35話目 『後日録』
その後は、穏やかな日々を過ごしていた。取り戻した『普通』の日常。それは雪月がずっと求め続けていた理想そのもので、ようやく手に入れたのだと胸の奥で感慨に浸っていた。この時は、本気で永遠に続くのだと思っていた。
現在は昼休憩。雪桜はあの日以来、あの件について一切触れてこない。まるで最初から存在しなかったかのように普段通り接してくれていた。
変わった所があるとすれば、口調だろうか。口の悪さも隠さなくなった。遠慮も無く、以前見せていた人懐っこい笑顔も減った。あれが演技だったのだと、改めて実感させられる。
「雪桜は凄いね。これって勉強したの?」
「いや、独学」
「へぇ……そうだ、今度俺に作ってくれない?」
「残飯でいいか?」
「だっ、いいけど」
「冗談だ。別に構わねぇよ」
以前ほど声を上げて笑う事はなくなった。代わりに小さく口元を緩める。彼特有の間も無くなり、今は基本的に即答だ。その変化に少しだけ寂しさを覚える。だが、素の彼を知れたのだと思えば、それも悪くなかった。
帰宅も自然と一緒になった。別れ道はガチャコーナー。そこで雪桜は右へ、雪月は真っ直ぐ帰る。学校へ行けばまた会える、その確信が今はある。
神社にも大きな変化は無かった。様子を窺っていた緋寒も、今は普段通りだ。天さんも追及してくる事はない。最近は盆栽に夢中らしい。どうやら人間の娯楽を体験したいのだとか。桜羽とはあの日以降会っていない。学校へは通っているのだろうが、所在は分からなかった。尤も雪月はそれほど気にしていなかった。彼女なら何処でも上手くやるだろうと思っていたからだ。
大きな変化を挙げるなら、携帯電話を手に入れた事だろう。連絡手段が無いと話したら、雪桜が渋々付き合ってくれた。操作方法も教わり、一週間ほど掛けてようやく最低限使えるようになった。
登録されている連絡先は四人。梅雨、梅忌、雪桜、そして桜羽。桜羽へ何度か連絡を送ってみたものの、返事は来ない。忙しいのだろう、それくらいに考えていた。
もう一つ変化があるとするなら雪桜と双子が出会った事だ。帰宅途中に偶然梅忌と鉢合わせ、その流れで紹介する事になったのだ。
「久しぶりだな。帰るところか?」
「はい、そうなんです。雪桜、この人梅忌さん」
「あぁ……どうも」
今思えば少しだけ違和感があった。だが当時は気にも留めなかった。
その後、梅忌を介して梅雨とも再会した。親睦を深める機会も増えた。皆が仲良くなってくれるのは嬉しかったと、雪月は素直にそう思っていた。
「雪月ー! 会いたかったぁ……!!」
「近い、近いから離れて」
勢いよく抱き着いてきたのは梅雨だ。距離感が壊れているのは相変わらずだった。思い返せば久しぶりの再会だ、嬉しかったのだろう形振り構わず飛び付いた。拒絶されたのは言うまでもない。
「この人は梅雨」
「……誰?」
「雪桜です」
相性が悪いのか、梅雨と雪桜はあまり仲が良くなかった。否、正確には梅雨が一方的に警戒していた。雪桜はその態度を気にも止めずただ眺めるだけで、基本的に無視を貫いている。その光景を遠巻きに見ていた梅忌だけが、露骨に頭を抱えていた。
「遊園地ぃ? あの四人で?」
素っ頓狂な声を上げたのは雪桜だった。正気かと、顔にそう書いてある。当然の反応だろう、当時の四人は、そこまで仲が深まっていた訳ではない。四人で遊園地、四人でジェットコースター。そんな青春じみた空気とは程遠かった。
そもそもの発端は学校で配られたパンフレットだ。学割が適用される遊園地。安値で行けると知った雪月は即決し、そして即座に雪桜へ話した。結果がこの反応である。
「お前って案外頑固だよな……」
「雪桜は行くよね? 梅雨達に聞いてみる」
「俺確定かよ」
深々と嘆息する。それでも断らず、結局付き合ってくれる。問題は双子の方だった。あの二人をどう連れて行くか、そこが最大の難関だ。
「それなら俺に案がある」
「え、ほんと?」
「任せとけ」
そうして遊園地行きは決定した。日時の調整も雪桜が引き受けてくれた。雪月の仕事は何も無く、ただ待つだけだ。
それからの日々も変わらない。学校へ行って友達と話して神社へ帰る。平穏で平凡でありふれていて、何一つ特別ではない毎日。けれど、それこそが雪月の望んだ日常だった。
来たる遊園地の日まで、ただ穏やかに時間は流れていく。いつも通り、何も変わらず、普段通りに。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
周囲にはぬいぐるみが並んでいた。熊、兎、猫、犬、象。沢山の動物達。桃色に染まった部屋の中で、一人座っている。
「スキになれるかなぁ?」
ただ、その時が来るのを静かに待ち望んでいた。
第一章終了です。
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