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『普通』を願う備忘録〜死を許されない世界で俺はただ平穏に生きたい!〜  作者: あずま微糖_連載準備中
第零章 【施設編】

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18話目 「紅に緋に赤に」


 ねんねこ ねんねこ 愛しい子


  母はあなたを 愛してる


  夢の野原を 渡ったら


  明日もまた 遊びましょう


△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼


 落ちる、落ちる、堕ちる。

 どこまでもどこまでも、底の見えない奈落へ向かって真っ逆さまに、ただ落下していく。


「っっだッ!!」


 激痛だった。

 突如として背中へ鋭い何かが突き刺さり、浮遊感が強引に断ち切られる。全身が大きく揺れ、視界が揺れ、呼吸が詰まる。咄嗟に周囲を見回した。

 これは、無数の茨だ。蜘蛛の巣のように複雑に張り巡らされた茨が、雪月と母の体を受け止めていた。


「ごめんね。痛いね、ごめんね」


 腕の中から何度も謝罪が聞こえる。

 母はどうやら棘だけを消すことは出来ないらしい。血液が茨を伝い、吸い上げられる。そして椿が咲いた。鮮烈な赤、生々しい赤。血を糧として咲く花々が周囲一帯へ広がっている。


「大丈夫だよ。慣れたら何ともない」


 嘘だった。背中に走る激痛に思わず顔が歪む。棘は深く背中へ食い込んでおり、血も止まらない。痛い、熱くて堪らない。今すぐ抱き締めた腕を解いてしまいたい程に。それでも離さない、離したくなかった。

 痛覚へ意識を支配される前に考える。今出来る事を、生き残る方法を。


 ――その瞬間だった。


「ぅわっ!?」


 ほろりと、一輪の椿が落ちる。

 同時に、茨が枯れ始めた。生命力を失ったように、役目を終えたように。細く、脆く朽ち木のように崩れていく。支える力を失った茨は、人間二人の体重に耐え切れない。

 再び、二人は落下を始めた。重力が引き寄せる。奈落へ、死へ、容赦無く。抗いようも無く落ちていく。

 血液だけが重力へ逆らっていた。赤い雫が上空へ伸びていく。その中を椿だけが穏やかに落ちていた。死を宣言されているのか、そう思ってしまえる姿。

 腕の中の人物を離さない。離したら、きっと一生後悔する。だから、強く、強く壊れてしまいそうなほど強く抱き締めた。

 そして、次の瞬間、衝撃が――。


「ぁ……?」


 来ない、来なかった。落下していた筈なのに、死ぬ筈だったのに。

 瓦礫の尖端は眼前まで迫っている。鋭利な牙のように、死を告げる刃のようにあと少し。あと僅かで体を貫く距離だった。

 それなのに静止している。二人の体は宙へ縫い留められたように止まっていた。


「なっ、え?」


「落ち、ない……?」


 母も状況を理解出来ていないらしい。周囲へ視線を巡らせている。ならばこれは彼女の力ではない。

 雪月の力か。死の間際に覚醒した力なのか。そう考えた。だが


「――遅れてすまない。」


 声だった。聞き覚えの無い声。暗闇の中から響く声。姿は見えない、見えない筈なのにその一言だけで圧倒される。威圧感、存在感はまるでその場の空気そのものを支配しているかのようだった。

 それでいて不思議と恐ろしくはない。どこか穏やかで、どこか朗らかで優しささえ感じられる声音だった。


「あなた、は……」


 母の声が震えた。藍白色の瞳が大きく見開かれる。驚愕、困惑、信じられないものを見たような反応だった。

 それだけで理解出来る。母はこの人物を知っている。


「……後は私に任せなさい」


 柔和な声だった。その言葉が耳へ届いた瞬間、不意に眠気が襲ってくる。抗えない。あの時と同じ、意識を溶かすような微睡み。視界が霞み、思考が鈍る。瞼が重い。

 微睡む視界の中、最後にその人物を見た。

 赤、いや、紅だろうか。色だけが、不思議なほど鮮明に脳裏へ焼き付いていた。


△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼


 意識が浮上する。

 沈んでいた感覚が輪郭を取り戻し、朧気だった思考が徐々に鮮明になっていく。


「こ、ここは……」


 柔らかい、弾力がある体を包み込むような感触。これは布団だろうか。

 ゆっくりと瞼を開く。床は畳、扉は障子。鼻腔を擽るのは穏やかな木の香りだった。どこか懐かしく、どこか安らぎを覚える匂い。

 雪月はゆっくりと重たく軋む身を起こし、橙色の瞳を巡らせる。和風だった。静謐で、落ち着いていて不思議なほど心が安らぐ和風様式の建物。まるで時間の流れさえ緩やかになったかのような空間だった。

 その場から立ち上がる。乱れた布団を軽く整え、障子へ手を掛けた。ここはどこで、誰の家なのか。人は居るのか、母は無事なのか。懸念は尽きず、疑問も尽きない。


 障子を開き、そして部屋を後にした。

 木造の廊下が真っ直ぐ伸びている。左右には幾つもの部屋。屋敷、そう呼んでも差し支えないほど広大な造りだった。

 襖を開き中を確認する。また閉める。それを何度も繰り返した。しかし殆どが空き部屋だった。生活感も無く、人の気配は希薄だ。家族で暮らしているようには見えない。もし一人で住んでいるのだとすれば、この広さは持て余してしまうのではないかと、そんな事を思った。すると、不意に声が聞こえた。

 会話、穏やかな会話だった。怒号でも悲鳴でも争いでも無い。ただ誰かと誰かが話している。それだけの、それだけなのに胸が少しだけ温かくなる。心が安らぐ『普通』の会話だった。雪月がずっと求めていた。何よりも遠かった日常の音だった。

 声のする方へ歩き出す。足音を忍ばせながら襖の前へ辿り着く。そして静かに襖を開いた。

 そこに居たのは、縁側へ腰掛ける白銀色の長髪の女性。穏やかな陽光を浴びながら佇む母の姿。


 そして、もう一人。


「少年、目が覚めたか。」


 赤い、男性だった。


△ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼ △ ▼


――


――――


――――――。


「ああ、そうだねえ。期待以上だよ」


――――。


「データは十分に取れたさ、だから信じていてほしいなあ」


―――?


「まあもう少し待っていてあげよう。焦ることなんてないからねえ」


――。


「私の子よ。すくすくと、育ってほしいなあ。」

第零章、おわりです

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