EP 2
三男坊の現実と、絶対働かない人生計画 〜貴族のドロドロ? 管轄外です〜
ルナミス帝国。
今から約百年前に「佐藤太郎」という名の異世界転生者(チート持ち)が建国したという、このファンタジー世界『アナスタシア』において一際異彩を放つ近代国家である。
魔法と闘気が入り混じる世界でありながら、俺が転生したこの国には、前世の日本を彷彿とさせるインフラや概念がゴロゴロと存在していた。
魔導車が走り、魔導通信石で連絡を取り合い、街の郊外には『タローマン』という巨大なホームセンターがそびえ立つ。
俺こと、リオン・フォン・アルディスが二歳になり、よちよち歩きで屋敷を徘徊できるようになった頃、俺はこのアルディス伯爵家の『現実』と『家庭環境』を正確に把握し始めていた。
「よしよし、リオン。今日もいいお天気ね。さあ、母さんと一緒にお庭の土いじりをしましょうか」
麦わら帽子を被り、首にタオルを巻いた女性が、俺を抱き上げて微笑む。
彼女の名前はマリア。俺の母親であり、アルディス伯爵家の『第三夫人』だ。
彼女は貴族の妻でありながら、フリフリのドレスなんか絶対に着ない。今もタローマンの作業着コーナーで買ってきた、動きやすさ重視のサロペット姿だ。
それもそのはず、母さんは元々平民の出だった。
聞くところによると、タローマンの資材・園芸コーナーでパートタイマーとして働いていた際、お忍びで屋敷のDIY資材を買いに来た父・グレゴール伯爵に見初められたらしい。
『重さ三十キロのセメント袋を、笑顔で軽々と肩に担ぐその逞しさと太陽のような笑顔に、ワシの心は撃ち抜かれたのだ!』とは、酒が入った時の父さんの口癖である。
なんというか、ファンタジー世界の貴族の馴れ初めとしては庶民的すぎる。
「ふん。泥にまみれて、本当に下品な女。これだから平民上がりは困りますわ」
「おやめなさい、お姉様。関わるとこちらの品位まで落ちてしまいますわよ」
庭の隅で、母さんと一緒に『太陽芋』の苗を植えていると、テラスの方から棘のある声が降ってきた。
日傘を差し、優雅に紅茶を傾けているのは、第一夫人と第二夫人だ。
生粋の貴族の娘として政略結婚で嫁いできた彼女たちにとって、平民出身でホームセンターのパート上がり、おまけに伯爵の寵愛を受けている母さんの存在は、目障り以外の何物でもないらしい。
「あらあら、奥様方は今日も元気ねえ。リオン、お芋の苗にはね、優しく土を被せてあげるのよ」
しかし、我が母は強かった。
嫌味などどこ吹く風。全く意に介する様子もなく、タローマン製のスコップでザクザクと土を掘り返している。さすが、ブラック企業のクレームよりタチの悪い客をホームセンターでさばいてきただけのことはある。メンタルが鋼だ。
(うんうん。母さんはそのままでいいんだよ。変に貴族社会に迎合しようとするより、美味しい太陽芋を作ってくれる母さんが俺は一番好きだ)
俺は「あーうー」と適当な相槌を打ちながら、前世の営業スマイル全開で泥んこの手を叩いてみせた。母さんが「えらいわねぇ!」と俺の頭を撫でてくれる。
さて、俺がこの第三夫人の息子という『三男坊』のポジションをどう思っているかというと……。
(控えめに言って、最高すぎる。完全な勝ち組ルートだ!!)
俺は内心で狂喜乱舞していた。
貴族の三男坊。しかも母親は平民出身。
これが何を意味するか。それは『家督相続の権利から完全に外された、誰からも期待されないモブ』ということだ。
第一夫人には、長男のアルベルト義兄さん(十歳)がいる。
第二夫人には、次男のベルンハルト義兄さん(八歳)がいる。
彼らの日常は、控えめに言って地獄だった。
将来の伯爵家を背負って立つため、朝から晩まで分刻みのスケジュールで動いている。
朝五時に起床して闘気の鍛錬、朝食後は家庭教師による歴史と政治学の詰め込み教育。昼からは領地経営の座学、魔法の訓練、そして夜は貴族としてのマナー講座と夜会への出席。
先日、廊下で長男のアルベルト義兄さんとすれ違った時のことだ。
齢わずか十歳にして、彼の目の下にはクッキリと真っ黒なクマが刻まれていた。虚ろな目で宙を見つめ、ブツブツと呪文のようにルナミス帝国の法律を暗唱しながら歩くその姿は……。
(ああっ……! ダメだ、思い出すだけで吐き気がする!)
あの目は、前世で連日深夜まで残業し、ノルマ未達で上司から詰められまくっていた時の『俺の目』と全く同じだった。
過労死一歩手前の、社畜の目だ。
第一夫人と第二夫人の「うちの子こそが次の伯爵よ!」という見栄と狂気のエデュケーションにより、二人の義兄は完全に心をすり減らしていた。
(エリート街道なんて真っ平ごめんだ。責任ある立場になればなるほど、人はブラックな労働環境に縛られる。俺は前世でそれを命を懸けて学んだんだ)
俺の人生計画はすでに決まっている。
一つ。絶対に優秀なふりをしないこと。
二つ。兄たちの権力闘争には一切関わらないこと。
三つ。適度なバカを演じ、「あいつは平民の血が濃いから仕方ない」と放置されること。
そして成人した暁には、伯爵家の隅っこで適当な役職(窓際族)をもらい、あるいは領地の端っこの小さな土地を譲り受け、一生遊んで暮らすのだ。
闘気の訓練? しない。痛いから。
魔法の勉強? しない。疲れるから。
冒険者になって魔獣討伐? もってのほかだ。残業代も労災も出ない危険な仕事など、俺の管轄外である。
「リオン、どうしたの? ぼーっとして。お腹空いた?」
「ばぶー!(母さん、俺は一生ニートとして生きるよ!)」
俺が力強く宣言すると、母さんは「元気にお返事できてえらいわねぇ」とニコニコ笑った。
このアルディス伯爵家を治める父、グレゴール・フォン・アルディス伯爵は、非常に厳格な顔立ちをした武闘派貴族だ。
しかし、その実態は「実力主義」と「合理主義」の塊である。
母さんのような平民を第三夫人に迎え入れたのもそうだし、タローマンの資材を領地開発に積極的に取り入れるなど、古い貴族のしきたりに囚われない柔軟さを持っている。
だからこそ、俺が「無能で無害な三男坊」を完璧に演じきれば、父さんも「まあ、リオンはマリアに似てのんびり屋だからな。適当に領地の隅で畑でも耕させておけ」と、俺のニート生活を認めてくれるはずなのだ。
(完璧だ。俺のセカンドライフ、何もかもが計算通りに進んでいる)
前世のブラック企業の記憶が、俺の危機管理能力を極限まで高めている。
目立たず、騒がず、事勿れ主義を貫く。これがこの理不尽な世界を生き抜くための最適解だ。
「……ん? ちょっと待てよ」
太陽芋の苗を見つめながら、俺はふと、ある重大な懸念事項を思い出した。
(そういえば……あの芋ジャージの駄女神、俺に『適当なスキルをランダムで付与した』って言ってたよな……?)
このアナスタシア世界では、ルチアナ教会の教えにより、三歳になると『スキル検査』という一大イベントが行われる。
そこで判明したユニークスキルや才能によって、その後の人生が大きく左右されるのだ。
もし、あの駄女神がテキトーに付与したスキルが、『勇者』とか『聖剣召喚』とか『絶大なる魔力』みたいな、クソほど目立つ主人公級のチートスキルだったらどうなる?
間違いなく、俺は第一夫人たちから強烈な暗殺のターゲットにされるか、国から強制徴用されて最前線で魔王軍と戦わされる『超絶ブラック労働』の道に引きずり込まれる。
(冗談じゃない! 誰がそんな少年漫画の主人公みたいな面倒くさい人生歩むか! 俺は絶対に働きたくないんだ!)
焦りが背筋を這い上がる。
現在、俺は二歳半。あと半年で、あの恐怖の三歳児スキル検査がやってくる。
その前に、自分が一体どんなスキルを押し付けられたのか、こっそり把握しておかなければならない。もしヤバいスキルなら、全力で隠蔽工作をしなければ。
「母さん、ちょっとお部屋戻る!」
「あら、もう泥んこ遊びはおしまい? 手を洗ってからよー」
俺はよちよち歩きで自室に戻ると、ドアを固く閉めた。
呼吸を整え、精神を集中させる。前世の知識と、この世界に来てからこっそり読んでいたルナミス新聞の知識を総動員する。
自身の内なる魂にアクセスし、ステータスを開示するイメージ。
「……ステータス、オープン」
小声で呟くと、目の前に半透明のウインドウが浮かび上がった。
どうやら、無事にステータス画面を開けたようだ。俺は恐る恐る、そこにある『所持スキル』の欄に視線を落とす。
【名前】 リオン・フォン・アルディス(高杉隼斗)
【年齢】 2歳
【種族】 人間
【階級】 巡査
【ユニークスキル】 『犬のお巡りさん』
「…………は?」
俺は思わず、間の抜けた声を出した。
犬の……お巡りさん?
なんだそれ。勇者でも賢者でもなく、犬のお巡りさん? 童謡か?
俺は震える指で、そのスキルの詳細情報をタップした。
【犬のお巡りさん(現在階級:巡査)】
・身体能力補正:警棒術、捕縛術、銃剣道、柔道、射撃スキルが一般警官レベルに向上。
・犬の五感:嗅覚・聴覚が犬レベルに向上。「嘘の匂い」が酸っぱい匂いとして感知可能。
・交番召喚:任意の場所に『交番』を設置可能。
・給与支給:階級に応じた給与が毎月支給される(※現在は巡査のため月給18万円。ただし交番維持費4万円が天引きされ、手取り14万円分が異世界通貨で支給)。
「て、手取り……14万……?」
俺は自分の目を疑った。
異世界転生してまで、天引きの概念があるのか。しかも手取り14万。前世の初任給より安いじゃないか。
しかし、その直後。俺の脳天に、電流のようなひらめきが走った。
(待てよ……これ、何もしなくても毎月自動で給料が振り込まれるってことか?)
俺は息を呑んだ。
魔王を倒さなくてもいい。ダンジョンに潜らなくてもいい。
ただ息をして、たまに落とし物でも拾っていれば、毎月確実に『手取り14万円』分の金貨や銀貨が、口座(あるいは懐)に入ってくるということだ。
「……ふっ、ふふふ……」
俺の口から、抑えきれない笑いが漏れ出した。
「不労所得……万歳!!」
誰もいない部屋の中で、俺は二歳児らしからぬ邪悪な笑顔を浮かべ、力強く両手でガッツポーズを決めた。
剣の才能も、魔法の才能もいらない。
この『手取り14万』と『交番』という拠点さえあれば、俺のニート計画は盤石なものとなる。
ありがとう、芋ジャージの駄女神ルチアナ様! あんたの健康サンダルキックは痛かったけど、このスキルは最高だ!
俺は、半年後のスキル検査など全く恐れなくなった。
こんなフザけた名前のスキル、父さんたちが見ても「ハズレスキルだ」と鼻で笑って放置してくれるに違いない。
よし、俺の未来は明るい。この手取り14万を握りしめ、実家の隅っこで誰にも迷惑をかけずに、ひっそりとスローライフを満喫してやる!
――しかし、この時の俺はまだ知らなかった。
ルナミス帝国の貴族社会における『ハズレスキル』への風当たりが、前世のブラック企業を凌駕するほど理不尽で、容赦のないものであるということを。
読んでいただきありがとうございます。
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