EP 5
荒野にそびえるマイホーム。手取り14万の交番ライフ、始めました
ガタゴトと揺れる荷馬車が止まったのは、日がすっかり暮れ、周囲が深い闇に包まれた頃だった。
「おら、降りろ。ここが伯爵領の境界線、通称『嘆きの荒野』だ。魔獣の餌になるか、野垂れ死ぬかは勝手にしろ」
冷酷な衛兵の声と共に、俺と母さん(マリア)は、わずかな荷物が入ったズタ袋と一緒に荒野へと放り出された。
無情にも馬車はすぐに踵を返し、土煙を上げて屋敷の方へと走り去っていく。
ピューッ、と冷たく乾燥した風が吹き抜ける。
遠くからは「アォォォォン……」という、野生の狼か魔獣の遠吠えが聞こえてきた。
月明かりに照らされた大地は赤茶けており、身を隠せるような木々も洞窟も見当たらない。文字通りの荒野。三歳の幼児と、か弱い女性が放り出されれば、一晩で命を落とす絶望のロケーションだ。
「……っ。大丈夫よ、リオン。母さんが絶対に守るからね」
母さんは震える手で俺を抱き寄せると、周囲を素早く見渡した。
「タローマンの園芸コーナーで働いてた頃、屋外の資材置き場で野宿したこともあるわ。まずは風を凌げる窪地を見つけて、火を起こさないと……」
強がりなのは明らかだった。
声は震え、その瞳には不安と恐怖が渦巻いている。平民上がりで逞しいとはいえ、ここは凶悪な魔獣がうろつく異世界の荒野なのだ。
だが、俺のためを思って必死に母親として振る舞おうとするその姿に、俺の前世の社畜魂……いや、一人前の男としての責任感が静かに着火した。
(バーカ。こっちには交番があって、三食付きの寝れる場所があるんだ。大事な母さんを、こんな土の上で寝かせるわけがないだろ)
俺は母さんの腕からスッと降りると、小さな両足で荒野の大地をしっかりと踏みしめた。
「リオン? 危ないわ、離れちゃダメ……」
「大丈夫だよ、母さん。もう無理しなくていいよ」
俺は、三歳児特有の舌足らずな喋り方をやめ、前世の二十五歳の青年としての、落ち着いたトーンでハッキリと口を開いた。
「え……? リオン、あなた……喋り方が……」
「ずっと隠しててごめんね。でも、ここからは俺の『仕事』だ」
俺は母さんに向かってニヤリと笑うと、何もない荒野の空間に向かって右手を突き出した。
あのクソ親父や第一夫人たちは、『犬のお巡りさん』を役立たずのギャグスキルだと嘲笑した。だが、前世の知識を持つ俺からすれば、これほど生存に特化したチートスキルはない。
魔力を練り上げ、心の中で強く念じる。
出てこい、俺の絶対安全領域! 俺の城! 俺の不労所得の源泉!
「スキル発動! ——『交番召喚』ッ!!」
パァァァァァッ!
俺の掛け声と共に、荒野のド真ん中に魔法陣が展開され、眩い光の柱が立ち昇った。
地面がゴゴゴゴと鳴動し、光の中からコンクリート造りの『四角い建造物』が下からせり上がってくる。
屋根の上には、クルクルと回る赤いランプ(赤色灯)。
入り口には頑丈そうなガラス張りの引き戸。
壁には『アルディス領・嘆きの荒野 交番』というルナミス語の看板が掲げられている。
日本の街角に存在する、あの見慣れた『交番(派出所)』が、異世界の荒野に完全な姿で顕現したのだ。
「えっ……!? な、なにこれ!? お家!? 魔法でお家が建ったの!?」
母さんが目を丸くして、腰を抜かしかけている。
無理もない。土魔法で即席の石壁を作る魔法使いはいるだろうが、ガラス張りの近代建築をポンと出す魔法など、このアナスタシア世界には存在しない。
「母さん、これが俺のスキル『犬のお巡りさん』の力だよ。さあ、中に入ろう。外は寒いし、魔獣が出たら危ないからね」
俺は唖然とする母さんの手を引き、交番の引き戸を開けた。
ウィーン……。
自動ドアが開き、中に入った瞬間。
ブワァッ、と心地よい温風が二人を包み込んだ。
エアコンが完璧に効いているのだ。外の刺すような寒さが嘘のように、交番の中は適温(二十五度)に保たれていた。
明るい蛍光灯が室内を照らし、グレーの事務机、ロッカー、そして奥には扉がいくつか見える。
『――ピロッ。リオン巡査、着任オ疲レ様デス。深夜ノパトロール、御苦労様デス』
デスクの上に置かれたノートPCから、AI賢者君の無機質な音声が響く。
「ひっ!? は、箱が喋ったわ!?」
「大丈夫、あれは賢者君っていうサポートAIだよ。この建物は、ルチアナ女神が与えてくれた俺専用の詰所……いや、『絶対安全なお城』なんだ」
俺は母さんをデスクの椅子に座らせると、交番の内部を案内して回った。
「見てよ母さん。あっちの部屋は仮眠室になってて、ふかふかの寝袋(羽毛)があるんだ。シャワールームもあるから、いつでもお湯で身体を洗えるよ。それに、この建物の壁は魔導防護ガラスでできてるから、外から魔獣が突進してきても絶対に壊れない」
「お湯が出て……絶対に壊れないお城……? これが、リオンのスキルなの……?」
母さんは夢でも見ているかのように、ポカンと口を開けている。
タローマンで売っている最高級の防寒テントでも、ここまでの快適さは得られないだろう。
「でも、リオン……建物があっても、食べるものが無ければ生きていけないわ。母さん、明日から荒野で食べられる草や木の実を探して……」
やはり母親だ。自分の寝床より、三歳の俺にどうやって飯を食わせるかを本能的に心配している。
俺はフッと息を吐き、交番の奥にある給湯室(簡易キッチン)へと母さんを案内した。
「心配いらないよ、母さん。この『犬のお巡りさん』のスキルは、福利厚生がエグいんだ」
俺はキッチンに設置された配膳ボックスの前に立ち、『カツ丼』のボタンをポチッと押した。
チーン!
軽快な電子音と共にボックスの扉が開き、そこには、湯気をもうもうと立てる出来立ての『カツ丼』と、温かい緑茶が乗ったお盆が現れた。
醤油と出汁の甘じょっぱい香りが、交番内にフワリと広がる。
「え……? 料理が、勝手に……?」
「どうぞ、母さん。お腹空いてるでしょ? 食べてみてよ」
俺はカツ丼のどんぶりを、母さんの前に差し出した。
母さんは震える手で箸(この世界にも箸の概念はある)を手に取ると、黄金色に輝くトンカツと、半熟の卵でとじられたご飯を口に運んだ。
「…………ッ!?」
一口食べた瞬間、母さんの瞳孔がカッと見開かれた。
サクサクの衣に染み込んだ極上の出汁。分厚くジューシーな豚肉(おそらくシープピッグの肉だが、前世の豚肉と遜色ない)の旨味。そして、それらを包み込む甘辛いタレと、ホカホカのご飯。
貴族の屋敷で出るような気取ったフランス料理もどきではない。労働者の胃袋と魂を満たす、究極のジャンクにして至高の一杯。
「なにこれ……美味しい……すっごく、美味しい……っ!」
ハフハフと熱いカツ丼をかき込みながら、母さんの目からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
それは、追放された時の絶望の涙ではない。
温かい部屋で、信じられないほど美味しいご飯を食べられたという、極限の安心感からくる安堵の涙だった。
「良かった。ちなみに朝は納豆定食、夜はカップラーメンが無料支給されるから、食費は一生タダだよ」
「うっ……うっ……リオン……ありがとう……っ! リオンは、すごい子ねぇ……!」
母さんはカツ丼を抱えながら、俺をギュッと抱きしめて号泣した。
俺は母さんの背中をポンポンと叩きながら、さらに追い打ちをかけるような「最強の事実」を口にする。
「泣かないで母さん。俺たちの人生はこれからだ。ここだけの秘密だけどさ、俺、ただここにいるだけで月に『金貨十四枚(手取り十四万円)』のお給料が自動で振り込まれるんだ」
「…………はい?」
母さんが、涙と鼻水で顔をグシャグシャにしたまま、ポカンと固まった。
「き、金貨……十四枚……? 毎月!?」
「そう。家賃も光熱費も食費も全部タダの状態で、自由に使えるお小遣いが毎月金貨十四枚。一年で金貨百六十八枚だ。母さん、もうタローマンで重いセメント袋を運ぶパートもしなくていい。あのクソ親父たちの機嫌を取る必要もない」
俺は、カツ丼の湯気の向こうで、悪人面(笑顔)を浮かべた。
「俺が手取り十四万で、一生母さんを養ってあげるよ。だから、二人でここで最高の『引きこもり生活』を満喫しよう!」
「リオォォォン……! 母さん、あなたを産んで本当に良かったわぁぁぁぁっ!」
母さんは俺をタローマン仕込みの凄まじい腕力で抱きしめ、交番の中でワハハハと涙ながらに笑い声を上げた。
外では魔獣が咆哮し、冷たい風が吹き荒れている。
だが、この交番の中は完全なる安全地帯だ。
前世で過労死した俺が手に入れた、ノルマも残業もない、究極の公務員ライフ。
(ざまぁみろ、アルディス伯爵家! 俺はこの手取り十四万と交番で、世界一幸せなニートになってやるからな!)
交番の屋根でクルクルと回る赤色灯の光が、俺たちの輝かしい未来を照らすように、荒野の闇を赤く染め上げていた。
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