27話目 『黄昏時』
「探し……ううん、待ってる方が……」
同じ場所を何度も行き来しながら、ぽつりと独り言を零しているのは緋寒だった。既に辺りは夜の帳に包まれており、境内を照らすのは室内から漏れる灯りだけ。それにも拘らず、彼女は鳥居の前から離れようとしなかった。
「緋寒、そろそろ中へ入らないか? 体が冷えてしまう」
「すごくすごく心配で……」
眉尻を下げ、不安そうに参道の先を見つめ続ける。その視線は一度たりとも逸れない、雪月の姿を探しているのだ。
それも当然か、年齢など関係ない。大切な子供の帰りが遅ければ、最悪の事態を想像してしまう。それが親というものなのかもしれない。
「明日は休日だ。友達の所で宿泊しているのかもしれん」
「そうでしょうか……」
緋寒は小さく呟く。だが、その表情から不安が消える事はなかった。
柱は腕を組み、静かに思案する。どう言葉を掛ければ安心させられるのか、どうすれば彼女を休ませられるのか。真剣に考える
「明日の夜まで待とう。私が探すから、今日はもう休まないか?」
緋寒は唇を結ぶ。不安は尽きない、心配も消えないだろう。それは見ているだけで伝わってくる。
「分かりました。おやすみなさい」
後ろ髪を引かれるような面持ちで頭を下げる。そして名残惜しそうに参道を一瞥し、その場を後にした。
柱はその背中を静かに見送る。やがて姿が見えなくなると、再び参道へ視線を向けた。夜闇の向こう、石段の先。そこに少年の姿はない。
「――すまないな」
ぽつりと零れた謝罪。その言葉は誰へ向けたものでもなく、夜風に攫われて消えていく。
探しに行く事は出来ない。私の優先順位は、とうの昔に決まっているのだから。
柱は静かに瞼を閉じる。夜の境内には、虫の音だけが響いていた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
二回。
偶然と偶然が重なる確率など、一体どれほどのものなのだろうか。もし本当に自分が巻き込んでいるのだとしたら、人に頼る事さえ許されない。そんな考えが脳裏へ根を張っていた。常に周囲を警戒して、神経を張り詰め、人混みを抜け、参道の石段を上っていく。
怖い。ここから落ちたらどれほど痛いのだろう。もしかしたら鉄骨に潰されるより痛いのではないか、そんな想像が頭を離れない。身体も重かった。ただでさえ疲労が抜け切っていないのに、精神的な消耗が拍車を掛けている。
この石段はこんなにも長かっただろうか。果てしなく、遠く、終わりの見えない道のように感じられた。
やがて鳥居が見えてくる。ようやく登り切る。帰ったら母へ謝罪しなければならない。心配を掛けてしまっただろうから。
ふと上へ視線を向け、そこで雪月は気付く。参拝客だろうか、こちらへ向かって歩いて来る人物がいた。珍しい。否、本来なら珍しくも何ともないのかもしれない。だが雪月が境内で参拝客を見掛けたのは初めてだった。
その人物は参拝を終えたのだろう。堂々と鳥居の正中を歩き、そのまま石段を下りてくる。雪月はぶつからないよう身体を寄せた。横へ避け、その人物が通り過ぎるのを待つ。嫌な胸騒ぎを押し殺しながら静かに待った。
その人が誰なのかも分からない。何もされていないのに、それでも怖い。早く通り過ぎてほしい。早く、早く。心臓の鼓動だけが異様に大きく響いていた。そして、その人物が雪月を一瞥する事も無く通り過ぎた。
良かった。何も起こらな――
「え……」
不意に後方へ身体が仰け反り、視界が反転した。時刻は夕暮れ時、境内は橙色に染まっていた。落下する寸前、視界の端へ映ったのはあの人物だった。黒いフードによって顔は見えない。黄昏へ溶け込むように輪郭は曖昧で、見当も付かない。誰だと、その疑問が過ぎった瞬間。
「がぁ”ッ!」
衝撃が全身を貫いた。石段の角へ叩き付けられる。腕が折れ、足が折れ、肉が裂ける。関節が有り得ない方向へ捻じ曲がる。鮮血が飛び散り、軌跡を描く。ぶつかる、ぶつかって、転がり落ちていく。骨という骨が砕けていく感覚。身体は坂道を転がる球のように止まらない。そして。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――ドクンッ
「う、うぁっあぁ……」
痛い、痛い、痛い。全身を駆け巡る激痛に、蹲る事しか出来なかった。
三回目だ。どうして、誰が、何の為に俺を殺しているんだ。あの人物は誰だ。何で、何で何で。
「……居るんだろ、そこに」
石段の上を睨み付ける。あのフードの人物はまだいるはずだ、今行かなければならない。ようやく掴んだ手掛かりだ、今を逃せば二度と辿り着けないかもしれない。
痛くても、苦しくても、登るんだ。また登って、次は落とされないようにして。
「何でだ……んでなんだよぉ……」
石段を踏み締める。一歩、また一歩重い身体を無理矢理前へ進める。手摺はない。近くの木へ手を掛けながら登っていく。脳内を埋め尽くしているのは疑問だけだった。どうして、何故、誰が、そればかりだ。何をしたというのか。何故ここまでの殺意を向けられる。理解出来ない、理解出来るはずがなかった。
「俺が、何したって――!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――ドクンッ
「……は」
石段の中腹。そいつはいた。まるで待っていたかのように、こちらを見下ろしていた。そして、指で銃を作る。撃った。そして、死んだ。
今度は確実だった。確実に、明確な殺意によって、そいつの手で殺された。
「何で……お前は」
目の前にいる。堂々と立っている。まるで自らが正しいとでも言うように、見下ろしている。
「お前は――誰だ?」
問い掛ける、絞り出すような声で。だがその言葉は無慈悲に黄昏の空へ吸い込まれていく。
何故なら、そいつの身体は黒い霧へと変わりその場から消え去ったのだから。




