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『普通』を願う備忘録〜死を許されない世界で俺はただ平穏に生きたい!〜  作者: あずま微糖_連載準備中
第一章 【誰そ彼】

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19話目 『日常を取り戻す。そのために』


 「少年、目が覚めたか。体に痛む所は無いか?」


 穏やかでありながら威厳を感じさせる声音だった。この和風建築そのものが人の姿を取ったかのような、不思議な風格を纏っていた。

 縁側に腰掛ける男性は、緋色の髪を長く伸ばしている。赤く染まった双眸はどこか神秘的で、人とは思えぬほど端正な顔立ちをしている。無造作に着崩した赤い着物さえ妙に様になっており、思わず目を奪われた。


「えっと、ここは……。いや、あなたは?」


 聞きたいことが次々と溢れてくる。ここがどこなのか、どうして自分は生きているのか、母は無事なのか。確認したい事柄は山ほどあった。だが、それら全てを差し置いても目の前の人物の正体が気になる。僅かに逡巡した後、雪月は後者を選択した。

 縁側から立ち上がった男性は、座っていた時からは想像も出来ないほど長身だった。二メートルは優に超えているのではないだろうか。こちらへ歩み寄るだけで厳かな空気に当てられ、本能的に視線を逸らしてしまう。


「私は天之御中主(あめのみなかぬし)(のかみ)と、人々にはそう呼ばれている」


 まるで他人事のような口調だったが、その名には覚えがある。天之御中主神、その名が意味するものを雪月は知っていた。脳裏へ引っ掛かった違和感が、ゆっくりと輪郭を帯びていく。神話、伝承、人々が崇め奉る最高位の神。


「驚いただろう。茶を用意するから寛いでいてくれ」


 そう言って大きな掌が頭へ触れた。慣れたように一度撫でると、そのまま襖を開いて部屋を後にしていく。

 母は静かに縁側から立ち上がった。淡い水色の着物を揺らしながら歩み、そのまま座布団へ正座する。

 二人の存在感に圧倒され内装をよく見ていなかったが、この部屋だけは妙な生活感があった。座卓を囲うように四枚の座布団が敷かれ、壁には掛け軸が一つ。質素でありながら不思議と落ち着く空間を形作っている。


「雪月、座って」


 彼女は隣の座布団を軽く叩き、隣へ座るよう促した。言われるまま正座し、改めて部屋を見渡す。縁側の先に広がる景色は、まさしく和そのものだった。枯山水、鹿威し。立派な松の木にまだ芽吹いていない桜の木。それらが交互に塀沿いへ植えられ、静謐な庭園を形作っている。


「体は大丈夫?痛い所とか無い?」


「うん、大丈夫」


 どれ程眠っていたのだろうか。

 棘に貫かれた背中も、崩落の際に負った傷も、まるで最初から存在しなかったかのように癒えていた。


「俺は、どのくらい?」


「二日くらい、かな」


 妙に体の節々が気怠い訳だ。二日も眠り続けていたのなら納得だった。雪月は小さく息を吐く。気になることはまだ山ほどあるが、一つずつ焦らず、着実に整理していけばいい。


「その、あの人……は?」


「あの方は神様。優しい方だから安心しても大丈夫」


「か、神?そっか……」


 何故母が神と関わっているのか、何故そこまで深い信頼関係が築かれているのか、疑問は尽きない。だが今は一旦脇へ置いておこう。それよりも優先したいことがあった。彼女自身に関わること、雪月が実際に目にした力についてだ。


「あの力は、何?」


「そうね」


 長い睫毛に縁取られた藍白色の瞳が伏せられる。短い沈黙、逡巡するような静寂。やがて脳内を整理し終えたのか、彼女はぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始めた。


「あれは『異能』、かな。詳しいことは分からないけれど」


 そう言いながら指先を弄る。どこか他人から聞いた話を語るような口振りだった。


「私の異能は、『花葬(カソウ)』って言うみたい」


「花葬……」


 口の中で反芻する。

 脳裏に蘇るのは落下していた時の光景血を啜るように伸びる茨、鮮烈に咲き誇る椿。今思い返しても現実感は希薄だった。あれが異能、人の身で扱う力。


「みたい、って聞いたの?」


「うん。誰に聞いたのか忘れちゃった」


 眉尻を下げ微笑む彼女は、詳細を伝えられないことを申し訳なく思っているようだった。雪月は静かに視線を落とす。今まで六年間、共に過ごしてきた歳月で、彼女の異能を目にした記憶は無い。

 扱い切れていなかったのか、それとも何らかの理由で忌避していたのか。その答えは、まだ分からなかった。


 ふと、あの瞬間を思い出した。最初は恐らく頭を飛ばされて、次に毒。そして次に――


「雪月、大丈夫?」


「あぁごめん。大丈夫だよ」


 心配そうな声に意識を引き戻される。だが脳裏に焼き付いた記憶は容易に消えてはくれなかった。喰われた、きっと、あの時も死んだのだろう。それも一度や二度ではない、何度も何度も繰り返し。あれは異能なのだろうか。もし異能なのだとしたら、異能とは一体何なのだろう。死さえ超越するような力が、本当に存在していいのだろうか。


「邪魔するぞ」


 襖が開く。盆の上には湯気を立てる茶と幾つかの茶菓子。天之御中主神を名乗る男が静かに部屋へ戻って来た。


「あ、ありがとうございます」


 母と共に礼を告げる。

 座卓へ並べられていく湯呑みを見つめながら、雪月は密かに希望を抱いていた。神と名乗る程の存在だ。ならば、あの力についても何か知っているかもしれない。


「話は出来たか?」


「はい、話せたと思います」


「そうか。それは良かった」


 穏やかな笑みだった。不思議と肩の力が抜ける。それでも、聞かなければならない。


「あの、」


 二人の会話が途切れた瞬間を見計らい、雪月は声を掛けた。向かい側へ胡座を搔いて座る赤い男へ視線を向ける。すると彼は優しく赤い瞳をこちらへ向けた。


「どうした?何でも言ってみなさい」


 器の大きさを感じる言葉だった。どんな問いであろうと受け止める、そんな余裕と包容力が滲み出ている。だからだろうか、この人なら聞いてもいいかもしれないと思えた。


「その……異能の事って、どのくらい知っているんですか?」


「数多ある故網羅しているとは言い切れんが、大凡のことは知っているつもりだ」


 その答えに胸が僅かに高鳴る。ならば、もしかしたら。


「あの、死んでも蘇るみたいな異能ってあるんですか?あったら凄いなーって」


 なるべく軽く、なるべく自然に何気ない雑談を装って問い掛ける。だが内心では固唾を呑んでいた。天之御中主神は顎へ手を添え、思索するように瞳を伏せる。

 沈黙、数秒にも満たない時間だった。それなのに妙に長く感じられる。


「……調べておこう」


 そして、静かに顔を上げた。赤い瞳が真っ直ぐ雪月を射抜く。


「少年は死んだのか?」


「えっ」


 思考が停止した。呼吸が止まりそうだ。

 前者の言葉には安堵した。神ですら即答出来ないのなら、自分の力は異能ではないのかもしれない。後者の問いは違い、鋭かった。核心に触れるような一言だった。試されていると、そんな錯覚すら覚える。だからだろうか、咄嗟に笑みを浮かべていた。


「まさか、あるかなと思っただけです」


 自分でも驚くほど自然に嘘が出た。天之御中主神は暫し雪月を見つめる。そして


「そうか。力になれずすまないな」


 それ以上は追及しなかった。


「いえいえ、そんな」


 穏やかな空気が戻る。先程までの緊張が嘘だったかのように、天之御中主神は静かに茶を啜った。気付かれているのか、いないのか判断は付かない。だが今は保留でいいだろう。施設は終わった。あの地獄は終わったのだ。これから先、死ぬような状況など訪れないはずだ。無用な心配を掛ける必要も無いと、そう自分へ言い聞かせる。

 不意に喉の渇きを覚えた。目の前の茶を一気に飲み干す。温かい液体が喉を通り、少しだけ心を落ち着かせてくれる。ひとまず一区切りだ、そう判断した所で別の話題を口にする。


「そうだ。俺、荷物を取りに行かないと」


「雪月はまだ調子戻ってないでしょう?私が代わりに取ってくるから」


「大丈夫、体を動かしたいから丁度いいよ」


「私も行こうか?」


「大丈夫です、本当に」


 神が同行すれば無駄に目立つ。そう思い、その申し出を丁重に断った。

 荷物を回収するだけだ。一人で十分だろう。そして、そのまま高校へ向かおう。再び『普通』の日常を取り戻す為に。


「何かあれば私にでも、緋寒(あん)にでも言いなさい。力になろう」


「ありがとうございます」


 素直に頭を下げる。立ち上がり、襖へ手を掛け外へ出る。脳裏に一つの光景が過る。施設で目覚める前夜、あの不可解な夢。

 いや、本当に夢だったのだろうか。


「……」


 雪月は小さく目を細める。確認したい事があった。どうしても確かめなければならない事があった。

 あの夜、自分が見た光景の正体を。

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