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『普通』を願う備忘録〜死を許されない世界で俺はただ平穏に生きたい!〜  作者: あずま微糖_連載準備中
第零章 【施設編】

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17話目 『茨と椿』


 地盤が緩み、世界そのものが基盤を失い掛けている。地面は隆起し、至る所で地割れが発生していた。大地の力が、『世界』の力が壊滅へ向けて崩れ落ちようとしている。

 足場へ意識を向けながら亀裂を渡り歩く。かつて白一色だった空間は既にその面影を失っていた。茶に、黒に侵食されるように染まっている。


 かつて、愛する物を奪われた憎い場所。六年間という歳月を過ごし、母と妹と過した思い出の場所。そして、退屈では無い日常に忌々しく感じていたこの場所。当時『世界』だったこの場所は、こうも容易く崩壊してしまうらしい。実に呆気ないと、そんな感想さえ抱いてしまうほど、現実感が希薄だった。


 慎重に『仮想空間』へ戻る。すると、そこにあった大樹もまた変貌を遂げていた。青々と傘のように広がっていた葉は枯れ果て、小枝のように痩せ細っている。雄大だった幹も見る影は無い。かつての威容は失われ、曖昧で脆弱な存在へと成り果てていた。

 四方へ続く区画の扉も既に崩壊している。ならば『鬼』は野放しになっているだろう。瓦礫の落下音、地面の崩落音。絶え間なく響く轟音に掻き消され、足音は聞こえない。

 だが、重要なのはそこでは無かった。施設の崩壊。それが意味するもの。


「やっぱり……」


 副産物の排出だ。

 命を無理矢理繋ぎ合わせて生み出されたキメラ。失敗作も、成功作も関係無く解き放たれているはずだ。それは即ち『鬼』の増加と何ら変わらない。理性を持たぬ異形達は、生物を見付ければ無差別に襲い、糧とするだろう。失敗によって獣以下へ堕ちた知能ならば、同類さえも喰らうに違いない。

 亀裂へ落ちる者、瓦礫に潰される者、大半は命を絶やしていくはずだ。だが数が違う。生存個体は必ずや現れる。こうして傍観している間にも包囲されているかもしれない。気付けば取り囲まれていた、そんな可能性さえ十分に有り得る。

 あるいは、今この瞬間にも瓦礫が降ってくるかもしれない。


「――っ!」


 そう思考した瞬間だった。轟音、崩落音に反射的に天井を見上げる。そこには大きく抉り取られた天井の残骸があった。巨大な瓦礫、質量の塊が吸い寄せられるように落下してくる。

 避けられない、回避手段など持ち合わせていなかった。また死ぬ、否、最初から理解していた。理解していても、何度経験していても死は恐ろしい。慣れる日などきっと来ない。

 瞼を固く閉じ、迫る衝撃へ備える。圧死か、衝撃死か、直撃死か、あるいは亀裂へ落ちて転落死か。


 ――死が来る。


 そう覚悟した。

 だが、一向に衝撃は訪れない。痛みも無い。違和感に目を開く。状況を確認するまでも無かった。それが目の前にあったからだ。死を遠ざけた存在、自分を守ってくれた存在が。


「雪月!!」


 白銀色の髪を揺らしながら駆け寄って来る女性。母だった。

 地面から無数の茨が伸びていた。複雑に絡み合い、束ねられ巨大な瓦礫を受け止めていた。潰される寸前、圧殺される寸前で雪月を守っていた。これは、彼女の力なのか。


「お母さん……」


「ごめんね。どうしても心配になって」


 眉尻を下げながら謝罪する。その姿はあまりにも母親らしかった。雪月は理解が拙いままに手を引かれ走り出す。亀裂の間へ茨が橋を架ける。崩れ掛けた地面を繋ぎ止める。そのお陰で安定した足場を確保しながら大樹へ向かう事が出来た。


「これは」


「後で話すね」


 呆然と見つめるしか無かった。無数の茨、まるで自らの手足のように操るその姿は圧巻だった。

 幻想的で美しく、そして圧倒的だった。地より這い出る茨は『鬼』達の進行を阻む。絡み付き、締め上げ自由を奪う。棘は血を啜るように食い込み、その鮮血を吸い上げていく。

 すると、茨の先端から花が咲いた。赤く鮮烈に、狂気的なまでに美しい椿。血を糧として咲き誇る花々は、崩壊する世界の中で異様なほど鮮やかだった。次々と咲き乱れ、次々と落ちる。まるで誰かの命そのものを表すかのようだった。


「すごい……」


 思わず見入っていた。

 『鬼』を屠るその姿は、まさしく神秘そのものだった。白銀色の髪が風に揺れ、大地を覆う無数の茨が蠢く。その棘は『鬼』の血を啜り、鮮烈な赤を宿した椿を咲かせていた。絡め取られた『鬼』達は為す術も無い。暴れようと、抗おうと、逃れようと全てが無意味で圧倒的だった。それなのに不思議と恐ろしいとは思わなかった。

 その光景はあまりにも幻想的で、あまりにも美しくて。だからこそ、異変に気付くのが遅れた。


 どれ程の『鬼』を葬っただろうか。ふと、茨の動きが鈍くなり始める。先程まで猛威を振るっていたそれらは徐々に勢いを失い、明らかに活動が低下していた。嫌な予感がした。雪月は咄嗟に彼女へ視線を向ける。

 そして、息を呑んだ。


「お母さん!」


 全身を濡らすほどの冷や汗、呼吸は荒く顔色は青白い。今にも倒れそうだった。

 慌てて駆け寄りその体を支える。触れた体温は異様なほど低かった。あまりにも冷たい。この力が何なのかは分からない。代償があるのかも知らないが、これ以上使わせてはいけない。それだけは本能的に理解出来た。

 雪月は彼女の両手を強く握る。


「雪月、大丈夫だからね。守ってあげるから」


 彼女は微笑んだ。安心させるように、怯えさせないように。いつか見た母親のままの顔で、眉尻を下げて微笑んだ。その姿が、その笑顔が今にも消えてしまいそうで雪月は支える手に自然と力を込めていた。

 二度と失いたくない。もし失えば、今度こそ本当に二度と会えなくなる気がした。


「もういいよ、ここまでやったらもう来られないよ」


 掠れた声が漏れる。大樹を囲むように発生した地割れ。深く広く容易には越えられない亀裂。『鬼』とて簡単には突破出来ないだろう。時間稼ぎ、その目的は十分に果たしたはずだった。

 だから、もういい。頼むから、もう頑張らなくていい。そう願わずにはいられなかった。


「私が眠ってしまったら、雪月は急いで逃げるの」


 彼女は穏やかに言う。まるで当然の事のように。過去、自分の身を呈して守ってくれたあの時のように。


「道を作るから走ってね」


「そんなの……」


 そんなの、あんまりじゃないか。漸く会えたのに、漸く手が届いたのにまた失えと言うのか、また置いて行けと言うのか。そんなの嫌だ、嫌に決まっている。決意したんだ、もう失わないと。二度とこの手から零さないと、離さないと、そう誓ったのに。

 その覚悟ごと踏み躙れと言うのか。


「そんなの嫌だ!」


 震える声が響く。感情のままに、訴える。


「俺が守るから…だから、そんな事言わないで」


 絶対に離さない。そう言わんばかりに雪月は座り込む。引き寄せるように、縋り付くように華奢な体を抱き締めた。

 細い肩を、小さな背中を強く強く壊れてしまいそうなほど強く。もしここが崩壊しても構わない。瓦礫が降ろうと構わない。彼女だけは傷付けない。彼女だけは守る。死ぬのなら、自分一人でいい。そう本気で思った。


「雪月、聞いて……」


「嫌だ!絶対に嫌だ……!」


 離さない。

 この温もりを、この体を、この人をもう二度と失わない。


 失ってなるものか。


 ――その決意を嘲笑うかのように、足場が崩落した。

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