5話目 『玩具の兵隊さん』
「どうやって……」
梅雨の身長は百八十センチを優に超えている。それよりも大きい瞳は直径二メートル近くあった。全身となればどれほどの巨体なのか、想像したくもない。
どうやってあれが細い通路を通り抜けてきたのだ。施設特有の防御壁は爆薬を投げ込もうと、槍の雨を降らせようと傷一つ付かない。故に、あの巨体が通過できる隙間など存在しないはずなのに。
もし、俺達が第一区画から来ていたら――。
「は、早く逃げましょ!」
最悪の想像と目前の恐怖に足が竦みかける中、真っ先に声を上げたのは桜羽だった。その一言が引き金となり、四人は一斉に第二区画への扉を開け放ち全力で駆け出した。
走る、走る、ただひたすらに走った。底の見えないほど高い天井。人が二人並べば窮屈に感じる廊下。
もし、この場にあの怪物が現れたら、そんな想像を振り払うようにただ足を動かし続けた。
気付けば中央の『仮想空間』へ戻って来ていた。導かれるように大樹の根元まで辿り着き、その場へ腰を下ろす。全員が荒い呼吸を繰り返していた。
「な、なんだよあれ……」
「あれが、『鬼』?」
梅忌が木陰を作る枝葉を見上げながら呟く。雪月はなおも思考を巡らせながら零した。すると桜羽はその場へ寝転び、大の字になりながら白い鳥が飛ぶ空を見て
「ここって安地だったりしますかね〜?」
「そうだと信じてぇところだな」
『鬼』がこの場所へ侵入しないことを願いながら、束の間の休息を享受する。そんな中、梅雨だけは雪月をじっと見つめていた。怪我の有無を確かめるように視線を巡らせ、やがて心配そうに眉尻を下げる。
「雪月、大丈夫?怪我とかしてない?」
「大丈夫です」
「そっかぁ……良かった」
安堵したように抱きついてくる。鬱陶しいが、振り払う気にもなれず雪月は軽く抵抗を示しながらも思考を続ける。
化け物だった。瞳だけで理解できる圧倒的な威圧感、規模、存在感、全てが規格外だった。逃げることしかできなかった。
六年前には存在しなかった命、九年という歳月の果てに生み出された命――成功作。
あれに勝てる存在など、神か、仏か、あるいは悪魔くらいだろう。人間が真正面から戦えると思うこと自体、思い上がりも甚だしい。
だからこそ、生きてここを出なければならない。誰一人欠けることなく。そして、自分への疑念も晴らさなければ死んでも死に切れないというものだ。
「話をしましょう、信じてもらえなくても構いません。……ただ、聞いてください」
決意を込めた声。抱きついていた梅雨も静かに身体を離した。梅忌は息を整えながら顔を背けていたが、少なくとも耳は貸してくれているようだ。桜羽も上体を起こし真剣な桜色の眼差しを向けていた。
▷▶︎▷命を賭けた作戦会議が始まる。
「あれは『鬼』、捕まったらきっと腹の中。だから状況を整理したいんです」
「異論はねぇ」
水平線まで続く野原へ視線を向けたまま梅忌が返す。それでも聞いてくれているならば、誠意を持って話さなくてはならない。
「ランプは四つ。この施設も四区画に分かれています。一つの区画につき一つ、レバーかボタンか、それに類する物があるはずです」
「全員で探すのは非効率、だが一人行動は危険すぎる、か」
「だったら二人ずつで行きましょ〜!二つ見つければ終わりですから!」
「じゃあ俺は雪月と組む!」
「俺と桜羽、雪月と馬鹿で二組か。まぁいい、最悪馬鹿が死ぬだけだしな」
「その馬鹿呼びやめない?」
作戦は決まった。『鬼』が確認された第一区画は最後。比較的狭い第三・第四区画を先に探索する。
遭遇した場合は交戦禁止、即時撤退。何よりも生存を優先する。
まさしく『命を大事に』作戦だ。
また、一つも手掛かりが見つからなかった場合も即撤退、重複探索を防ぐために中央で待機する。二つ点灯した場合も同様。中央へ怪物が現れた場合のみ、それぞれの区画で身を潜める。
最低限の作戦内容を確認し終えた。◀◁◀
「必ずまた合流しましょう」
「お兄、また後でね〜!」
「よーし、行くぞー!」
「じゃぁな」
雪月と梅雨は第三区画へ。桜羽と梅忌は第四区画へ。
それぞれが別々の通路へ足を踏み出した。
静寂に満ちた白い空間へ、再び緊張と不安を抱えながら。
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――《第四区画》
「何も無かったんだが……」
起床直後にこの区画の部屋を一通り見て回っていた梅忌はそう呟いた。当時は確かに何も無かった。どの部屋を開け見てもただ白いだけの殺風景な空間が広がっていた。
だが今は違っている。無機質な机、医療器具、実験設備。本来の姿を取り戻したかのように施設らしい内装が並んでいた。
「鬼ごっこが始まったから出てきたんですかね?」
「多分な」
設備が現れても静寂は変わらない。音のない空間、命の気配が存在しない空間、不気味さだけが増していた。
ランプを灯す装置がレバーなのか、ボタンなのか、あるいは全く別の何かなのか、その保証はどこにもない。
故に、二人は片っ端から調べた。机の上を探り、ガラス窓の棚を開く。注射器を持ち上げたり、フラスコを覗いたりと思いつく限りの方法を試していった。
「いってぇ……」
「何してるんですか」
桜羽が呆れたように言う。
梅忌は部屋と部屋の間に隠し通路がないか、割と本気で壁を蹴っていた。
結果は当然ながらびくともしない。
そもそも第一、第二区画より狭いとはいえ、その規模は依然として広大だ。同じ構造の部屋が延々と並び、一つずつ調べていては日が暮れる。
「桜羽、向こう側の部屋を頼めるか」
「いいですよ!一人一部屋ですね」
「ああ、何かあったらすぐ呼べよ」
探索開始から六部屋ほど確認したところで提案する。第一区画から怪物が移動してきていない。その前提に賭けた分担行動だった。
今のところ足音もなく、振動もない。静寂だけが続いている。
壁を叩き、机の下を覗き、器具を動かす。何も起こらない、手掛かりもない、出口のない迷路のようだ。
何部屋調べただろうか。百部屋に達した頃には、一人当たり五十部屋近く確認していた。
その時だった。
「梅忌さん!ありましたよー!!」
「すぐ行く!」
集中力も絶え作業と化していた探索を放り出し、梅忌は声のした部屋へ駆け込む。
そこには、あまりにも分かりやすい物が置かれていた。
「おいおい…時間返せよ」
それ以外何も存在しない空間。真ん中に鎮座する一本のレバーは隠す気すら感じられない。怪しさしかない。
白一色の部屋の中心で、先端だけが赤く塗られた一メートルほどのレバーが異様な存在感を放っていた。
「引いてみますか?」
「俺がやる」
ここでレディファーストを披露する意味は無い。万が一を考えるならば力のある自分がやるべきだ。
梅忌はレバーへ歩み寄り、赤い取っ手へ両手を掛け一気に引き下ろした。ガチャンッ、と重々しい機械音が響くがその音もすぐ壁へ吸い込まれた。
何も起きなかった。
「終わり…か?」
「周りは何も変わってないですね」
耳を澄ませても何も聞こえない。振動も、変化もない。あるのは先程と同じ静寂だけだった。
二人は顔を見合わせた後、梅忌は慎重に部屋から顔を出し左右を確認する。それでも変化は見当たらない。
「マジか、まあそりゃそうか」
「いい事ですよ!これならお兄達も戻ってるかもしれませんし」
確かにそうだ、第一区画にしか怪物がいないのなら何も起きないのも当然。ならば雪月達も既に終えているかもしれない、とそう思った瞬間だった。
「あの、梅忌さん?」
「どうした?」
服の裾を引かれる。振り返ると先程までの桜羽の明るい表情が青ざめていた。嫌な予感がする。
梅忌はゆっくりとレバーの部屋を振り返った。
「…なんだありゃ」
「あれって…」
レバーは変わらず中央にある。問題はそこではない。
天井から壁へ、重量を無視するかのように移動する小さな影――兵隊だ、子供が遊ぶ玩具の兵隊さん。
だが、その双眸だけが異様に、赫い瞳が執念を宿したようにこちらを見ている。両手に『メス』を握り締めながら、食事を待つ子供のように。
一体二体所ではない、数え切れない数だ。兵隊の数だけ赫い双眸が存在している。
カチカチカチカチ、と無数の小さな軽快な足音が、耳障りで不快な音が、こちらへ近付いてくる。
「――逃げるぞ!」
梅忌は反射的に桜羽の細い手首を掴み、全力で駆け出した。
性格の悪い設計者だ。わざわざ奥深くまで誘導し、逃げ場の少ない場所で獲物を囲む。罠に掛かった獣の気分だ。
――この施設は、最初からこの瞬間を狙っていたのか。




