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『普通』を願う備忘録〜死を許されない世界で俺はただ平穏に生きたい!〜  作者: あずま微糖_連載準備中
第一章 【誰そ彼】

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20話目 『戻ってきた日常』


 「ふぅ……」


 服は余っていたらしい。流石に和服で街中へ行く勇気は無かったので、ひとまず安堵する。

 現在、雪月はあの店の前に立っていた。ここで眠り、目覚めた時には施設であったあの異常な出来事の起点となった場所。

 加えて、連れ去られる直前に見たあの車輪。記憶違いでなければ心当たりは一人しか居ない。雪月は静かに息を吐くと、自動ドアを潜った。営業を開始した店内は普段と変わらない。疎らに客が出入りし、コーヒーの香りが漂っている。


「いらっしゃいまー――って、せっちゃん!?」


 聞き慣れた声だった。制服へ着替えた雪菜はすっかり店員らしくなっており、その姿に自然と口元が緩んだ。本当に良くしてもらった。雪菜は間違いなく善人、だからこそ少しだけ胸が痛む。

 薄灰色の瞳が大きく見開かれ、手に持ったトレーがぐらりと傾いた。積み上げられた皿も危うく滑り落ちそうになる。だが彼女は慌てながらも体勢を立て直し、何事も無かったように支えてみせた。


「ごめんね。こんな朝早くに」


「ちょ、ちょちょちょっと待っててー!」


 慌てて店の奥へ駆けていく。その後ろ姿を眺めながら店内を見回した。変わらない、本当に何一つ変わらない。寸分違わず、自分が暮らしていた『家』のままだった。かつて安らぎを感じていた場所、それなのに今では敵地のように思えてしまう。何とも理不尽な話だ。

 やがて裏側から雪菜が顔を覗かせる。トレーや皿を片付けて来たのだろう、こちらへ向かって大きく手招きをしていた。雪月は慣れた足取りで裏口へ向かう。客は大丈夫なのだろうか、一瞬だけそんな事を思ったがひとまず置いておく事にした。


 控え室兼薬剤室、懐かしい空間だった。向かい合うように長椅子へ腰掛ける。雪菜は深呼吸を一つすると、堪え切れなかったように身を乗り出した。


「どこ行ってたの!?すんごく心配したんだよー!」


「ごめん、本当にごめん」


 勢いに押されながら両手を上げる。宥めるような仕草をして落ち着いて貰う。雪菜は頬を膨らませ、不満そうに椅子へ座り直した。その様子に少しだけ笑いそうになる。

 さて、何から話そうか。薄灰色の瞳を見つめながら、雪月はゆっくり口を開く。


「雪菜、お父さんはどこに?」


「パパ?なら今は病院だと思うよー」


「そっか……」


 それなら聞けない。数年間家族として過ごしてきた経験上、雪菜は嘘が得意ではない。共犯の可能性は限りなく低いだろう。だからこそ聞かせたくなかった。知ってしまえば危険に巻き込む事になる。


「俺、引っ越す事にしたんだ。だから学校から帰ったら荷物纏めて出ようと思って」


「三日も物件探ししてたの!?」


 思わず苦笑する。施設での時間と昏睡していた時間を合わせれば、確かに三日に近い。間違ってはいない、きっと。


「えぇー、そっかぁ……寂しくなるねー」


 雪菜は肩を落とした。その一言が胸へ刺さり、良心が痛んだ。だが仕方がない、安全を取るなら離れるしかない。何より、再び施設へ送られるなど絶対に御免だった。人生で二度と味わいたくない。三度目など論外だ。


「ごめんね。学校の時間もあるし、そろそろ行かないと」


「そ、そうだよね!」


 雪菜は何かを思い付いたように顔を上げた。


「じゃあ荷物纏めとくよー!」


「いいの?凄く助かるけど……今もお客さん待たせてない?」


「大丈夫!なんたってあたしはプロだからねー!」


 得意気に胸を張る。その姿が妙に可笑しくて、自然と笑みが零れた。


「そっか。ありがとう」


 遠慮する気にはなれなかったため、ここは素直に甘えておこう。雪月は立ち上がる。制服へ着替え学校にも行かなければならない、日常を取り戻すために。


「一人で大丈夫……だよね!」


 雪菜は今にも付いて来そうな勢いだったが、首を横に振り何事も無いように笑った。


「じゃああたし仕事戻るねー!」


 雪菜は元気良く手を振ると、そのまま店の表へ戻っていった。一瞬の静寂に雪月は小さく息を吐く。やるべき事を思い出し、自室へ向かって歩き出した。制服へ着替え、学校へ行く。何事も無かったように『普通』へ戻る。


「……あいつら、まだいるかな」


 懸念は一つだけだった。あの柄の悪い男達は、まだ学校へ居座っているのだろうか。

 そんな事を考えながら、雪月は登校の準備を進めていった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 「お、腹でも下してたか?」


「三日も下さないよ」


 制服を整え急いで学校へ向かい、現在は2-Cの教室にいた。見慣れた自席へ腰を下ろし、ようやく安堵の息を吐く。後ろの席で頬杖を突きながらこちらへ紺碧の瞳を向けているのは雪桜だ。相も変わらず静謐な空気を纏っている癖に、人を揶揄う事だけは本当に好きな男である。何を考えているのか分からない、だが不思議と居心地は悪くなかった。

 幸いな事に授業内容は優に理解出来ている為、学業に支障は無い。だが課題や提出物など、聞かなければ分からない事は彼に頼るしかなかった。


「ま、最近風邪とか流行ってるしな」


「そうだよね、俺も風邪引いちゃって」


 不自然だっただろうか。流石にクラスメイトへ施設での出来事を語る訳にはいかない。死んだ事も、生き返った事も話した所で信じてもらえるとは思えなかった。僅かな逡巡の末、それらしい嘘で誤魔化しておく。

 そして、ふと気になっていた事を思い出した。雪桜なら何か知っているかもしれない。根拠は無いが、何故かそう思えた。


「あの、三年の先輩達はどうなったの?」


「あぁ、ヤンキーみたいな奴らか。確か入院したんだとよ」


「入院?そうなんだ」


 それ程の重症だったのか、教室での惨状を思い返しながら内心で息を呑む。だが深く考えるのは止した。知らない方が良い事もある。余計な懸念を抱えても仕方がないだろう。後は、そうだ。あの人の事も聞いておかなければ。


「他にも先輩の話とか聞いてない?」


「んー、停学になった奴がいるって話なら」


「その人の名前とかは……」


「さぁな、俺は噂で聞いただけだ」


「そっか、ありがとう」


 どういった経路で流れてきた噂なのかは分からない。だが、知りたい事はこれで概ね出揃った。

 停学処分――思い当たる人物は一人しかいない。

 あの男達が入院するほどの事態に発展したのなら、その原因となった人物が処分を受けていても不思議ではない。だとすれば、非常に申し訳ない事をした。いずれ必ず謝罪に赴かなければ。そんな事を考えている内に、昼休憩の終わりを告げるチャイムが校内へ鳴り響いた。


「次は移動だってよ」


「ついて行ってもいい?」


「おう、一緒に行くか」


 面倒見が良いのだろう。困っていればすぐに気付き、何の躊躇もなく声を掛けてくれる。移動教室はもちろん、学校生活そのものに関して無知な自分にとって、その存在は非常に有り難かった。不思議と彼といると肩の力が抜ける。気付けば頼ってしまっているのは、人との距離感を掴むのが上手いからだろうか。どこか人を安心させる空気を纏っていた。

 この一日は彼に頼り切りで終えてしまった。嫌な顔一つしない器の広さに感謝をしながら、全ての授業を終えた。


 放課後。荷物を回収する為、一度店へ立ち寄らなければならない。そう脳内で予定を整理していた時だった。ふいに後方から声が掛けられる。


「おい。雪月、だったか?」


 名を呼ばれ振り返る。そこに立っていたのは、最も疑り深い彼だった。何故この学校にいる可能性を考えなかったのだろう。会いに行こうという発想すら浮かばなかった。


「梅忌さん……」


「そうだ。歩きながら話すぞ」


 流れるようにそのまま歩き出す。最後に見た光景が脳裏を過り、どうにも気まずくて顔を見られないまま隣を歩いた。

 しばらく無言が続く。断りもなくあんな事をしたのは申し訳ないと思っている。ああするしかなかった。だが、本音を全て打ち明けたところで彼は信じないだろう。施設で最初に疑念を抱き、最後までそれを貫いた人物だ。そう簡単に信頼を得られるはずがない事くらい理解している。


「言っとくが、怒ってはねぇよ」


 こちらへ一瞥すら向ける事なく、歩きながらそう告げた。それは彼なりの気遣いなのだろうか。


「ただお前の事は信じられねぇ」


「はい、分かってます」


 当然だ。もし自分が同じ立場だったなら、その人物を信じる事など出来ないだろう。

 一度裏切ったも同然なのだから。


「お前の妹か、すげぇ心配してたから会いに行ってやるといい」


「……怒らないんですか?」


「怒ってねぇって言ったろ?」


 窺うように隣を見る。

 肩を竦めながら歩くその横顔からは、怒気も憎悪も感じられなかった。確かに信頼も信用もしていないのだろう。それでも、嫌っている訳ではない。たったそれだけの事なのに、胸の奥が少しだけ軽くなる。救われたような気さえした。


「偶然見つけたから声を掛けただけだ」


「そう、ですか……」


 飾り気のないその言葉に心底安堵する。だが同時に、あの惨状が脳裏を掠めた。思わず彼の身体へ視線を走らせる。あまりにも露骨だったのだろうか、梅忌は眉間に皺を寄せ不快そうな表情を浮かべた。


「体、怪我は大丈夫なんですか?」


「痛み止めで何とかって感じだな。日常生活には問題ねぇよ」


「良かった……」


 そう言いながら、彼は片手をゆっくりと開閉させていた。本調子ではないのだろう。以前のような愛想の良い笑みを浮かべる余裕は、まだ戻っていないように見える。

 話している内に、いつの間にか店の近くまで来ていたらしい。何気なく入口へ視線を向ける。すると、人混みの中に見慣れた二人の姿を見つけた。

 こちらに気付いた途端、大きく手を振りながら満面の笑みを浮かべる。


「雪月ー!」


「梅雨、と桜羽?!」


 予想だにしていなかった再会に、思わず足が止まった。何故二人がここにいるのか。そんな疑問が浮かぶ一方で、元気そうな姿を目にした安堵の方が遥かに大きかった。


 本当に、誰一人欠けていなくて良かった。心の底から、そう思う。


「お兄!中に入りましょ〜!」


 人懐っこい笑みを向けながら桜羽は先に店内へと駆けていく。その背中を追うように、雪月もまた店の中へ足を踏み入れた。

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