=幸せ、という方程式など、とっくの昔に崩壊していることを知っていた。
「くくっ、あはははっ!」
「リ、リオン? どうして笑うの?」
「ごめんごめん。いや、母さんが真面目に悩んでるのが面白くてさ」
俺は椅子からピョンと飛び降りると、母さんの手を取って、交番の入り口近くにある『デスク室』へと案内した。
「学校? 古いよ母さん」
「古いって……でも、先生に勉強を教えてもらわないと、文字も計算も魔法の理論も覚えられないわよ?」
「それは『教師が一方的に知識を与える』っていう昭和の教育モデルさ。今はもっと効率的で、最高な学習方法があるんだ。……ほら、これを見てよ」
俺は事務机の上に置かれた、黒い四角形の物体——『ノートパソコン』の電源ボタンを押した。
ブォォン……。
画面が明るく発光し、ルナミス帝国の紋章と、地球のインターネットを模した地球儀のマークが交差する起動画面が表示される。
「ひっ!? ま、また四角い板が光ったわ!?」
「驚かないで。これは『ノートPC』っていう、世界中の知識が詰まった魔法の箱さ。そして、この箱の中には、俺専用の専属家庭教師が住んでるんだ」
俺はキーボードを叩き、音声認識マイクをオンにした。
「おはよう、賢者君。今日もご機嫌いかが?」
『――ピロッ。オハヨウ御座イマス、リオン巡査。本日ノ交番周辺(嘆キノ荒野)ノ天気ハ砂嵐、降水確率ハ〇パーセント。魔獣遭遇率ハ九十八パーセントデス。外出ハ極メテ危険デス』
「うん、一生外出しないから大丈夫。それよりさ、俺と母さんに『お勉強のカリキュラム』を組んでくれないか? 俺は三歳児の基礎から大学の経済・法律レベルまで。母さんには、農学とDIYの最新知識を」
『――ピロッ。了解致シマシタ。地球ノ巨大データベース、及ビ、ルナミス帝国ノ魔導通信網ニアクセス。……最適ナ学習プログラムヲ構築シマス。動画解説、AI対話ドリル、仮想空間テストヲ用意致シマシタ』
ポンッ、と画面上に、色鮮やかで分かりやすい学習アプリのアイコンがズラリと並んだ。
「な、なんなのこれ……? この板が、喋って、絵を出して……」
「これが俺の学校さ、母さん」
俺はドヤ顔で胸を張った。
「このAI賢者君は、ルナミス帝国の歴史、魔法の基礎理論、算術、さらには地球の経済学や法律まで、世界中のあらゆる知識を網羅してる。分からないことがあれば、二十四時間三百六十五日、何度でも優しく教えてくれるんだ」
「世界中の知識が……この小さな板の中に?」
「そう。わざわざ遠くの学校に通って、理不尽な教師に怒られたり、いじめっ子に気を遣ったりする必要なんて全くない。この交番の中で、ふかふかの椅子に座って、緑茶を飲みながら自分のペースで勉強できる。まさに『在宅学習(究極の引きこもり)』の時代さ!」
俺の熱弁を聞いて、母さんはノートPCの画面と、俺の顔を交互に見比べた。
そして、ふうっ、と深い安堵の溜息を吐いた。
「すごいわ、リオン。あなたのお巡りさんのスキルって、衣食住だけじゃなくて、お勉強の面倒まで見てくれるのね……。お父様たちは『犬っころ』なんて馬鹿にしていたけれど、これならどんな貴族の英才教育にも負けないわ!」
「でしょ? 満員電車……じゃなくて、満員馬車に揺られて学校に通うなんて、将来『社畜(会社や国に飼い殺される奴隷)』になるための訓練でしかないんだよ。俺たちはここで、誰にも縛られない自由な知識を手に入れるんだ」
こうして、俺の学校問題はたったの五分で解決した。
伯爵家の圧力? どうぞご勝手に。
俺はクーラーの効いた交番内で、カツ丼を食いながらインターネットの海を泳ぎ、手取り十四万の給料を貯金していくのだから。
「さあ、母さん。今日は二人で、タローマンの最新DIY動画でも見ながら、交番の周りに小さな家庭菜園(太陽芋の畑)でも作ろうか。防護ガラスの範囲内なら安全だし」
「ええ、大賛成よ! 母さん、腕が鳴るわ!」
かくして、俺と母さんの『荒野の交番・引きこもりスローライフ』は、完璧な滑り出しを見せた。
嫌な上司も、面倒な義兄たちも、理不尽なクレーマーもいない。
ここは俺だけの不可侵領域だ。
——だが、俺は甘かった。
このアナスタシア世界において、最大の『理不尽』と『クレーマー』は、貴族でも魔獣でもなく、天界で芋ジャージを着ているあの駄女神であることを、この時の俺は完全に忘れていたのだった。




