6話目 『party time』
《第三区画》
「あれ、なんか増えてる?」
「本当ですね」
梅雨も起床後に部屋を見て回っていたのだろう。備品や設備が並んでいる光景に、青い瞳を僅かに見開いていた。
それならば一目見ただけでは不足だろうと雪月は壁に触れたり、机の配置を確認したりと慎重に観察を始める。しかし、梅雨は退屈な作業に嫌気が差したのか
「雪月!俺ちょっと見てくる!」
「えっ?!ちょっ――早っ!」
痺れを切らした梅雨が踵を返した。そうと決めた瞬間には廊下へ飛び出しており、その速度は到底人間の域ではない。
慌てて後を追って廊下へ出ると、梅雨は扉という扉に手を翳しては開き、中を一瞥しただけで次へ移っていった。
「自由な人だな……」
呆れ半分感心半分と言った所か。雪月は既に開放された部屋を一つずつ調べ始める。
すると、まだ十部屋も確認していない頃だった。
「雪月!」
再び尋常ではない速度と声と共に梅雨が戻ってくる。勢いそのままに扉の縁へ手を掛け、屈託のない笑みを浮かべていた。
「見つけた!こっち来て!」
「えっ?!」
予想外の報告に驚嘆の声が漏れる。雪月が言葉を返すより早く腕を掴まれ、強引に走らされた。とはいえ先程の速度ではなく、梅雨なりに合わせてくれているのが伝わってくる。それでも十分に速かったが。
「見つけたって……その、仕掛けを?」
「うん!俺すごい?」
褒めてほしい子供のような笑顔、その無邪気さに思わず返答に困った。走りながら左右へ視線を向けてみる。既に開け放たれた扉、それぞれ少しずつ異なる部屋、その数は異常だ。どれほどの速度で見ていけばこの数を見ていけるのだろうか。
百近い部屋が流れ去り、雪月の呼吸が乱れ始めた頃に梅雨が足を止めた。
「ほら!これレバーじゃない?」
「本当だ……」
部屋の中央。そこには赤い先端を持つ巨大なレバーがあった。直径一メートルほど、入口から見ただけで存在が分かるほどに異様な光景だ。細部を調べる必要すらないほど露骨だった。
「罠とかは無さそうですね」
「引いてもいい?」
「――はい、引きましょう」
覚悟を決めたような問い掛けに雪月は静かに頷いた。梅雨もまた頷き返す。
そして赤い持ち手を両手で掴み、軽々と引き下ろした。
ガチャンッと重い機械音が響く。その後に訪れたのは静寂だ。何も起きず、何も変わらない。
だが、雪月の眉が僅かに動いた。
「この音は……」
「雪月?」
違和感、微かな異音、あるいは振動、または説明できない何か。黙り込んだ雪月を心配そうに覗き込む梅雨が口を開く、その瞬間だった。
――轟音だ。壁が砕け散った。爆薬でも傷付かないはずの壁、槍でも、銃でもきっと破壊できないはずの壁。
それが、一撃で吹き飛ばされた。
「――ッ!?」
白い破片が宙を舞い、粉塵が視界を覆う。
梅雨は反射的に雪月を背後へ庇う。先程までの柔和で人懐こい笑顔はどこにもなく、青い隻眼が破られた壁へと鋭く細められた。
獣が牙を剥くような殺気、全身から警戒心が滲み出ているのが背後から見ても分かった。
崩壊した壁の向こう、立ち込める粉塵の中に現れた人影を梅雨は鋭い視線で睨み据えていた。
――「ああ…ッ新鮮の空気、so deliciousッ!」
舞い上がっていた粉塵が舞台を開くグランドカーテンのように床へ降り積もり、その奥に隠されていた姿を露わにしていく。最初に目に入るのは、血を思わせる赫い双眸だった。
男は両腕を大きく広げ、まるで天を抱こうとするかのように空を仰いでいる。理屈ではない本能が煩い程に警鐘を鳴らしている。
細身でありながら無駄なく鍛え上げられた身体。彫りの深い西の国特有の顔つきに、白い上衣に赤い帯を締めた装いは異国めいており、その存在感をより際立たせている。金色の髪は細く一つに束ねられ、背を流れるほどに長く伸びていた。
流暢な日本語に混ざるネイティブの英語。言葉自体は理解できるはずなのに、強く拒絶感を引き出した。
そこに立っているだけで空気を支配するような存在感が、得体の知れない恐怖を掻き立てていた。
「男の子二人、so cuteッ!我が愛しの娘へのpresentは赤いドレスにいたそう!ああ…ッ、so perfectッ!」
「煩い奴だな……雪月、後ろにいてね」
余裕がないのか、梅雨の声は普段より低い。それでも雪月を気遣う言葉を忘れず、視線だけは一度も相手から逸らさなかった。
圧倒的だ。溢れ出る威圧感は、見る者全てを跪かせようとするかのようだ。
男の手には、紐で繋がれた金色の球体が握られている。大きさは人の頭ほどになるだろうか、壁を破壊したのもおそらくあれだろう。
まともに直撃すればひとたまりもない。そんなことは考えるまでも無く分かる。
「俺の合図で逃げてね」
「つ、梅雨は大丈夫なの?」
「見たでしょ? 俺、すっごく強いから」
声を潜め、相手に聞かれないよう言葉を交わす。信じていいのだろうか。教室で見たあの光景は、確かに人間離れしていた。
けれど、目の前にいる存在は人間ではない。本物の化け物を相手にしても、その力は通用するのだろうか。
「暫しstretch。あぁ、久々の心躍るpartyへの参加状…ワタクシ感激極まれりッ! so Happyッ!」
「今! 行って――?!」
準備運動でもするかのように足を伸ばし、腕を回す。狂気じみた笑みは崩れない。
その隙にと、梅雨が合図を出した。出した、はずだった。たぶん、きっと。
その瞬間、金の玉が壁を跳ねた。一度、二度、あり得ない軌道で。
こちらへ、真っ直ぐ、こっちへ、来た。
黄色が、近い、くる、く
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
くろ、くろ、くろ。
みえない、きこえない、なにもない、ない、ない
なんだろう、やわらかい、ぐにゃぐにゃして
おれは、誰だっけ。今まで、なにを――
あぁ、そうだ。
あの男、金の玉、壁、そして、頭?
吹き飛ばされた、死んだ?
俺は、死んだのか?匂いがない、音もない
右がみえない、左は、白黒?
滲んで、溶けて、水墨画みたい
見える、見え、て
▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲
――ドクンッ
「ぅああああああああっ?!」
息ができる、音が戻る、色が戻る、匂いが戻る、感覚が戻る、頭がある、目が見える、肺が動く、地面の感触がある、ある、全部ある。
「雪月?! 雪月! 聞こえる?!」
いつの間にしゃがんでいたのか、肩を掴まれ、青い隻眼と橙色の瞳が合う。梅雨だ。酷く焦った顔でこちらを覗き込んでいる。
「いっ痛い、痛いからちょっと離して……」
「ごめん!」
遅れて生じた肩の痛みでようやく現実を理解する。
ゆっくりと顔を上げ、梅雨の後ろを見る。あの男はまだそこにいる。顎に手を添え、不満そうにこちらを眺めていた。
「う〜ん?可笑しいですね、確実にどちらか二人はぺっちゃんこだったはずなのですが……このワタクシが外すなんて、so badッ」
外した?本当に?いや、そんなはずは。
あの金の玉は確かに目の前まで来ていた。梅雨の背後を掠め、自分へ向かい。そして、俺の頭を吹き飛ばした、はずだ。
震える手で顔に触れる。額、頬、首、髪。
何度確かめてもそこにある。血もない、傷もない、周囲にも赤一つ残っていない。気のせいだったのか。悪い想像をしただけなのか。
「お前何をした!雪月に一体何を!!」
「なぁんにも?見てくださいよ、何も起きてはいないじゃないですかぁ?疑う心、so badッ!」
「ッざけんな!!」
「梅雨、梅雨聞いて」
冷や汗で寝間着が張り付き気持ちが悪い。しかし今はそんなことを気にしている余裕などなかった。
鬼の形相で男を睨みつける梅雨。そのまま飛びかからんばかりの勢いだった彼の足を掴み、雪月は必死に呼び止めた。
「俺は大丈夫。大丈夫だから逃げよう。皆でそう話したよね?」
「……本当に何もされてない? 信じてもいい?」
「うん。だから逃げよう」
もしあれが予知のようなものだったなら、金の玉は梅雨でも敵わないだろう。壁を容易く破壊する怪力、常識を超えた力。あの化け物に勝てる人間など存在するのだろうか。
雪月の説得に、梅雨はなおも男を睨みつける。やがて静かに頷いた。
「お話、終わりましたかねぇ?ワタクシのparty…開幕?開始?開場?so goodッ?」
男は口触りの良い言葉を確かめるように繰り返しながら首を傾げる。準備運動を終えたその赫い双眸が、獲物を見定めるようにこちらを射抜いた。
背筋を冷たいものが這う。それでも梅雨は一歩も引かなかった。次の瞬間、雪月の身体がふわりと浮く。
「ちょ、ちょっと?!」
「俺のぱーとなーは決まってるから!」
両腕で軽々と抱え上げられ、雪月は思わず声を上げた。梅雨は意にも介さず、青い隻眼で真っ直ぐ男を見据える。
その視線を受けた男は、心底楽しそうに口元を歪めて。
「やはり、startッ――ですね?!」
梅雨は鬼さんこちら、と言わんばかりに舌を出して挑発する。
そして、本格的なpartyが開かれた。




