EP 3
月兎姫のヤンデレ愛情弁当と、完璧な受け身
嘆きの荒野に建つ、手取り十六万のマイホーム『交番』。
ポポロ村でのゲリラライブ暴動未遂事件(俺の土下座と賄賂コーヒーで解決済み)から一夜明け、今日の交番は朝から平和な空気に包まれていた。
「さてと。今日は非番(という名の完全オフ)だし、溜まっていた地球の漫画でも読みながら、デスク室でゴロゴロさせてもらうかな」
俺はAI賢者君のノートPCを使って、交番のWi-Fi経由で地球の電子コミックを開き、最高にダラダラとした時間を満喫しようとしていた。
イグニスは裏庭の特設訓練場で丸太を相手に筋トレをしており、リーザは仮眠室で「お布施……ぐふふ……」と寝言を言いながら爆睡している。
――そして、キャルルは。
朝から『給湯室(簡易キッチン)』に籠もって、何やらゴソゴソと作業をしていた。
配膳ボックスから出される料理ではなく、交番の冷蔵庫にストックされていたポポロ村の野菜(昨日、賄賂のコーヒーのお礼にもらったものだ)を使って、何かを作っているらしい。
「リオンさんのために……ふふっ、美味しくなぁれ、美味しくなぁれ……♡」
給湯室から、キャルルの楽しそうな、しかしどこか重い愛情(ヤンデレ成分)が込められた呟きが聞こえてくる。
(珍しいな。キャルルが料理なんて。まあ、たまには手作りの飯も悪くねぇか)
俺が呑気に欠伸をした、その瞬間だった。
――メキョォォォォォォォンッ!!
――バキバキバキッ! ガシャァァァンッ!!
「……っ!?」
給湯室から、鉄の塊がプレス機で潰されたような異音と、凄まじい破壊音が鳴り響いた。
俺は持っていたマグカップを放り出し、反射的に腰のニューナンブに手をかけて立ち上がった。
「キャルル!? どうした、敵の襲撃か!?」
俺が給湯室に飛び込むと、そこには異様な光景が広がっていた。
ピンク色のエプロンを身につけたキャルルが、キッチンの前に立ち尽くしている。
だが、その手の中にあるのは、もはや原型を留めていない『黒い鉄のボールのようなもの』だった。
「あ……あぁっ……リ、リオンさん……」
キャルルが、ウサギの耳をペタンと下げて、泣きそうな顔で俺を振り返った。
彼女の手の中にある黒い物体。よく見ると、それは交番の備品である『鉄製のフライパン』だった。
柄の部分から鍋底に至るまで、まるで粘土のようにグシャグシャに握り潰されている。
さらに足元を見ると、分厚い木製のまな板が真っ二つに割れ、無惨に砕け散ったニンジンの残骸が散乱していた。
「な、何があったんだ? 交番の防壁を抜けて、魔獣でも入り込んだのか?」
「ち、違うんです……。私、リオンさんに『愛情たっぷりのお弁当』を作ってあげたくて……」
キャルルは、ポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
「いつも美味しいご飯を出してくれるリオンさんに、手作りのご飯を食べてほしかったんです。でも……リオンさんの喜ぶ顔を想像したら、なんだか胸がドキドキして、力が入りすぎちゃって……」
キャルルは、ひしゃげたフライパンを床に落とし、顔を両手で覆った。
「包丁を握ったらまな板ごとニンジンを粉砕しちゃって……慌ててフライパンを持ったら、取っ手ごと握り潰しちゃいました……。うぅっ、私、お料理もまともにできないなんて……」
月兎族の圧倒的な身体能力。
100mを5秒台で走り、20mの跳躍力を持つ彼女の筋力は、俺たち人間の常識を遥かに超えている。
普段は無意識に力加減をしているのだろうが、俺への『愛情』が高ぶった結果、感情と筋力が直結して暴走してしまったらしい。
「私なんて……戦うことしかできない、可愛げのない女です……。リオンさんのお嫁さん(・・・・)になる資格なんて、ありません……っ!」
泣き崩れるキャルル。
前世のブラック企業で、自分のミスを責めて泣いている後輩社員を何度も見てきた。
あの時、クソみたいな上司たちは「使えない奴だ」「代わりはいくらでもいる」と冷たく吐き捨てた。その度に、俺は胃を痛めながら後輩を慰め、サビ残で仕事をカバーしていたものだ。
だが、今の俺は、手取り十六万の交番を仕切る『所長』である。
仲間の、それも俺を喜ばせようとしてくれた純粋な気持ちを、無下にするような真似は絶対にしない。
「……キャルル」
俺はしゃがみ込み、散らばったニンジンの破片と、ひしゃげたフライパンを拾い上げた。
「泣くな。フライパンの一つや二つ、交番の備品(経費)でいくらでも落ちる。気にすんな」
「でも……お弁当、作れませんでした……」
「いいか、キャルル」
俺は立ち上がり、彼女の頭にポンと手を乗せた。
そして、前世の営業スマイルとは違う、心からの優しさを込めて微笑んだ。
「俺は、お前に料理人になってもらうためにクランに誘ったわけじゃない。飯なら、この交番の配膳ボックスから、一番美味くて温かいもの(カツ丼)が無限に出てくるからな」
「リオンさん……」
「お前が料理下手でも、不器用でも、フライパンを握り潰す怪力でも、そんなこたぁどうでもいい。……お前の一番の魅力は、その足にあるんだからな」
俺は、キャルルが履いているタローマン製の『鉄板入り特注安全靴』を指差した。
「悪い奴らが俺の平穏を脅かしに来た時、誰よりも速く駆けつけて、その足で敵を蹴り飛ばしてくれる。……それがお前の『役割』だ。料理や雑務は、全部俺のスキル(交番)に任せとけ。その代わり、俺の背中は、お前のその強い力で守ってくれ」
餅は餅屋。得意なことを、得意な奴がやればいい。
それが、俺の考える『最高のチームワーク』であり、誰も無理をしないホワイトな環境の基本だ。
俺の言葉を聞いたキャルルのウサギ耳が、ピクッ、ピクッと大きく跳ねた。
両手で覆っていた顔を上げると、そこには涙で濡れた、しかし圧倒的な熱量を持った瞳があった。
――ドクンッ、ドクンッ、ドクンッ!
俺の【犬の聴覚】が、キャルルの心臓が警報ベルのように激しく高鳴り始めたのを感知する。
「……私の、全部を、受け入れてくれる……」
キャルルの声が、甘く、そしてゾクッとするほど艶やかに響いた。
「料理ができなくても……ただの怪力でも……リオンさんは、私を『必要だ』って言ってくれるんですね……!」
あ、やばい。
慰めるつもりが、完全にヤンデレのスイッチ(着火剤)を踏み抜いてしまったらしい。
「リオンさん……好きっ! 大好きですぅぅぅぅぅっ!!」
キャルルが、その圧倒的な月兎族のバネを爆発させ、俺に向かって両手を広げて飛びかかってきた。
100mを5秒台で走るスピードからの、全身全霊のハグ(飛び付き)。
まともに受け止めれば、ダンプカーに轢かれるのと同じ運動エネルギーだ。手取り十六万の背骨など、一瞬で粉砕されてしまう。
(――だが、甘いぜキャルル。俺のスキルは伊達じゃない!)
俺の精神から一切の迷いが消え去り、『警察官』としての極限の集中状態に入る。
十三年間、鬼教官ヴァルキュリアから毎日叩き込まれた地獄の千本投げ。
俺のステータスの中で、唯一『Sランク』を誇る能力。それは、敵を倒す力ではなく、どんな理不尽な暴力からも身を守るための究極の防御術。
――【体術S(柔道・捕縛術)】の極意。
「ふっ!」
俺は迫り来るキャルルの身体を正面から受け止めるのではなく、彼女の飛び込んでくるベクトル(勢い)に自らの身体を完全に同調させた。
彼女の腰に手を回した瞬間、俺は自ら後方へと跳躍し、空中で身体を丸める。
ダァァァァァァァァァンッ!!!
キャルルを抱きしめたまま、俺の背中が交番の床に激突した。
だが、その瞬間。俺はフリーになっていた右腕で床を強烈に叩き(バンッ!)、衝撃を見事に分散させた。
柔道の基本にして奥義、後方受け身。
ダンプカー級の突撃のエネルギーを、床への打撃と転がりによって完全に相殺したのである。
「……っはぁ」
土埃(?)が舞う給湯室。
床にはわずかにヒビが入っていたが、俺の身体は無傷だった。完璧な受け身だ。
「んんっ……♡ リオンさんの胸、すごく温かいです……♡」
俺の胸の上で、キャルルが幸せそうに頬をすりすりしている。
その顔は完全に恋する乙女(ただし破壊力は戦車級)だった。
「……お前なぁ、少しは手加減しろよ。俺じゃなきゃ死んでるぞ」
「だって、リオンさんなら絶対に私を受け止めてくれるって、私の『心音』が教えてくれましたから!」
無邪気に笑うキャルルに、俺は呆れながらも、その頭を優しく撫で返してやった。
……まあ、怪我がないならそれでいい。
「おっ? なんだなんだ、すげぇ音がしたと思ったら……」
「むにゃ……? プロデューサー、朝からお盛んですの……?」
騒ぎを聞きつけて、裏庭から汗だくのイグニスが、仮眠室からは目をこすりながらリーザが顔を出した。
床に寝転がってキャルルと熱烈なハグ(物理)をしている俺を見て、イグニスがニヤニヤと笑う。
「なんだ、所長。朝から嬢ちゃんと激しいスキンシップ(組手)か? 邪魔しちゃ悪りぃな、リーザ、扉閉めとこうぜ」
「ええ……お賽銭(ご祝儀)の準備をしておきますわ」
「違う! これは不可抗力の受け身だ! お前ら、変な誤解をするな!」
俺が慌てて抗議するも、二人は生暖かい目を向けて給湯室の扉をパタンと閉めてしまった。
俺の胸の上で、キャルルが「えへへっ♡」と嬉しそうに笑っている。
「……はぁ」
俺は天井の蛍光灯を見上げ、深くため息を吐いた。
月兎の姫に、竜人に、人魚姫。
こんな個性強すぎ(物理ダメージ高すぎ)の連中を束ねる上司の給料が、手取り十六万で割に合うのだろうか。
いや、絶対に合っていない。サビ残みたいなものだ。
(でもまあ……退屈なスローライフよりは、ちょっとくらい騒がしい方が、生き甲斐があるってもんか)
俺は苦笑しつつ、キャルルのピンク色のエプロンについたニンジンの欠片を、そっと払ってやった。
事勿れ主義の警察官と、ヤンデレ月兎姫の騒がしくも温かい日常は、こうして今日も続いていくのである。
読んでいただきありがとうございます。
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