後半 『お泊まり会』
夜の店は、日付が変わると同時に営業を終えた。
現在この家には六人いる。当然ながら風呂は順番待ちになっていた。桜羽の「お泊まり会がしたい」という要望もあり、二階の角部屋にある少し広めの客間を借りることになった。
敷かれた布団は四組、男三人と女一人。改めて考えるとなかなか奇妙な組み合わせである。
「女の子が野郎に囲まれて寝るっていいのかよ」
「いーの!信じてますから」
やはり真っ先に桜羽を気遣ったのは梅忌だった。風呂を終え、寝巻き姿になった桜羽は既に布団へ潜り込んでいる。初めてのお泊まり会がよほど楽しみなのか、期待に胸を膨らませながら足をぱたぱたと揺らしていた。
風呂の順番は話し合いで決めた。まずはレディーファースト、次に家族である雪月、その後が梅雨、最後に梅忌だ。ちなみに梅雨が雪月の後を希望したのは、本人曰くどうしても彼の後が良かったらしい。
すると梅雨がこの状況に定番台詞が思い浮かんだようで、
「男女密室、何も起こるわけがなくーってやつ?」
「優しくしてくださいね?」
「付き合うな」
寝る位置は、右下から時計回りに桜羽、雪月、梅忌、梅雨。梅雨は潔癖など欠片もないらしく、風呂に入る前から布団へ転がっている。
一方の梅忌は胡座をかき、壁へ凭れながら会話に加わっていた。ただし、双子の布団の間だけは妙に距離が空いている、それに気付いた桜羽が不思議そうに首を傾げた。
「二人って仲悪いんですか?」
「悪い」
「えー、どうして?」
桜羽は仰向けの体勢からくるりと寝返りを打ち、頬杖をつく。交互に見比べれば、本当に同じ顔だ。だからこそ余計に気になるものがあった。純粋な問い掛けに梅忌は肘を抱き、しばらく思案した後に肩を竦め
「ま、大人の事情ってやつだな」
「子供扱いしてる」
得意げな顔で言い切られ、桜羽は不貞腐れるように頬を膨らませる。その反応が面白かったのか梅忌はくくっと小さく笑いながら口元を押さえた。完全に揶揄われている。
そんな穏やかな空気の中、不意に扉が開き現れたのは風呂を終えた雪月だった。仲睦まじいやり取りに思わず頬を緩めながら、次の順番へ声を掛ける。
「梅雨さん、どうぞ」
「行ってくるねー」
梅雨は布団の上から足の力だけで起き上がる。まるで重力を無視したような身軽さに兄妹揃って呆気に取られた。その二人の様子など目に入らず、そのまま笑顔で部屋を後にする。
「……」
桜羽と雪月は思わず顔を見合わせた。
「その……君のお兄さんって人間?」
「びっくりした、今すいーって立ったよね?」
「兄って言うな。ま、馬鹿力なんじゃね」
桜羽と対応する時とは異なり少し低めの声で梅忌が答える。確かに昼間助けられた時も、相手を片手で軽々と制していた。常人離れした怪力なのは間違いないだろう。
雪月は布団の上へ腰を下ろし、自身の体へと視線を落とした。昼間まで全身を苛んでいた痛みは、ほとんど残っていない。打撲も擦過傷も跡形もなく消えており、風呂で沁みるはずだった痛みも感じられなかった。
静かに息を吐く。理由は分からないが、雪月は昔から異常なほど傷の治りが早かった。
それが『普通』ではないと知ったのは幼い頃だ。桜羽と一緒に駆け回り、転んだ日。同じように擦り剥いたはずなのに、自分の傷だけが数時間後には消えていた。それが成長するにつれ、治癒速度は加速しつつある。
今では擦り傷程度なら数十秒。深い傷ですら数分もあれば塞がる。
『普通』の人ならば傷が速く治るなど祝福と感じられるのだろうか。
「ただいまー!」
朗らかで屈託のない声が、沈思に耽っていた雪月の意識を現実へと引き戻した。
その声に誘われるように顔を上げた梅忌は、端整な顔立ちに露骨な不快感を滲ませながら、渋々といった様子で部屋を後にする。
何気なく視線を向けた雪月は、次の瞬間橙色の瞳を大きく見開いた。
「って梅雨さん!濡れているじゃないですか。ドライヤー使えませんでしたか?」
「そのままだと風邪を引きますよ〜?」
「あーごめんごめん。つい」
梅雨は悪びれる様子もなく、水滴を纏った乳白色の後頭部を掻き照れ臭そうに笑う。そして何食わぬ顔で布団へ潜り込もうとしたため、雪月は慌ててその前へ回り込み制止した。
肩に掛けていたタオルを奪うように手に取り、そのまま頭へ被せる。
「雪月が拭いてくれるの?嬉しいなぁ」
「風邪を引かれても困りますから」
「じゃあ明日も泊まっていい?」
「帰ってください」
雪月は淡々と切り捨てながら、自分より頭ひとつ高い梅雨の髪を乱暴に拭き始める。当の本人も身長差を気にしているのか、大人しく頭を下げている姿は主人に身を委ねる大型犬を彷彿とさせた。
やがて水滴が滴り落ちなくなった頃その手を止め再び肩へと掛け直した。名残惜しげな視線を向けてくる梅雨を無視し、雪月は自分の布団へと戻った。
「俺も雪月の隣がいいなー?」
「妹であるわたしの特等席なのでダメです」
「ケチ」
即座に拒絶した妹と向き合いに居る梅雨。青き隻眼と桜色の双眸が空中で交錯し、今にも火花を散らしそうな険悪な空気を醸し出していた。
雪月は布団を頭まで引き上げる。相手にするのも憚られ顔を背けた。
本当に、今日は散々な一日だった。そう実感した途端に堰を切ったように疲労感が全身へ押し寄せる。
背後ではなおも二人の応酬が続いていたが、それを子守歌代わりにするかのように意識は次第に朦朧としていく。
やがて雪月は抗うこともなく、深い深淵へと沈んでいった。
△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △
朧気な視界の中、車輪が見えた。
人と、人がいて、白い、人、が――。




