EP 5
交番BBQと月夜の宴。平和なスローライフの尊さと、ブラック社畜の忘れ物
ジリジリと肉の脂が焦げ、香ばしい煙が夜空へと立ち昇る。
嘆きの荒野に日が沈み、交番の屋根で赤色灯が静かに回転を始めた頃。俺たち【ライジング・サン・ガード】の四人は、交番の裏庭に完成したばかりの『特設BBQテラス』に集まっていた。
「よっしゃァ! 所長、火加減はどうだ!? 俺様の『大火炎』を極限まで絞り込んで、炭火と同じ遠赤外線効果を再現してみたぜ!」
ドカジャン姿のイグニスが、レンガの竈門に向かって口からチロチロと器用に炎を吐き出しながら、ドヤ顔で振り返った。
網の上では、俺が交番のPX(売店機能)で自腹を切って大量に仕入れた地球の『極上厚切り牛タン』と『霜降りカルビ』が、ジュージューと暴力的なまでの美味そうな音を立てている。
「完璧だ、イグニス。火力がデカすぎてクビにされてたお前が、まさかミリ単位の熱量コントロールをマスターするとはな。お前はもう、ただの破壊兵器じゃない。うちのクランが誇る三ツ星シェフだ」
「うおおおおっ! 所長ォ! 俺様、一生あんたのために肉を焼くぜぇぇっ!」
俺の言葉に、イグニスが感動の涙を滝のように流しながら肉をひっくり返す。
適材適所。自己肯定感の爆上げ。これぞホワイト企業のマネジメントの基本である。
「さあさあ、お肉が焼けるまでの間は、私の絶対無敵のライブでお腹を空かせてくださいませ! ミュージック、スタート!」
BBQテラスの横に併設された木製ステージの上では、芋ジャージ姿のリーザがマイク(交番の備品拡声器)を握りしめ、ご機嫌なステップを踏んでいた。
『愛! アイ! 愛! アイ! ラ〜ブラブ! マネー! マネ! ローン! ダーリン! グ! 愛も富も一つの物〜♪』
彼女の持ち歌である『Love&Money』が、荒野の夜空に響き渡る。
本来なら強欲すぎる歌詞だが、人魚族の奇跡が乗ったその歌声は、聞く者の疲労を癒やし、さらには食欲増進と消化促進の効果まで付与してくれていた。
「いやぁ、最高のBGMだな。胃袋の準備運動はバッチリだぜ」
「プロデューサー! 歌い終わったら、おひねり(スパチャ)の代わりに、一番大きなカルビの串焼きをお願いしますわーっ!」
「はいはい、わかってるよ。ほら、喉が渇いただろ。ウーロン茶だ」
俺がPXで買ったペットボトルのウーロン茶をステージに向かって放り投げると、リーザは見事なキャッチを披露し、「ウーロン茶スパチャ、いただきましたわー!」と歓声を上げた。
月末の憂鬱な書類仕事(確定申告)を全員で乗り切った後の、慰労会BBQ。
交番の敷地内という絶対安全圏で、気心の知れた仲間たちと囲む火は、異世界で張り詰めていた俺の神経を心地よく解きほぐしてくれていた。
「リオンさん、お疲れ様です。お肉、焼けましたよ」
ふわりと、甘いお菓子の匂いがした。
パイプ椅子に座ってPXの缶ビール(非番なので今日は特別だ)を傾けていた俺の隣に、キャルルがちょこんと腰を下ろした。
彼女はピンク色のエプロン(今回はフライパンを握り潰す心配のない安全仕様)を身につけ、小皿に取り分けた熱々のカルビと牛タンを差し出してきた。
「おお、サンキューキャルル。お前も座って食えよ」
「はい。……あの、リオンさん」
「ん?」
キャルルは、箸で分厚い牛タンを一枚つまみ上げると、それをフーフーと冷まし、俺の口元へとスッと差し出してきた。
「あーん、してください……♡」
「…………は?」
俺は缶ビールを持ったまま、完全にフリーズした。
キャルルのウサギ耳が、期待と緊張でピコピコと動いている。その瞳は上目遣いで、俺の唇をじっと見つめていた。
「い、いや、自分で食えるから……」
「ダメです。今日はリオンさんに書類仕事を全部教えてもらったお礼です。私、お料理はフライパンを握り潰しちゃってできないから……せめて、こうしてリオンさんに食べさせてあげたいんです」
キャルルが、少しだけ潤んだ瞳で俺を見つめる。
そんな顔をされたら、断れるわけがない。俺は事勿れ主義のビビりだが、女の子の純粋な(そして少し重い)好意を無下にするほど野暮な男ではない。
「……あ、あーん」
俺が観念して口を開けると、キャルルは満面の笑みで牛タンを放り込んできた。
ジュワッ、と極上の肉汁と、ネギ塩ダレの香ばしい風味が口いっぱいに広がる。
「……美味い」
「ふふっ、良かったです! リオンさんの心音も、トクトクって嬉しそうに跳ねてますよ……♡ 私も、すっごく幸せです……♡」
俺の心臓の音を【超聴覚】で読み取り、キャルルは自身の頬を桜色に染めて、俺の肩にコテンと頭を預けてきた。
ヤンデレ気質特有の、逃げ場のない圧倒的な愛情表現。だが、その温もりは決して不快なものではなく、むしろ今の俺には心地よくすら感じられた。
「おーい! 所長! 嬢ちゃん! メインディッシュの『厚切りステーキ』が焼き上がったぜ! 早く来ねぇと俺様が全部食っちまうぞ!」
「ああっ! ズルいですわイグニス! アイドルの私に一番大きなお肉を貢ぐのがファンの義務ですのーっ!」
BBQコンロの前では、イグニスとリーザがトング片手に肉の争奪戦を繰り広げている。
キャルルも「あっ、私とリオンさんのお肉も残しておいてください!」と立ち上がり、三人の賑やかな笑い声が交番の裏庭に響き渡った。
俺は、その騒がしい光景から少しだけ距離を置き、夜空に浮かぶ巨大な二つの月を見上げた。
手にした缶ビールの冷たさが、前世の記憶をふと呼び起こす。
(……前世の俺は、こんな風に誰かと笑い合いながら飯を食うことなんて、一度もなかったな)
ブラック企業での外回り営業。
理不尽なクレーマーに土下座し、上司の機嫌を取り、夜中まで一人で書類を作っていた日々。
終電を逃し、誰もいない暗いワンルームのアパートに帰って、コンビニで買った冷たい弁当を、無音の部屋でただ黙々と胃に流し込むだけの毎日。
『代わりはいくらでもいる』
『お前は会社の歯車だ。文句を言うな』
そんな言葉に削られ、摩耗し、最後は心臓が止まって過労死した。
孤独だった。俺の代わりはいても、俺という人間を本当に見てくれる奴なんて、あの世界には一人もいなかった。
「……それが、どうしてこうなったんだかな」
俺は、楽しそうに笑い合う三人の姿を見つめた。
力加減ができず、社会から見放されていた竜人、イグニス。
ハズレスキルを忌み嫌われ、スラムで残飯を漁っていた人魚姫、リーザ。
王族という籠の鳥にされ、自由を奪われそうになっていた月兎の姫、キャルル。
どいつもこいつも、世間の枠組みから外れた『ポンコツ』の『ワケアリ』だ。
でも、俺の目には、こいつらが誰よりも輝いて見えた。
こいつらには、俺の『知恵』が必要だ。そして俺には、こいつらの『力』と『笑顔』が必要だった。
「リオンさーん! ビールのおかわり、持ってきましたよ!」
「所長! あんたが買ってくれたこの『焼き肉のタレ』ってやつ、マジで神の飲み物だな! これだけで米麦草が三杯はいけるぜ!」
「プロデューサー! お肉を食べたら、デザートにパフェが食べたいですわ!」
三人が、俺に向かって手を振っている。
俺は事勿れ主義だ。争いは嫌いだし、できることなら手取り十六万で一生引きこもって、楽なスローライフを送りたい。
でも、もし。
(……もし、この温かい『俺たちの帰る場所』を、不当な暴力や理不尽な権力で奪おうとする奴が現れたなら)
俺は、缶ビールの残りを一気に飲み干し、空になった缶をギュッと握り潰した。
(俺は、警察官だ。……絶対に逃げない。俺の持てる全ての悪知恵と盤外戦術を使って、そいつを完璧に制圧してやる)
俺の心の中に、静かな、しかし決して揺らぐことのない『覚悟』の炎が灯る。
「おう、今行く! イグニス、リーザに肉を全部食われる前に死守しろ!」
俺は空き缶をゴミ箱に放り込み、三人の待つBBQコンロへと歩き出した。
この時の俺たちは、この平和な手取り十六万の日常が、明日、理不尽な『小悪党』の逆恨みによって大きく脅かされることになるとは、まだ知る由もなかった。
だが、恐れることは何もない。
俺には、この世界で一番頼りになる、愛すべき『最強の家族』がいるのだから。




