EP 5
【第15話】シェアハウスの追跡者。月兎の姫と安全靴の流星
「……よし、これで『クラン設立申請書』と『活動拠点(交番)の登記簿』の提出は完了だ。これでお前たちも、正式に【ライジング・サン・ガード】のメンバーってことになったぞ」
ルナミス帝国の冒険者ギルド・中央支部。
窓口で大量の書類仕事(やはり冒険者も事務作業からは逃れられない)を終えた俺は、大きく伸びをして息を吐いた。
「やったぁ! これで私も、正真正銘の所属アイドルですわ! プロデューサー、お祝いに今夜はルナキン(ファミレス)の苺パフェが食べたいですの!」
「おう! 俺様はハンバーグ特大セットがいいぜ、所長!」
俺の背後では、芋ジャージ姿の人魚姫と、ドカジャンを着た竜人の巨漢が、早くも経費での夕食をねだってキャッキャと騒いでいた。
完全に動物園の引率である。手取り十六万の平社員が持つべきプレッシャーではない。
「パフェは自腹だ自腹。給料日からまだ数日しか経ってないのに、お前らの食費(交番の無料飯以外)で俺の小遣いが……」
俺がため息をつきながら振り返ろうとした、その時だった。
「あっ……! もしかして、リーザちゃん!?」
ギルドの入り口付近から、鈴を転がすような、よく通る可愛らしい声が響いた。
声の主は、二十歳くらいの美しい女性だった。
ラフで動きやすい現代風のパーカーに、ショートパンツ。そして足元には、なぜかタローマンの作業服コーナーで売っている『鉄板入り特注安全靴』を履いている。
そして彼女の頭には、ピョコンと伸びた白くて長い『兎の耳』があった。
「ああっ!? キ、キャルルお姉様!」
リーザが、カエルのようにビクッと肩を跳ねさせた。
兎耳の女性——キャルルは、パァッと顔を輝かせてリーザに駆け寄り、その両手をガシッと握りしめた。
「良かったぁ、リーザちゃん! シェアハウスの家賃を滞納したまま急にいなくなるから、心配してたんだよ! ご飯ちゃんと食べてる? また公園で野良犬とケンカしてない!?」
「うぅっ……ご、ごめんなさい! アイドルの衣装代でお金を使い込んでしまって……。でも大丈夫ですの! 今は専属のプロデューサーに囲われて、毎日カツ丼を食べてますから!」
「えっ、プロデューサー? 囲われてる……!?」
キャルルが、ギョッとした顔で俺とイグニスを交互に見た。
誤解を招く言い方をするな、このポンコツアイドルは。
「初めまして。俺はリオン。しがない巡査長(警察官)で、こいつらのクランの所長をやってます。リーザの保護者みたいなもんです」
「あ……初めまして! 私、キャルル・ムーンハートです。リーザちゃんとは、こっちのシェアハウスで一緒に暮らしてたルームメイトで……」
キャルルはホッとしたように胸を撫で下ろした。
俺の『犬の五感』が、彼女から放たれる匂いを分析する。
とても優しく、甘いお菓子(ポケットに飴玉でも入っているのだろう)の匂い。嘘や悪意は全く感じられない。だが、その底に、どこか高貴で隠しきれない『強者』のオーラが漂っていた。
「リオンさん、リーザちゃんを拾ってくれてありがとうございます。私、ルナミス帝国でのフリーター生活が楽しくて。朝はルナキンで納豆定食食べて、サウナに行って、夜はパフェを食べるのが生きがいなんですけど、リーザちゃんがいなくなって少し寂しかったんです」
「ははっ、いいスローライフですね。俺も根は引きこもりなんで、気が合いそうだ」
俺が愛想笑いを浮かべた、まさにその瞬間だった。
——ピリッ。
俺の【犬の聴覚】が、ギルドの外から近づいてくる『複数の足音』を捉えた。
ただの足音ではない。一切の無駄を省き、足音を殺して獲物を包囲する、完全な戦闘集団の足回り。
「……イグニス、リーザ。構えろ」
「えっ? 所長?」
俺の低い声に、イグニスがドカジャンの下で筋肉を隆起させる。
次の瞬間、ギルドの木製扉が蹴り破られるように開き、黒装束に身を包んだ屈強な『獣人族(狼耳や豹耳の暗殺部隊)』が五人、音もなく店内に雪崩れ込んできた。
「キャルル・ムーンハート様。……いや、我がレオンハート獣人王国の第三姫君殿下」
リーダー格の黒豹の獣人が、低くしゃがれた声で告げた。
「遊びの時間は終わりです。アーサー王の命により、貴女を連れ戻しに参りました。近衛騎士隊長候補としての責務を果たしていただきます」
「……ッ!」
キャルルの顔から、スッと血の気が引いた。
レオンハート獣人王国の第三姫。それが、この気さくなウサギのお姉さんの正体だったのか。
「い、嫌よ……! 私は帰らない! 王族なんて、籠の鳥じゃない! 私は自由が好きなの! ルナミス帝国のサウナも、ルナキンのドリンクバーも大好きなの!」
「我儘はおやめください。貴女の月兎族としての力は、王国にとって必要不可欠なのです。……実力行使も辞さないよう申し付かっております」
黒豹の獣人が、チャキッと鋭い短剣を抜いた。他の四人も一斉に闘気を立ち昇らせ、逃げ道を塞ぐ。
ギルド内にいた他の冒険者たちは、彼らから放たれる異常な殺気に恐れをなし、蜘蛛の子を散らすように逃げていくか、壁際に隠れてしまった。
「う、うぅっ……」
キャルルが、絶望に震えながら一歩後ずさる。
彼女は強い。俺の目から見ても、そのしなやかな筋肉には恐ろしいバネが秘められていることがわかる。だが、相手は国の精鋭。しかも数で負けている。ここで捕まれば、彼女の愛する平穏な日常は、二度と戻ってこない。
(……面倒事だ。他国の王族のいざこざなんて、ただの巡査長が首を突っ込む問題じゃない)
事勿れ主義の俺の脳内コンピュータ(AI賢者君)が、関わるなとアラートを鳴らしている。
だが。
前世で、誰も助けてくれなかった時の絶望を、俺は知っている。
理不尽に自由を奪われ、ブラックな環境(籠の鳥)に連れ戻されようとしている少女を前にして、見過ごすことなど絶対にできない。
「……おい、そこの黒猫ども」
俺は、キャルルの前にスッと立ち塞がった。
「な、リオンさん……!?」
「他国のお姫様だろうがなんだろうが知ったこっちゃねえがな。こいつは今、俺の管轄(ルナミス帝国)で、真っ当に家賃を払ってサウナを楽しんでる『善良な一般市民』だ」
俺は胸ポケットから警察手帳を引き抜き、バシッと開いて彼らに突きつけた。
「市民の平和な日常を脅かす奴は、何人たりとも容赦しねぇ。……公務執行妨害、ならびに略取誘拐未遂。これより、実力で排除する!」
「たかが人間の小僧が……! 邪魔立てするなら殺せ!」
リーダーの合図と共に、三人の暗殺者が俺に向かって一斉に飛びかかってきた。
獣人族の敏捷性は桁外れだ。だが、正面からやり合う気など毛頭ない。
「リーザ! 客席の財布を空にしてやれ!」
「お任せくださいませ、プロデューサー! 私のライブで、全てを奪い尽くしてあげますわ!」
リーザが前に飛び出し、あの絶望的にダサい『お賽銭箱型掃除機』を構えた。
スイッチ・オン。
「ブイィィィィィンッ!!」
掃除機から猛烈な吸引力が発生する。それは物理的な風ではなく、相手の『ステータス』を根こそぎ吸い取るデバフの渦だ。
暗殺者たちの身体を覆っていた強力な闘気のオーラが、スポポンッ! と音を立てて掃除機の中に吸い込まれていく。
「なっ……!? 闘気が、練れない……!?」
「力が、抜けていく……!」
「今だ、イグニス!」
「おうさァッ!!」
デバフによって一般人レベルにまで弱体化した暗殺者たちの前に、ドカジャンを着た竜人の巨漢が立ちはだかった。
イグニスが丸太のような腕を振り回し、迫り来る三人をまとめてラリアットで弾き飛ばす。
「グハァッ!?」
「圧倒的じゃないか、うちのチームワークは! 次は俺の番だ!」
俺は四次元魔法ポーチから『催涙スプレー』を二本取り出し、両手に構えて残りの二人の顔面目掛けて全量噴射した。
「ギャアアアアッ!? 目が、鼻がァァァッ!」
「卑怯な真似を……ッ!」
目を押さえて悶絶する暗殺者たち。
俺は背中から『魔導制圧散弾銃(M870・ネギオカスタム)』を引き抜き、ガシャッ! とポンプを引いた。非致死性のゴム弾(痛みを倍増させる魔力コーティング済み)を装填する。
「警察の基本は盤外戦術だ。真正面から戦ってくれると思うなよ」
ズドォォォンッ!!
至近距離からのゴム散弾が炸裂し、暗殺者たちはギルドの壁まで吹き飛ばされ、完全に沈黙した。
「……ば、馬鹿な。我が国の精鋭が、たった数秒で……」
最後に残ったリーダー格の黒豹が、信じられないものを見る目で俺たちを睨みつけた。
彼はギリッと牙を剥き、残された全闘気を振り絞って、俺の首元へ短剣を突き出してきた。
速い。デバフを受けてなお、この一撃だけは別格だ。
——だが、俺が回避行動を取るより早く。
「……私の平穏を、そしてリオンさんを傷つけようとするなら……許さない」
ドシュゥゥゥンッ!!
空気が爆ぜる音がした。
俺の真横から、凄まじい速度で飛び出した影——キャルルだった。
彼女は低い姿勢から一瞬でトップスピードに乗り、タローマン製の『鉄板入り特注安全靴』を履いた足を、大きく振りかぶった。
「月影流……『流星脚』ッ!!」
空中で一回転し、闘気を極限まで圧縮した飛び蹴りが、黒豹のリーダーの胸ぐらにクリーンヒットする。
100mを5秒台で走るスピードと、20mのジャンプ力から生み出される、約33,750ジュールの恐るべき運動エネルギー。
さらに、安全靴の硬い鉄板が、相手の防御を物理的に粉砕する。
「ガァァァァァッ!?」
リーダーの身体は、ギルドの分厚いレンガの壁をぶち抜き、外の通りまで一直線に吹き飛ばされていった。
ズガァァァン! という地響きと共に、土煙が舞う。
「……ふぅ。靴の安全基準、ヨシッ」
キャルルはスタッと美しく着地すると、安全靴のつま先をトントンと地面に打ち鳴らし、可愛らしくウインクをした。
「……すげえ。なんだあの流星脚……」
「あれがキャルルお姉様の必殺技ですわ。怒らせると一番怖いんですの」
イグニスとリーザが、ドン引きしながら拍手している。
俺はM870を背中にしまい、ホッと息を吐いた。
「怪我はねぇか、キャルル。これでしばらくは、追っ手も来ないだろ」
俺が声をかけると、キャルルはハッとして振り返り、トテトテと俺の目の前まで歩み寄ってきた。
そして、ウサギの耳をペタンと倒し、上目遣いで俺の顔をじっと見つめてきた。
月兎族の特性である【超聴覚】が、俺の心音を正確に読み取っているのがわかる。
「……リオンさん。どうして、私を助けてくれたんですか? 私は他国のお姫様で、関われば面倒なことになるって、わかっていたはずなのに」
「言っただろ。俺は警察官だ。管轄内の市民が理不尽な目に遭ってたら、助けるのが仕事だからな」
嘘偽りのない、俺の本心。
俺の心臓の音に一切の『嘘(不純物)』がないことを確信したキャルルは、ふわりと、聖母のような、いや——どこか熱に浮かされたような、妖艶な微笑みを浮かべた。
「……私、今まで『姫』としてしか見られたことがなかった。でも、リオンさんは私を『一人の市民』として、何の見返りも求めずに守ってくれた」
キャルルは俺の両手をギュッと握りしめ、顔を近づけてきた。
ふわりと、甘いお菓子の匂いが鼻をくすぐる。
「リオンさん。私、決めました」
「えっ? な、何を……?」
「私を、リオンさんのクランに入れてください。私のこの足も、命も、そしてシェアハウスの家賃も……全部、リオンさんに捧げます♡」
彼女の瞳の奥に、ハートマークにも似た強烈な『執着』の光が灯ったのを見て、俺の背筋にゾクッと悪寒が走った。
月兎族は、一度心を許した相手にはどこまでも一途で、そして重い。
「いや、命とか家賃とかは重いから! 普通にポイントマン(斥候)として雇うから!」
「ふふっ、照れ隠しの心音も素敵です……♡ 逃がしませんからね、プロデューサーさん?」
「俺はプロデューサーじゃねえ、所長だ!」
こうして、俺のホワイト企業【ライジング・サン・ガード】に、三番目の仲間が加わった。
特攻隊長の竜人、強欲なデバフ人魚姫、そしてヤンデレ気質の武闘派ウサギ。
社会からドロップアウトした異端のエースたちを束ねる、手取り十六万のポンコツ巡査長。
俺たちの交番ライフは、さらなるカオスと事件の渦へと巻き込まれていくのだった。
読んでいただきありがとうございます。
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