EP 10
第10話 理不尽を撃ち抜くために。手取り16万の巡査長、冒険者ギルドの門を叩く
嘆きの荒野を貫く街道。
そこは今、絶望の坩堝と化していた。
ルナミス帝国の紋章が刻まれた豪奢な馬車が、数十頭の巨大な魔獣『ブラッドウルフ』の群れに完全に包囲されていたのだ。
「ひぃぃっ! くるな、あっちへ行けぇっ!」
馬車の御者台で腰を抜かしているのは、立派な青年に成長したはずの長男、アルベルト義兄さんだった。
三歳の頃【炎魔法・適性A】を誇った彼は、必死に杖を振るって火球を放つが、実戦経験の乏しさと極限のパニックから、その魔法は明後日の方向へと飛んでいくばかりだった。
馬車の中からは、第一夫人と第二夫人の悲鳴が響いている。護衛の騎士たちはすでに数名が血を流して倒れており、防衛線が突破されるのは時間の問題だった。
(十三年前、俺と母さんをゴミのように捨てた連中だ。自業自得……放っておけばいい)
荒野の岩陰からその光景を見下ろしながら、俺は一瞬だけそう思った。
だが、前世でクレーマーに土下座し続け、過労死した俺の魂が、そしてこの十三年間、ヴァルキュリアから徹底的に叩き込まれた『警察官としての矜持』が、俺の背中を強烈に蹴り飛ばした。
「……あー、クソッ! サービス残業だ!」
俺はヘルメットのシールドを下ろし、125ccMTバイクのアクセルを全開に捻った。
ブルルルルルンッ!!
岩山を駆け下りる単気筒エンジンのけたたましい咆哮が、ブラッドウルフたちの注意を引く。
俺は走りながら、防刃服のタクティカルベルトから銀色の円筒をもぎ取り、ピンを抜いて群れの中心へと放り投げた。
地球の近代兵器、『閃光弾』だ。
「目ぇ、瞑ってろ!」
カァァァァァンッ!!
鼓膜を破るような爆音と、太陽が落ちてきたかのような強烈な閃光が炸裂する。
暗闇に慣れていたブラッドウルフたちは、その暴力的な光と音に完全に視覚と聴覚を奪われ、「ギャンッ!?」と悲鳴を上げてその場に悶絶した。
「公務執行妨害、ならびに凶器準備集合罪! 警告はした、これより実力行使に移る!」
俺はバイクを急ブレーキでスライドさせながら停車させ、背中から『魔導制圧散弾銃』を引き抜いた。
ガシャッ! とポンプを引き、薬室に俺の魔力と闘気を装填する。
銃身に刻まれたルーン文字が淡い緑色に発光し、ドワーフと樹人の技術が融合した魔導回路が起動した。
「ぶっ飛べ!」
ズドォォォォォォォンッ!!
引き金を引いた瞬間、M870の銃口から嵐のような『魔導バックショット(散弾)』が放射状に放たれた。
ただの鉛玉ではない。魔法障壁すら貫通する、純粋な魔力と物理の破壊エネルギーだ。
先頭にいた数頭のブラッドウルフが、悲鳴を上げる間もなく光の散弾に撃ち抜かれ、文字通り木っ端微塵に吹き飛んだ。
「な、なんだ……!? お前は……!」
アルベルト義兄さんが、腰を抜かしたまま目を丸くして俺を見上げている。
次弾装填。ガシャッ!
その圧倒的な威力と、見たこともない鉄の杖のポンプ音に、残ったブラッドウルフたちは完全に戦意を喪失し、尻尾を巻いて荒野の奥へと蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「……周囲の安全確認よし。制圧完了」
俺はM870を背中にしまい、ヘルメットを脱いだ。
乱れた前髪をかき上げると、馬車の中から恐る恐る顔を出した第一夫人と、アルベルト義兄さんが息を呑んだ。
「お、お前は……! まさか、三男のリオン……!? なぜ、犬っころのスキルしか持たないお前が、こんな力を……!」
「あぁ?」
俺は冷たい声で応じ、警察手帳を取り出して彼らの顔の前に突きつけた。
「俺はアルディス伯爵家のリオンじゃない。この嘆きの荒野の治安を管轄している、手取り十六万の巡査長だ」
十三年前、俺たちを追放した時の傲慢さはどこへやら。今の彼らの顔にあるのは、死の恐怖から救われた安堵と、かつて見下していた存在に対する圧倒的な畏怖だった。
ざまぁみろ、と笑ってやることもできた。だが、今の俺にはそんな感情すら湧かなかった。
彼らはもう、俺の人生にとって『どうでもいい一般市民』でしかないのだ。
「怪我人がいるなら、ルチアナ教会の治癒院へ急ぐことですね。それと、ここは魔獣の横断歩道です。これ以上の駐停車は『交通違反』で切符を切りますよ。さっさと行きなさい」
俺はそれだけ言い捨てると、再びヘルメットを被り、バイクのエンジンをかけた。
呆然とする義兄たちを背に、俺は一度も振り返ることなく、俺の『家』である交番へとバイクを走らせた。
* * *
「……それで、わざわざ助けてやったのですか。甘いですね」
交番のデスク室。
PX(売店機能)で買ったカップラーメン(シーフード味)を啜りながら、事の顛末を報告すると、ヴァルキュリアは呆れたようにため息を吐いた。
「別に助けたわけじゃありませんよ。管轄内で事故が起きると、後処理(始末書)が面倒ですからね。……ただ」
俺は割り箸を置き、カップラーメンのスープを見つめながら、ぽつりとこぼした。
「あいつらの恐怖に歪んだ顔を見た時、思い出したんです。十三年前、親父に追放を宣告されて、荒野に放り出された時の……母さんの、泣き顔を」
この交番のおかげで、俺たちは安全で快適な生活を手に入れた。
だが、この世界のどこかには、理不尽な権力や暴力によって、あの時の俺たちのように泣いている弱者が必ずいる。
前世の俺は、ブラック企業という理不尽に対して、ただ頭を下げて耐えることしかできなかった。そして、誰にも助けられることなく過労死した。
「俺は……事勿れ主義で、一生ここでニートをするつもりでした。でも、ヴァルキュリアさんに鍛えられて、ネギオさんに武器をもらって……気づいたんです。俺にはもう、理不尽を撃ち抜く力があるってことに」
俺は立ち上がり、仮眠室から出てきた母さんと、腕を組んでこちらを見つめるヴァルキュリアに向き直った。
そして、真っ直ぐに二人の目を見て、はっきりと宣言した。
「ヴァルキュリアさん、母さん。俺、冒険者になるよ」
その言葉に、母さんは少しだけ驚いたように目を見開き、ヴァルキュリアは静かに微笑んだ。
「警察官(お巡りさん)のスキルは強力だけど、今の俺には『管轄』がない。ただの自警団やフリーランスじゃ、法律や身分の壁に阻まれて助けられない人がいる。でも、ルナミス帝国の冒険者ギルドに登録すれば、身分に関係なく、国境を越えて活動できる身分証が手に入る」
俺は拳を強く握りしめた。
「俺みたいな理不尽な目にあった人を、守りたいから。……いや、偉そうなこと言いましたけど、冒険者になっても、危ない依頼は極力避けますし、手取り十六万の交番ライフは絶対に手放しませんけどね!」
照れ隠しで最後におどけてみせた俺を見て、母さんはふわりと優しく微笑み、そしてポロポロと大粒の涙をこぼした。
「リオン……。大きくなったわね」
母さんは俺に歩み寄り、俺の背中を、あのタローマン仕込みの力強い腕でギュッと抱きしめた。
「立派になって……。あなたはもう、あの時のか弱い赤ん坊じゃない。自分の足で立って、誰かを助けられる、強い男の子になったのね。母さん、嬉しいわ」
「母さん……ありがとう」
母さんの温もりに、俺の目頭も熱くなる。
そして、十三年間、鬼のようなスパルタ特訓で俺を鍛え上げてくれた天使族の教官も、静かに頷き、その美しい黄金の瞳を細めた。
「立派になりましたね、リオン。……あなたなら、必ずやこの世界に蔓延る悪を裁き、正義の法を執行できるはずです。私の目に狂いはありませんでした」
「ありがとうございます、教官。……でも、腹筋一万回はもう二度とやりませんからね」
俺の軽口に、ヴァルキュリアは「ふふっ」と小さく笑った。
* * *
数日後。
佐藤太郎が築き上げた近代国家、ルナミス帝国のとある巨大都市。
レンガ造りの建物の前に、一台の125ccバイクが停まった。
ヘルメットを脱ぎ、ミラーで髪型を整える。
黒の防刃服に、防弾チョッキ。腰にはニューナンブと手錠、スタンガン。そして背中には、ドワーフと樹人の技術が結集した『魔導制圧散弾銃(M870・ネギオカスタム)』。
俺は息を深く吸い込み、目の前にそびえる重厚な木製の両開き扉——『冒険者ギルド』の扉を、力強く押し開けた。
ギィィィッ……!
扉が開く音と共に、酒と汗と、鉄の匂いが入り混じった熱気が顔を打つ。
ギルド内にいた数十人の荒くれ者(冒険者)たちが、見慣れない漆黒の装備に身を包んだ俺を見て、一斉に視線を向けてきた。
威圧感のある視線の雨。前世の俺なら、一秒で回れ右をして逃げ出していただろう。
だが、今の俺は違う。
十三年の地獄を耐え抜き、理不尽を撃ち抜く覚悟を決めた、手取り十六万の法執行者だ。
俺は堂々とした足取りで受付のカウンターへと歩み寄り、受付嬢に向かって、魔導通信石と身分証を提示した。
「新規登録を頼む。ランクは一番下の『E』からで構わない」
受付嬢が、俺の奇妙な装備をジロジロと見ながら尋ねてきた。
「あ、あの……お名前と、ご職業をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
俺はニヤリと笑い、前世の営業スマイルと、今世の覚悟を乗せて答えた。
「名前はリオン。職業は……ただの通りすがりの『お巡りさん』さ」
——こうして、理不尽なブラック企業で過労死した青年は、異世界で最強の警察官となり、新たな人生のパトロールへと出発したのである。
(第一章・完)
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