第二章 ライジング・サン・ガード結成編
ソロ活警官の限界と、公園で鳩と餌を取り合う哀しき竜人
「……あの、すいません。この書類の山は一体何なんでしょうか?」
「はい! Eランク冒険者の皆様に義務付けられている『クエスト報告書』『薬草採取ルートの環境アセスメント』『魔石売却に伴う納税申告書』、そして『ギルド共済年金の加入申込書』になります!」
ルナミス帝国の冒険者ギルド・中央支部。
笑顔でドサリとカウンターに書類の束を積んだ受付嬢に対し、俺——手取り十六万の巡査長リオン・フォン・アルディスは、顔面を蒼白にさせていた。
「いや、俺が今日やったのって、町外れの森で『陽薬草』を十本採取してきただけですよね? なんで採取に一時間しかかかってないのに、事後報告の事務作業に三時間もかけなきゃいけないんですか!」
「ルナミス帝国は法治国家ですから! 初代皇帝の佐藤太郎様が定めた『書類なき労働は違法である』という絶対のルールに基づき、厳格な事務処理をお願いしております。あ、提出期限は本日中ですので!」
絶望だった。
前世のブラック企業で、外回り営業の後に深夜まで日報と経費精算に追われていた、あの忌まわしき『サービス残業』の記憶がフラッシュバックする。
冒険者になれば、自由気ままにクエストをこなし、終わったら酒場で乾杯……なんていうのは幻想だった。ソロの冒険者とは、つまり『個人事業主』である。営業、実務、そして経理や総務の事務仕事まで、全て一人でこなさなければならないのだ。
(くそっ……! ヴァルキュリア教官の千本投げからは解放されたと思ったのに、今度はデスクワークの千本ノックかよ!)
交番のデスク室でAI賢者君に頼りきりだったツケが、ここで回ってきた。
俺はギルドの隅にある記入スペースに座り込み、涙目で羽ペンを走らせた。
——二時間後。
なんとか書類を提出し終えた俺は、フラフラとした足取りでギルドを出た。
交番で支給されるカツ丼を食べる気力すら湧かず、俺は四次元魔法ポーチから『タローソン』ブランドの缶コーヒーを取り出し、大通りから少し外れた公園のベンチにへたり込んだ。
「はぁ……ソロ活は限界だ。俺の身を守る盾(前衛)と、面倒な雑務を分担できるパーティーメンバー(社員)を雇わないと、早晩過労死してしまう」
ブラック企業の二の舞だけは絶対に避ける。それが今世の俺の絶対目標だ。
プシュッ、と缶コーヒーを開けて喉を潤していると、公園の広場の方から何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「コラァッ! 待てお前ら、それは俺様が見つけたパンの耳だぞ! 寄こせ、この羽虫どもッ!」
「クルックー! クルックー!」
視線を向けると、そこには異様な光景が広がっていた。
身長は二メートルを優に超え、赤銅色の鱗と太い尻尾、背中にドラゴンのような翼を生やした屈強な『竜人族』の男。
ルナミス帝国でも滅多にお目にかかれない、高位の種族だ。
しかし、その男の服装は、どう見ても工事現場で着るような土に汚れたドカジャンと、頭には『安全第一』と書かれたヘルメットという、絶望的にファンタジー感のない出立ちだった。
そして何より悲惨なのは、その屈強な竜人が、公園に群がる数十羽の鳩を相手に、本気でパンの耳(廃棄品)の奪い合いをしていることだ。
「グルルル……ッ! 俺様を怒らせたな、大火炎で丸焼きにしてやる……って、ダメだダメだ。市街地でブレス吐いたら、また現場をクビになっちまう……!」
男は口の端からチロチロと炎を漏らしながらも、必死に理性を保ち、鳩の群れに突っ込んでパンの耳を強奪していた。
なんだあいつは。哀愁の度合いが振り切れている。
俺が呆気に取られて観察していると、見事(?)に鳩からパンの耳を勝ち取った竜人の男は、ベンチにどっかりと座り込み、大切そうにそのパンの耳を齧り始めた。
そして、おもむろに懐から『魔導通信石』を取り出すと、何やらブツブツと呟きながら操作を始めたのだ。
「えーと、実家の親父とお袋宛て、と。……『親父、お袋よ。俺様は今、ルナミスの街で人間たちから英雄扱いされているぜ。今日は俺様の活躍を讃えて、街のど真ん中に城が建ったんだ。今度は純金の像が立つらしいぜ』……よし、これに前に撮った城の合成写真を添付して、送信ッ!」
ピリッ。
その瞬間、俺のユニークスキル【犬のお巡りさん】の恩恵である『犬の五感』が、強烈に反応した。
(うわっ……すげえ酸っぱい匂い。嘘の匂い(ストレス臭)がプンプンしやがる)
警察官のスキルは、犯罪者の嘘を見抜くためにある。
だが、この竜人から漂ってくるのは、悪党がつくような狡猾な嘘の匂いではない。
あまりにも見栄っ張りで、あまりにも惨めで、現実と理想のギャップに押しつぶされそうになっている、不器用な男の『悲鳴のような嘘』だった。
グゥゥゥゥゥルルルル……ッ!
そして、男の腹から、鳩の鳴き声をかき消すほどの巨大な腹の虫の音が鳴り響いた。
男はパンの耳を大事そうに咀嚼しながら、空を見上げてため息を吐く。
「……俺様は、こんな田舎臭い所で燻る器じゃねぇのに。なんでいつも、こんな目に……」
その横顔には、強靭な竜人族らしからぬ、深い疲労と悲哀が刻まれていた。
事勿れ主義の俺なら、あんな面倒くさそうな巨漢には絶対に関わらない。目を逸らして、交番に帰って昼寝をするのが定石だ。
だが。
(……なんか、昔の俺を見てるみたいで、放っておけねぇんだよな)
前世の俺もそうだった。
田舎の両親には「東京の大手企業でバリバリやってるよ。毎日楽しいよ」と嘘の電話をかけながら、実際は終電逃して漫画喫茶でカップ麺をすする日々だった。
見栄を張らなきゃ、心が壊れてしまう時がある。俺にはそれが痛いほどよくわかった。
俺はベンチから立ち上がり、魔法ポーチに手を入れてゴソゴソと漁った。
交番の給湯室から持ち出しておいた、保温容器入りの『カツ丼(特盛り)』を取り出す。
「おい、そこのドカジャン」
俺が声をかけると、竜人の男はビクッと肩を震わせ、慌てて魔導通信石を隠した。
そして、獲物を奪われると思ったのか、パンの耳を背中に隠し、野良犬のように鋭い眼光で俺を睨みつけてきた。
「あァ!? なんだお前、ヒョロっちい人間が! 俺様は竜人族の次期族長、イグニス・ドラグーン様だぞ! 喧嘩を売るなら、黒コゲにして——」
ぐきゅるるるるるるる……ッ!!
威嚇の言葉は、彼自身の腹の音によって見事に粉砕された。
イグニスは顔を真っ赤にして、バツが悪そうに視線を逸らした。
「……腹、減ってんだろ。それ、食うか?」
俺は彼に保温容器を差し出した。
容器の蓋を開けると、出汁の効いた甘じょっぱい匂いと、分厚い豚肉をふんわりと卵でとじた黄金色の『カツ丼』の香りが、湯気と共に立ち上った。
「な、なんだこの狂暴なまでに美味そうな匂いは……!? 幻覚か!?」
「幻覚じゃない。さっき近所の弁当屋で買ったんだが、手違いで二個買っちまってな。俺一人じゃ食いきれない。捨てるのも勿体ないから、お前が食ってくれないか?」
もちろん嘘だ。これは俺の交番からタダで無限に湧いてくる福利厚生飯である。
だが、プライドの高い見栄っ張りには、こういう『言い訳』を用意してやらないと素直に受け取らない。前世の営業で培った、相手のメンツを潰さない処世術だ。
「ふ、ふんッ! 人間の施しなんて受ける俺様じゃねぇが……捨てちまうって言うなら、竜人族の慈悲として、このイグニス様が処理してやってもいいぜ!」
イグニスは震える手でカツ丼の容器を受け取ると、備え付けの割り箸をバキッと割り、猛然とカツ丼をかき込み始めた。
「ハフッ、ホロッ、ウマッ! なんだこれ、肉が柔らかい! 卵が甘い! 米麦草の炊き加減が絶妙だ! ガツガツガツッ!」
それはもう、見ていて清々しいほどの食べっぷりだった。
頬をパンパンに膨らませ、喉を鳴らしてカツ丼を飲み込んでいく。その目からは、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「うっ……ううっ……。温けぇ……っ」
涙で米を濡らしながら、イグニスは嗚咽を漏らした。
「なんで俺様、こんな公園で鳩と喧嘩してんだよぉ……。冒険者になって英雄になるはずだったのに、火力がデカすぎて素材が焦げるからって、どこのパーティーも三日でクビにしやがるし……。ギルドの登録には身分証とか意味わかんねぇ事言われるし……」
堰を切ったように、愚痴が溢れ出す。
なるほど、この圧倒的なフィジカルと火力。扱いきれずに周囲が持て余した結果の、社会からのドロップアウトか。
典型的な「能力はあるのに、環境とマッチしていない」タイプだ。
(こいつ……馬鹿だけど、根は純粋で真っ直ぐだな。嘘の匂いも、今は全くしない)
俺は缶コーヒーを啜りながら、イグニスの様子をじっと観察した。
体力と破壊力は申し分ない。しかも竜人族なら空も飛べる。
俺の『悪知恵』と『後方支援(魔法銃)』があれば、こいつを完璧なブリーチャー(突入役)として運用できるかもしれない。
「なぁ、イグニス」
俺は空になったカツ丼の容器を抱えて泣いている巨漢に、スッと一枚の紙切れを差し出した。
「お前、俺のパーティー……いや、『クラン』に入らないか?」
「えっ……?」
「俺の名前はリオン。駆け出しのEランク冒険者で、普段は『お巡りさん』をやってる。うちの職場は、サービス残業なし、三食昼寝付き、そして能力に応じた適材適所の仕事しかさせない、超ホワイトな環境を保証するぜ」
イグニスは鼻水をすすりながら、信じられないものを見るような目で俺を見上げた。
「俺様を、クビにしないのか……? 俺様、力加減ができなくて、すぐ周りを燃やしちまうんだぞ?」
「構わない。むしろ、その圧倒的な火力が欲しい。……燃やしちゃいけない壁があるなら、俺が燃やしていい壁だけを用意してやる」
俺がニヤリと笑うと、イグニスの瞳に、かつて失いかけていた強い光が灯った。
「リオン、さん……っ!」
彼が俺の手を握ろうとした、その時だった。
「おーおーおー。こんな所で油売ってやがったのか、このトカゲ野郎が」
下品で野太い声が、公園の静寂を切り裂いた。
振り返ると、そこには金棒を持ったガラが悪いオークやゴブリンの混成集団を率いる、小太りの人間——イグニスが着ているドカジャンと同じ紋章をつけた『悪徳親方』の姿があった。
「お、親方……!」
「おうイグニス。お前、昨日の現場で資材を少し焦がしやがったな? だから今日の分の日当は無しだ。文句ねぇよな?」
理不尽極まりない因縁。
イグニスは悔しそうに歯を食いしばり、拳を震わせた。だが、逆らえばこの街での唯一の収入源すら絶たれてしまう。社会の底辺に落ちた彼は、ただ俯くことしかできなかった。
——ピキッ。
俺の中で、何かがキレる音がした。
労働者の足元を見て、正当な対価を支払わずに搾取するクズ。
前世の俺を殺した、ブラック企業そのものの匂い。
「……おい、そこのタヌキ親父」
俺はベンチからゆっくりと立ち上がり、背中のM870(魔導ショットガン)に手をかけた。
瞳から一切の感情を消し、冷徹な『警察官(法執行者)』のスイッチを入れる。
「労働基準法違反、ならびに恐喝罪だ。……未払い賃金、利子をつけてきっちり払ってもらうぞ」
俺の怒りの矛先が、明確な『悪』へと定まった瞬間だった。
読んでいただきありがとうございます。
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