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『普通』を願う備忘録〜死を許されない世界で俺はただ平穏に生きたい!〜  作者: あずま微糖_連載準備中
第零章 【施設編】

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2話目 『放課後、教室にて』

 

 「見つけた」


△ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △ △


 最終時限の授業を終えた生徒たちが、帰宅の支度や部活動の準備に追われる中――その喧騒に紛れながら、窓際の最後列で微動だにせず腰掛けている人物へ視線を向ける。

 闇夜を思わせる黒髪の青年だった。東の国でも珍しいほど深い黒は、纏う空気も相まって異彩を放っている。左から七三に流した髪型は彼によく似合っており、長い前髪が左目を僅かに覆っていた。瞳さえ深い紺色をしている彼は、ただぼんやりと窓の外を眺めている。


「あの、今大丈夫?」


「どうした?」


 近寄りがたい雰囲気とは裏腹に、声を掛ければきちんとこちらへ顔を向け耳を傾けてくれる。急かすことなく相手の言葉を待つ姿勢に思わず目を見開きながらも、気になっていたことを口にした。


「勘違いだったら本当にごめんなんだけど…俺のこと、ずっと見てた?最初の自己紹介の時から、なんでかなって気になってて」


「あぁ、バレてたのか。こりゃ恥ずかしいな」


 深い瞳に一瞬だけ驚きが滲んだものの、彼はすぐに目を細め、口元を緩めて苦笑した。その様子が夕陽に照らされ、不思議と静謐な印象を与える。


「――一目惚れしちゃって」


「え?」


 一言一言を慎重に選ぶ癖があることは、初対面の時点で何となく察していた。相手の話を聞き、言葉を吟味して返している。だからこそ、その一言は衝撃的だった。時間が止まったような錯覚さえ覚える。

 顔を両手で覆った彼が、指の隙間から伏し目がちな紺碧の瞳を覗かせる。呆然と瞬きを繰り返す橙色の瞳を見て、彼は堪え切れず吹き出した。


「冗談だって、そんなマジになんなよ」


「だ、だって君のこと知らないし、嘘かどうかなんて…!」


 揶揄うように笑っていた彼は、笑い疲れたように息を吐き、椅子を引いて立ち上がる。そのまま雪月の前へ移動し机に寄り掛かりながら少し低い位置から視線を合わせてきた。紺碧の瞳と澄んだ橙の瞳とが交差し、乱れていた感情が不思議と静まっていく。


「月見雪桜(せら)。お前は?」


「蒼井、雪月」


 人を自分の領域へ引き込むのが上手い。呑まれまいと必死に抗いながら名乗ると、雪桜はその名前を口の中で反芻し、人懐っこい八重歯を覗かせて笑った。


「俺と話してる時間あんの?」


「あっ!」


 放課後の予定を思い出させられ、雪月は慌てて顔を上げる。彼のペースに呑まれていたせいで、すっかり頭から抜け落ちていた。


「ありがとう、雪桜!」


「お気をつけてー」


 ひらひらと手を振る彼を背に、雪月は慌ただしく教室を後にした。


―――。


――「別に、俺には関係ねぇよ」


▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲ ▲


「遅れてごめんなさい!」


 3-Bには、既に六人の男子生徒が待ち構えていた。廊下にまで響いていた笑い声は、教室へ近付くにつれてさらに大きさを増していく。

 誰のものとも知れない机を中央に寄せ集め、輪になって談笑していた彼らはこちらの存在に気付いていないようだった。


「あの、失礼します!」


 先程より大きな声を張り上げ、教室へ足を踏み入れる。

 その瞬間、六人分の視線が一斉に突き刺さった。思わず息を呑み、半歩後退る。それを逃がすまいとするように、リーダー格らしき男が立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。


「今日は楽しめた?」


「はい、お陰様で……」


 改めて見れば、その男は髪の先を赤く染めていた。他の連中も青や緑など、それぞれ髪に色を入れている。

 赤髪の男は笑顔を崩さないまま、親しげに雪月の背を押し、仲間たちの輪へ引き込んだ。


「そっかあ、嬉しいなあ。急に呼び出してごめんねえ? ちょっと聞きたいことがあってさあ」


「聞きたいこと……?」


「そうそう。君って、アイツの親戚か何かかなあ? だったらすっごく嬉しいんだけど」


「アイツ……?」


 全く心当たりがない。

 今日が初登校日だ。学校に知人などいるはずもない。男たちの言う“アイツ”が誰なのか、見当もつかなかった。首を捻る雪月を見て、男たちは互いに顔を見合わせ、再び一斉にこちらを向く。

 その瞬間――背筋を氷で撫でられたような悪寒が走った。


「あの、そろそろ帰らないと……」


「えぇ?そんな冷たいこと言わないでよ」


 まずい。

 世間知らずな雪月でも理解できるほど、空気が張り詰めていた。本で読んだことのあるその手の展開と酷似している。心臓が嫌な音を立て警鐘を鳴らしている。


「うっ……!」


 直後、予感が現実へと変わった。

 腹部へ衝撃が走り、細い身体が机と椅子を巻き込みながら床へ倒れ込む。木材と金属が激しくぶつかり合い、耳障りな音を立てた。さらに鈍い痛みが腹へ叩き込まれ呻き声を漏らしながら顔を歪め、雪月は自分を蹴り飛ばした青髪の男を見上げた。


「嘘つくんじゃねえよ。俺らは知ってんだよ、アイツがお前のこと見てたの」


「だ、から……何を言ってるのか、!」


 肯定しか許されない理不尽な問答。否定すれば腹を蹴られ、抵抗すれば髪を掴まれ殴られる。相手がこちらを見ていたからといって、知り合いと決めつけるなど滅茶苦茶だ。だが、理不尽は理屈を必要としない。


「がはっ、げほっごほっ……!」


「その辺にしとき。警察沙汰になったら面倒やろ?」


 青髪の男を止めたのは、鮮やかな緑色に染めた髪の男だった。他より多少は理性がありそうに見える彼は、雪月の前へしゃがみ込み、橙色の瞳を覗き込む。


「すまんなあ。こいつら、君みたいな髪色した奴にしばかれて機嫌悪いんよ。まあ八つ当たりってやつや、堪忍してな」


 標準語ではない西寄りの口調で肩を竦める男。しかし手を差し伸べることはしない。結局、同類だ。

 戦う術も、逃げる力もない雪月には耐えることしかできなかった。どうして自分がこんな目に遭わなければならないのか。そんな思いだけが脳裏を埋め尽くす。

 ――こんな理不尽が、あっていいのか。


「やから死なん程度に俺が見とくし、ちょっと耐えてくれん?」


「……は、」


 意味が分からない。肋骨が軋み、内臓が悲鳴を上げ、脳が揺れる。打開する力がない。自分を憎み、目の前の連中を恨み――そして、その感情に覚えがあることへ戸惑った。


 初めてじゃない。


 どこかで、こんな感情を知っている。奥歯を噛み締める。終わるまで耐えるしかない。

 そう覚悟した、その瞬間だった。


「あ? なんだお前――」


 暴力が止んだ。刹那、紫髪の男が吹き飛んだ。机の角へ頭を打ち付け、そのまま意識を失う。先程まで嘲笑していた連中がどよめき、身構えた。だが、それに意味はない。

 格闘技でも、洗練された技術でもない。ただ純粋な暴力だった。殴る、蹴る、叩き伏せる。男たちは次々と床へ沈み、青髪の男さえ宙を舞って白目を剥く。現実感のない光景を、雪月はただ呆然と見つめることしかできない。

 やがて、拳を血で濡らしたその人物がゆっくりとこちらを振り返った。


 ――片方しかない瞳、澄み切った青は雲一つない空のようだった。


「ごめんね遅れて! 立てる? 立てないなら俺が運ぶから! 力には自信あるから任せて」


 乳白色の髪をした青年が、無邪気に笑いながら手を差し伸べる。


「なっ……」


 雪月は差し出された手ではなく、周囲の惨状へ視線を向けた。骨は折れているかもしれない。内臓も、脳も無事では済まないだろう。死んではいないが半殺しになっていた。やり過ぎにも程があると微かに思う。それなのに彼は、悪びれる様子すらない。まるで褒められるのを待つ犬みたいに、見えない尻尾が見えるようで雪月は薄ら寒さを覚えた。


「だ、誰……」


「あれ、覚えてないの?俺はずっとずーっと忘れないで捜してたのに」


 整った顔立ちだった。整った目鼻立ちの男性。乳白色の前髪が顔の半分を覆い隠し、覗く右目だけが青く澄んでいる。

 覚えていないと言われた彼は、拗ねた子どものように眉尻を下げていた。これほど好意を向けられていた相手なら、普通は忘れるはずがない。だが記憶に微塵も残っていなかった。


「ごめん。やっぱり思い出せない」


「そっかぁ、でも大丈夫。俺は覚えてるから」


 自信満々に笑う姿に当惑する。だが、身体は既に限界だった。瞼を閉じれば先程の恐怖が鮮烈に蘇る、あの心臓を恐怖に鷲掴みにされるような感覚。彼に安心したわけではない、それでももう終わったと理解した途端、張り詰めていた意識が急速に遠のいていく。


「あれ、雪月? おーい?」


 霞む視界の中、彼の嘘偽りのない表情が誰かと重なって見えた。

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