EP 4
書類仕事は警察の基本。逃亡者と優しい手錠、みんなで囲むコタツの確定申告
「……よし。冷暖房完備とはいえ、朝晩は少し冷え込むようになってきたからな。交番のPX(売店機能)で、地球の英知を結集した『最強の防寒具』を取り寄せておいたぞ」
嘆きの荒野に建つ交番のデスク室。
俺——手取り十六万の巡査長リオンは、部屋の中央にドンと設置した四角いテーブルと、それに掛けられた分厚い布団、そして天板をポンポンと叩いて胸を張った。
「おおっ! なんだこのフカフカしたテーブルは! 中からポカポカと温けぇ空気が流れてきやがる!」
「まあ! これがプロデューサーの故郷の魔法道具ですのね! 足を入れると、まるで極上の温泉に浸かっているような幸せな気分になりますわ……♡」
「リオンさん、これ、すごく落ち着きますね。私、一生ここから出たくなくなっちゃいそうです……むにゃ」
イグニス、リーザ、キャルルの三人が、すでにその『最強の防寒具』——【コタツ】の魔力に囚われ、首まで布団に潜り込んでとろけきった顔をしていた。
地球の冬の風物詩、コタツ。
異世界人である彼らにとっても、その破壊力(ダメ人間製造能力)は絶大だったようだ。
「気に入ってくれて何よりだ。キャルル、悪いが給湯室から『温かい緑茶』と『みかん』を持ってきてくれないか?」
「はいっ! リオンさんのためなら喜んで!」
キャルルが嬉しそうにコタツから這い出し、お茶の準備をしてくれる。
全員がコタツを囲み、ほっこりとみかんの皮を剥き始めたところで……俺は、ニヤリと営業スマイルを浮かべ、背後に隠していた『分厚い書類の束』を天板の上にドサリと積み上げた。
「さて。みかんを食べながらでいいから聞いてくれ。今日は月末だ。冒険者ギルドへの『月間クエスト報告書』と、ルナミス帝国税務局への『所得申告書(確定申告)』の作成を行うぞ」
ピタッ。
その言葉を聞いた瞬間、イグニスとリーザの手からみかんが滑り落ちた。
「……えっ? し、書類……?」
「そうです。俺たち【ライジング・サン・ガード】は、清く正しいホワイトクランだ。脱税や報告義務違反は絶対に許されない。お前らも正式なクランメンバーになった以上、自分の活動報告と経費の精算は自分でやってもらう」
「う、嘘だろ……!?」
イグニスが、巨体をガタガタと震わせ始めた。
「お、俺様、日雇いの時はその日暮らしで、税金とか書類なんて書いたことねぇぞ! そもそも、字を読むと頭が痛くなって、羽ペンを持つと指がつるという『活字アレルギー』の呪いにかかってるんだ!」
「わ、私もですわ! お金を吸い込むのは大好きですけど、自分のお財布から出ていく税金の計算なんて、見ているだけで貧血で倒れてしまいますの!」
二人の顔面が蒼白になっている。
完全なる事務作業への拒絶反応だ。前世の俺の部署にも、月末の経費精算になると急に体調不良を訴えて逃亡しようとする営業マンがよくいたものだ。
「悪いな、所長! 俺様、ちょっと裏庭のダミー岩が呼んでるから、鍛錬に行ってくるぜ!」
「ああっ! 私も、ポポロ村のファンたちが新曲を待ちわびている声が聞こえますわ! アデュー!」
バッ! とコタツ布団を跳ね除け、イグニスとリーザが交番の出口に向かって猛ダッシュを仕掛けた。
逃げ足だけは一丁前だ。だが、事勿れ主義の警察官(俺)を舐めるな。逃亡者の確保など、日常茶飯事である。
「……業務命令違反、ならびに事務作業からの逃亡未遂。確保する」
俺はため息をつきながら、コタツからスッと立ち上がった。
精神的な迷いを完全に消し去り、『警察官』のスイッチを入れる。
向かっていくのは、交番の出口。俺は彼らより先に回り込むような無茶はしない。交番の床に敷いてあった『座布団』を足の甲に乗せ、サッカーボールのように軽く蹴り飛ばした。
「うおっ!?」
シュルルッ! と滑るように飛んでいった座布団が、イグニスの巨大な足元にピタリと入り込む。
全速力で走っていたイグニスは、座布団に乗った足を滑らせ、見事にバランスを崩した。
「わわわっ! イグニスさん、邪魔ですわーっ!」
「とわぁぁぁぁっ!?」
イグニスの巨体にリーザが激突し、二人がもつれ合って床に転がる。
その隙を見逃さず、俺は音もなく二人の背後に滑り込んだ。
十三年間の地獄の特訓で培われた【体術S(柔道・捕縛術)】。
決して相手を傷つけるための暴力ではない。相手の関節の可動域を優しく、しかし絶対に逃げられない角度で固定する、制圧の芸術。
「はい、お縄だ。大人しくコタツに戻れ」
カチャッ、カチャッ。
もがく二人の手首に、俺はタクティカルベルトから素早く引き抜いた『手錠』を、優しく、しかし確実にはめ込んだ。
「ああっ!? わ、私の細腕に冷たい銀の輪っかが……!」
「しょ、所長ォ! なんであんた、こういう盤外戦術の時だけ無駄に動きがキレッキレなんだよ!」
床に転がってジタバタする二人を、俺は手錠のチェーンを引いて、ズルズルとコタツまで引きずり戻した。
お茶を淹れていたキャルルが、「すごい手際です、リオンさん! カッコいい……♡」と拍手喝采している。
「いいか、お前ら」
俺は二人を無理やりコタツの席に座らせ(手錠はすぐに外してやった)、マグカップの緑茶を一口啜ってから、彼らの目を見て静かに語りかけた。
「俺が前世でいたブラック企業じゃあ、こういう面倒な書類仕事は、上司が『お前らで勝手にやっとけ』って言って全部部下に丸投げしてたんだ。書き方も教えずに、ミスがあったら怒鳴り散らす。……それが一番の『理不尽』だった」
俺の脳裏に、サビ残で誰もいなくなったオフィスで、一人泣きながら経費精算のレシートを貼っていた時の記憶が蘇る。
「だが、ここは違う。うちのクランは、誰も一人で苦しませない。俺が所長として、一から百まで全部教えてやる。だから……逃げずに、一緒にやろうぜ」
俺が優しく、しかし絶対に退かないという強い意志を込めて言うと、イグニスとリーザはバツが悪そうに目を伏せた。
「……所長。俺様、本当に頭悪いんだぜ? 字だって、自分の名前がギリギリ書けるくらいで……」
「私なんて、三桁以上の数字を見ると、頭の中に小人が出てきて踊り出すんですの……」
自信を喪失している二人に、俺はニヤリと笑って、ノートPCを彼らの前に向けた。
「安心しろ。俺たちの味方には、この交番の頭脳『AI賢者君』がいる。……賢者君、彼ら用に書類のフォーマットを一番簡単な『穴埋め形式』に変換してくれ」
『リョウカイシマシタ。イグニス様ニハ、音声入力ト筆写アシスト機能ヲ。リーザ様ニハ、自動計算マクロヲ展開シマス』
画面が切り替わり、複雑だった書類が、まるで子供向けのドリル絵本のようにシンプルで分かりやすい図解へと変化した。
「ほら、イグニス。羽ペンを握ってみろ。俺が手を添えてやるから、画面に表示された文字をそのままなぞるだけでいい」
「お、おう……。こ、こうか?」
俺は、イグニスの丸太のように太い手に自分の手を重ね、ゆっくりと羽ペンを走らせた。
最初は震えていたイグニスの字だったが、俺が「力の抜き方は、斧を振る時と同じだ。リラックスしろ」とアドバイスすると、次第にスムーズで力強い文字が書けるようになってきた。
「おおっ! 書けた! 俺様が、今日の討伐報告を自分で書けたぞ!」
「よくやった。その調子で次もいこう。……次はリーザだ」
俺は、数字を見て白目を剥きかけているリーザの前に、ルナミス帝国の税法マニュアル(賢者君が要約したポップな解説書)をドンと置いた。
「いいか、リーザ。確定申告ってのは、ただ税金をむしり取られるだけのシステムじゃない。交番の備品や、お前のアイドルの衣装代……そういったものを『経費(プロデュース費用)』として正しく計上すれば、なんと税金が戻ってくる(還付される)仕組みなんだ!」
「えっ!? 戻ってくる!? お金が!? 私のお財布に!?」
その言葉を聞いた瞬間、リーザの瞳に猛烈な『$マーク』が浮かび上がった。
「そ、それなら話は別ですわ! プロデューサー、私、この芋ジャージの修繕費も経費で落ちますの!? 昨日食べたタローソンの肉まんも、接待交際費になりますわよね!?」
「いや、肉まんは厳しいが……衣装代はいける。さあ、一円でも多く税金を取り戻すために、領収書の束を完璧に計算するぞ!」
「はいっ! 私、俄然やる気が出てきましたわーっ!」
強欲なアイドルは、現金なものだ。『自分の利益になる』と理解した瞬間、リーザは信じられない速度で領収書を仕分けし、賢者君の自動計算マクロに数字を打ち込み始めた。
「リオンさん、私にも何かお手伝いできることはありますか?」
キャルルが、少し手持ち無沙汰そうに聞いてくる。
彼女は元・王族の姫君だけあって、一般教養も書類仕事も最初から完璧にこなしてしまっていたのだ。
「キャルルは、皆のお茶出しと、みかんの皮を剥く係を頼む。これが一番重要で、士気を保つための兵站だからな」
「はいっ! 私が愛情を込めて、世界で一番美味しいみかんを剥いてさしあげますね!」
こうして、憂鬱だった月末の書類仕事は、コタツという絶対的な安心空間の中で、和気藹々とした『家族の団欒』へと姿を変えた。
イグニスがウンウンと唸りながら文字を書き、リーザが「経費! 経費!」と呪文のように唱えながら電卓(魔導計算機)を叩き、キャルルが綺麗に筋を取ったみかんを皆の口に放り込む。
そして俺は、全員の進捗を見守りながら、的確なアドバイスと修正を行っていく。
――数時間後。
「……よし! 全員の書類、完璧に完成だ。不備は一切なし!」
俺が宣言すると、コタツを囲んでいた三人は、まるで死闘を生き抜いた冒険者のように「うおおおおっ!」と歓声を上げた。
「へへっ……どうよ所長。俺様、自分の力で月報を全部書き上げたぜ!」
「ええ、私の経費計算も完璧ですわ! これで来月は、還付金で苺パフェが食べられますの!」
誇らしげに胸を張るイグニスと、ガッツポーズをするリーザ。
俺は、彼らの努力の結晶である書類の束をトントンと揃え、満足げに頷いた。
「よく頑張ったな。お前らはもう、立派なクランのメンバーだ。……お疲れ様」
俺が心からの笑顔で労うと、三人も釣られるように満面の笑みを浮かべた。
前世では、孤独で苦痛でしかなかった事務作業。
だが、この『手取り十六万の交番』で、仲間たちと一緒に肩を並べて行う仕事は、不思議と全く苦にならなかった。
「リオンさん、お茶のおかわり淹れますね。みかんもまだたくさんありますよ」
「おう! 所長、書類仕事も終わったし、夜は俺様がBBQテラスで肉を焼いてやるぜ!」
「ふふっ、じゃあ私はその横で、お疲れ様ライブを開催いたしますわ!」
騒がしくも温かい、俺たちの帰る場所。
どんな理不尽な敵が来ようとも、どんなに面倒な仕事が降ってこようとも。俺の『知恵』と『仲間との連携』があれば、必ず乗り越えていける。
コタツの温もりと、みかんの甘い香りに包まれながら。
事勿れ主義の俺は、この愛すべきポンコツたちとの平穏な日常を、心の底から楽しんでいる自分に気がついていたのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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